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人と違ったほうがいい、という風潮がある。
これは、言葉を変えて「自分らしさ」という言い回しで語られもし、「個性を育てる」というスローガンが、とくに教育に関わる場において目にされもする。だが本当に、「人と違う」というのは「いいこと」、推奨されるべきことなのか?
たとえば、人を殺したりする、というのは、たしかに「人と違う」ことだ。だが、人殺しが「いやあ、あいつは個性的だ」などと誉めそやされることなぞ、ついぞなかったように記憶している。それ以外でも、往々にして、「人と違う」ことは陰に陽に、圧殺される要因にこそなれ、あまり暖かく迎え容れられるものでもなかったりする。
つまり、ことをスローガン的に言われるそれに限って言えば、「人と違うこと」や「個性的」であることというのは、ある種の同質性を担保されたものに限られる。要は、「人と違うこと」というのは建前で、実際にはそうではない判断基準に則って「いいもの」として打ち立てられた「個性」のレパートリに合致するかしないかなのだ。
そうしたことを離れて、端的に「人と違うことはいいことだ」と言い切れる根拠があるか? そんなものはありそうもないように思える。
たしかに、藝術などの趣味判断が効いてくる事柄については、どれも同じようなものであったら端的につまらないので、そこでは「他と違う」ということがそれなりに優先されるのも頷ける。しかし、それにしたって「違えばいい」というものではなく、ある意味では「他と違うこと」は当たり前なのであって、勝負はむしろそれからなのだ。
そして、上で藝術について言ったことは、考えてみれば人の場合にも当てはまることであって、「人と違う」というのはあくまで一人ひとりが不可避的に持つ所与の条件で、それにいいも悪いもない。だから、問題は、その人が何を感じ、そしてその上でどうするか、であって、人と違おうが違うまいが、要は「好きにすればいい」ということである。
Do what thou wilt shall be the whole of the law...
また、本人が自覚しているかどうかは分かりませんが、宮本さんは何かにつけて実体主義的な解釈をしがちなので、たぶんこの「差異」概念も理解することはないでしょう。「関係」ということについても「何かと何かの、実体的な存在を前提にした、関係」しか思い浮かべられないのですから。まあ、ここいら辺に関しては、ぼくを経由せずに宮本さんと直接対決することをおすすめします。
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