[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2
生のあらゆる側面から切り離されたイメージは、一つの共通の流れの中で混じりあう。その共通の流れの中ではもはや、生の統一は再建されえない。部分的に考えられた現実は、それから分離した、ただ凝視されるだけの偽の世界として、それ自身の一般的統一性において展開される。世界のイメージの特殊化は、完成された形で、自立的イメージの世界に見出される。そこでは、嘘つきが自らを欺く。一般的に見た、生の具体的な転倒たるスペクタクルは、非-生の自立的運動である。
ここで言われている「イメージ」とは、1で言われている「表象」と同義であり、そして、そのイメージが合流する「共通の流れ」がスペクタクルである(ゆえに、1の読解で言われていた「表象=スペクタクル」という図式は破棄される)。
なるほど、そのスペクタクルは「直接に経験された」生に起源を持つイメージから成っているのだから、部分的にではあれ「現実」を反映していると言えよう。そして、そのイメージから成り立つ世界は、直接に経験される生から切り離されている以上(そして「イメージ」という日本語の語感からも連想できるように)、凝視されるほかなかろう。
さて、それではその「一般的統一性」はどこから来るのか?
まず、そのイメージは生のあらゆる側面から切り離されている以上、「抽象的」なものとしてあらざるを得ない。そして、抽象的なものとは一般的なもの、である。つまり、あらゆる具体性から切り離されたイメージが、紙縒りのように折り合わされたとき、われわれの誰もに適応可能なものとなる。
さらに、部分的にではあるが現実を反映しているとはいえ、やはりイメージというものは現実からは確固として切り離されているがゆえに、何の束縛もない。欠けている部分はさらなるイメージを勝手に付け加えてしまえばいいのだ。イメージというものは「嘘」に他ならないわけだが、そうした嘘を続けていくためには、あらたな嘘でその身を固めていかなくてはならないことは、まあ自明だろう。
そういうものとしてスペクタクルは、個々の生から切り離されたイメージの撚り合わせとして、一般的、統一的、そして自立的なものであり、さらにはある一つの方向性を持つ。それが、「特殊化」と呼ばれているものだ。この「特殊化」ということで、今素朴に考えられることは、ある体制にとって有利なように群集を馴致すること、ということだが、とりあえずは口を噤んでおこう。
次へ
目次へ
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
音
雑
虫
技術
『スペクタクルの社会』を読む
ドゥルーズ講義録
電波
趣味の数学
趣味のゲーデル
『プリンキピア・マテマティカ』を読む
自己紹介もどき
ブログペット俳句
芸術一般
言語ヲタ
お客様
GRE CS
留学
Boing Boing
映画
ちょっといい話
かなりダメな話
魂の叫び
哲学と数学
論文
引用
「いい」とも「ダメ」とも言いがたい話
悲喜こもごも
証明論
ポエム
書物への呪詛
言わずもがななことではあるけれどときに忘れてしまうこと
何か無駄なことをしよう
日々
趣味の勉強
夢
ブログの記事
翻訳
勉強
不眠
文房具
ライフハック
育児
thayashi#ucalgary.ca
(#を@に置換してください)
このブログで紹介したことのある本をランダム表示。
このブログで紹介したことのある音をランダム表示。