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(……)もし存在が《一》だとすれば、《一》ではないもの、たとえば《多》は存在しない、とせざるを得ない。これは思考にとって耐えがたいことである。というのも、現れるものは《多》であり、何の《現れ》もなしに存在にアクセスすることなど考えもつかないからだ。そしてもし、《現れ》がないとすれば、現すもの(現されるもの)を存在として指示する意味が依然あろうか? 逆に、もし《現れ》があるとすれば、《多》があらねばならず、ゆえに存在は《一》とはもはや換位的ではなく、現れる何かはもはや、それとして《一》と捉える必要もなくなる。これは思考にとって耐えがたいことである。というのも、《現れ》が現すものが《一》として受け取られる限りにおいて、《現れ》はそうした《多》であるからだ。(……)

(Alain Badiou, L'être et l'événement , p.31. なお、文中で「《》」を用いて訳されている「一」「多」「現れ」は、それらそのままでは文中に埋もれてしまうので、名詞として際立たせるため訳者はやしが勝手に付加)

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今読んでいる田川建三『宗教批判をめぐる』よりちょこっと抜粋。

バディウの今のところの最新刊『世界の論理』の末尾には、ありがたいことに各章の重要な文言を抜き出した「66の言明」というのがappendixのような感じで付けられているので、それを息抜きがてらちょっとずつ訳すことにした

昨日は色々と、待ち焦がれていた本が手に入った日だった。

最近、何の因果かバディウの『存在と出来事』をやや集中的に読んでいるのだが(今日、この続編である『世界の論理』も買ってしまった……)、思うことはやはり、「斯様な数理的フォーマリズム(具体的には集合論)を用いて存在論を語ることの正当性はどこにあるのか」ということだ。

ひさかたに和書人文系のコーナーを見て回ったので、そのとき目についた本。正直、それほど「気になる」ってほどのものでもなかったりしますが、一応。

話には聞いていたけど、この間紀伊国屋新宿南店に行ったとき、現物を確認した。

そりゃ、当然行くでしょ。

取り立てたる目的もなく、丸の内オアゾの洋書フロアをうろついていると、哲学書の棚でバディウの現時点での最新刊(だと思う)『世界の論理 Logiques des mondes 』が目にとまった。

何かこの手のエントリひさしぶりだなあ。べつに、本を買っていなかったわけではないんだけど。

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