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やればできる。そんなこと、当たり前ではないか。問題は、やるかやらないか、それだけだ。だから、やらない、ということは、できない、というのとほとんど変わらない。じじつ、何かを「やればできるんだけど」と言ってるやつが、じっさいにその「何か」をやって、できた試しがあるか。どうせ同じ「できない」なら、「やればできる」と言って「やらない=できない」より、「やってもできない」ことをやろうとして、ものの見事に撃沈したほうが、どれだけいいか分からない。
こんな忙しい時期なのに(というか、だからこそ)、風邪を引いてしまった。まずい。もっとも、もうすぐspring breakなので、「不幸中の幸い」という気もするけど、にしても、そのspring break中にいろいろと仕込みをしておかねばならず、じっしつbreakでもなんでもないので、あまり気は抜けない。
「シンプルであることは複雑であり、複雑であることはシンプルだ」というシンプルな(あるいは、複雑な)ことを言おうと思い、いろいろと試みてみたが、行きつくところはいつも、どこまでもつづく平野のような平坦さか、あるいは爆撃を受けた過密地帯の混乱かで、シンプルでありつつ複雑であるがじつはシンプル(あるいは、複雑でありつつシンプルであるがじつは複雑)というその「実相」をなかなか捉えられない。鍵は「視点」、つまり「理論における遠近法」ということにあると思われるのだが、そうした「遠近法」自体をいかに「描く」か。それがむずかしい。
『量子論理への新しいアプローチ』のまとめをここではじめました。
タイトルに「(1)」だの何だのとつくようないわゆる「つづきもの」をこれまでいろいろと向こう見ずに乱発してきたが、自分でも何をどこまでやっていたのかよく分からなくなってきたので、ここいらでちと整理をしておく。
「知る」というのは基本的に、「分からないこと」を押しひろげる営みだ。「何かを知る」ということの裏にはほぼ必ず、それに付随して「分からないこと」が、ことによるとその「知った何か」以上に、潜んでいる。
「現実世界で自分の身に降りかかってきたとしたらけっしてありがたくはないような出来事を、なぜそれらが〈うそ〉であれば『娯楽』として受けとることができるのか」ということについて前回までに、アリストテレスの魂魄浄化論、ヒュームの技巧感嘆論、フィーギンの道徳起源論、ウォールトンの感情否定論、そしてモリアルの虚実同等論という、都合5つの説明を見てきた。今回から4回にわたって、これまで急ぎ足でしか見ることのできなかった説明4つを、一つひとつそれなりに丹念に見ていきたい、と思う。第1回の今日は、一般的にもそれなりになじみがあると思われる、アリストテレスの魂魄浄化論、つまり、そのカタルシス論を見る。
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