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生のあらゆる側面から切り離されたイメージは、一つの共通の流れの中で混じりあう。その共通の流れの中ではもはや、生の統一は再建されえない。部分的に考えられた現実は、それから分離した、ただ凝視されるだけの偽の世界として、それ自身の一般的統一性において展開される。世界のイメージの特殊化は、完成された形で、自立的イメージの世界に見出される。そこでは、嘘つきが自らを欺く。一般的に見た、生の具体的な転倒たるスペクタクルは、非-生の自立的運動である。



ここで言われている「イメージ」とは、1で言われている「表象」と同義であり、そして、そのイメージが合流する「共通の流れ」がスペクタクルである(ゆえに、1の読解で言われていた「表象=スペクタクル」という図式は破棄される)。

なるほど、そのスペクタクルは「直接に経験された」生に起源を持つイメージから成っているのだから、部分的にではあれ「現実」を反映していると言えよう。そして、そのイメージから成り立つ世界は、直接に経験される生から切り離されている以上(そして「イメージ」という日本語の語感からも連想できるように)、凝視されるほかなかろう。

さて、それではその「一般的統一性」はどこから来るのか?

まず、そのイメージは生のあらゆる側面から切り離されている以上、「抽象的」なものとしてあらざるを得ない。そして、抽象的なものとは一般的なもの、である。つまり、あらゆる具体性から切り離されたイメージが、紙縒りのように折り合わされたとき、われわれの誰もに適応可能なものとなる。

さらに、部分的にではあるが現実を反映しているとはいえ、やはりイメージというものは現実からは確固として切り離されているがゆえに、何の束縛もない。欠けている部分はさらなるイメージを勝手に付け加えてしまえばいいのだ。イメージというものは「嘘」に他ならないわけだが、そうした嘘を続けていくためには、あらたな嘘でその身を固めていかなくてはならないことは、まあ自明だろう。

そういうものとしてスペクタクルは、個々の生から切り離されたイメージの撚り合わせとして、一般的、統一的、そして自立的なものであり、さらにはある一つの方向性を持つ。それが、「特殊化」と呼ばれているものだ。この「特殊化」ということで、今素朴に考えられることは、ある体制にとって有利なように群集を馴致すること、ということだが、とりあえずは口を噤んでおこう。


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