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中坊俊平太が「自分の頭で考える」をめぐってのやりとり(はやし中坊はやし中坊はやし)に、またあらたな一節を加えてくれた(その1その2)ので、あたうかぎり逐一応答する。かなりトリヴィアルな点をめぐることになるかと思われるので、ひまな人以外は読む必要はない。

まず、ある程度「大枠」でのことを言う。ごくあらっぽくまとめると、中坊が「自分の頭で考える」のを「あり」だとするのは、要するに、「何でもあり」であるからだ。そして、おれは「何でもあり」とは、露も思わない。それは、1) 「何でもあり」ということほどつまらないことはない、という言うなれば「趣味的」な要因と、2) 「何でもあり」という視点は、「地球人文明の発展」にあまり寄与するところがない、ということに拠る。そして、いま言った第2点目に関する補題として、中坊は「発展=変化」という把捉をしている、ということがある。つまり、「文明が発展する」と言ったところで、何を「発展」とするか、ごく恣意的だろう、というわけだ。しかし、これは「文明」という言葉を使っている以上、「発展」ということばをたんに「変化」を指すものとして用いるのは、いかにも苦しい。もし、この「文明」という言葉ですら(恣意的に?)通常とは異なる意味で使っているのであれば、それが何かを明確にすべきだ。

さて、この稿では、中坊の第1応答から検討する。まずだいいちに、「『自分の頭で考える人』は『知識のヒエラルキー』を変質させる」という点に関してだが、中坊はここで「知識のヒエラルキー」という言葉から「知識の」という限定辞をはぶき、「『自分の頭で考える人』は『ヒエラルキー』を変質させる」とし、そして、そうした「ヒエラルキーの変質」は「現状のヒエラルキーを変質させて“外部的知識の吸収/検分”を引き摺り下ろす」ことだ、と言う。しかし、このように「ヒエラルキーの変質」ということを捉えたにしても、依然としてなぜ「自分の頭で考える人」がこうした変質をもたらすのか、明らかではない(この稿で言ったように、「自分の頭で考える人」がある種の「知識に対するルサンチマン」に動かされているのであれば、むしろその事実が知識と「外部的知識の吸収/検分」を裏支えするように思える。そして、この点に関しては中坊も同意していたはずである。ちなみに、おれ自身は、「自分の頭で考える人」は一律に「知識」に対するルサンチマンを持っている、とは思っていない)。

つぎに、「『自分の頭で考える』とは『階級闘争(的)』なものである」という論点について。ここでも、あらっぽく中坊の言うところをまとめると、つぎのようになる。「階級」とは「組織化」されてはじめて「階級」たりうるのであって、「自分の頭で考える人たち」は「組織化」されてはいないがゆえ、「階級」たりえない。ゆえに、そうした「自分の頭で考える人」がなすのは、端的なる「階級闘争」ではなく、「『自分たちに無いものは、誰かが占有しているもの』という錯覚から起こる敵視が“階級”を作り出して対立を起こし、それが自らの原因からくる欠点を隠蔽する役割を担っていて、自己肯定という甘美な飴玉を齎すというメカニズム」としての「階級闘争(的)」なものである。このような「自分の頭で考える人」の「階級闘争(的)」なものに関して、おれはつぎのように書いた。

しょうじき言って、もし「自分の頭で考える人」が「加担」するとされる「階級闘争」がそのようなものであるなら、「自分の頭で考える人」は、そうした「闘争」もろとも歴史の表舞台からご退場ねがいたいものである。だいたい、「自分たちに無いものを、誰かが占有している」のであれば、そうした「占有」を突き崩し、以て「欠点」をも補うべきである。

これに対して中坊は、「ここでは『べき』は使えない。/『自分の頭で考える人』は『べき』だと思っていないからそうなのだから、『べき』は無茶だ。」と言う。これは、ほんとうにそうだろうか? もし「自分の頭で考える人」が中坊の言うようにほんとうに「自分たちに無いもの(=知識)は、誰かが占有している」と(錯覚ではあれ)思い、そしてそのことが「(知識を持てるものに対する)敵視」を生み出しているのであれば、そうした(思いちがいかもしれない)状況を打破するためには、「『(知識の)占有』を突き崩し、以て『欠点』をも補うべき」だ。だから、ここで破棄されるべきは、おれの「べき」ではなく、中坊の「階級闘争(的)」という言葉づかい、だと思われる(もっとも、如上の「階級闘争(的)」の定義部においては、「闘争」を匂わせるものがまったくないので―そして、おれはまだ「自分の頭で考える」ことが「ヒエラルキーの変質」に与る、ということを得心していないので―、「階級闘争(的)」は「(的)」という限定辞を用いて語られるであろうそれの、もっと手前にあるように思える。だとすれば、なおさら「的」という限定辞を用いようが用いまいが、「階級闘争」という言葉は使わずにすましたらどうか? また、「階級」とは「組織化」されてはじめて「階級」たりうる、という中坊のテーゼも、疑義なしとはしないが、この稿では詳述しない)。

次回は、中坊の第2応答をめぐって、「暗黒時代」、そして「科学への信仰」ということを検討する。

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