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盟友フニャコさんが「差別のない明るい社会」というエントリを上げているので、それに触れて思った、若干の由なしことども。
最初に、フニャコさんが件のエントリをしたためた顛末を一応記しておくと、宮本さん主宰の「啓示板」において、けいこさんが提起した部落差別の問題へのリプライ、ということなのだが……表面上、フニャコさんがけいこさんの問題意識に疑義を呈する、というかたちにフニャコさんの記事はなっているんだけど、正直、この2人の対立点、というか、フニャコさんがけいこさんの言う何に引っかかっているのか、分からないでいる……ので、とりあえず「啓示板」とフニャコさんの記事との含蓄的絡み合いは措いておいて、ここではもっぱらフニャコさんの発した文言に議論を定位しよう。
フニャコさんの議論は、大掴みに言ってしまえば、こうだ。「今どきの若者」と名指される若年層は、それ以外の層から「社会性がない」などと論難されることがあるが、それは、「その中での各々の役割が固定的な、設計された社会」への「三行半」なのではないか?
まず疑問に思うのが、果たして「社会」というものは「設計されたもの」なのか、ということ。
確かに、諸々の制度が明文化され、この社会には固定化されているように見える。だが、フニャコさん(そして、けいこさん)が挙げているような「社会の問題」というのは、むしろ、明文化もされず、言うなれば「下からの(無自覚的)要請」の帰結とでも言うようなものだ。ここいらの結構は、言うまでもなくフーコーの為した微視的権力論を思い浮かべてもらえればいいだろう。
さらに、フニャコさんは「社会」というものと「場」というものを分け、前者は「差別のない」ものにならないが、後者はそれが可能だ、とする。これは果たして、そうか?
そもそも、「社会」ということでフニャコさんが厳密に何を言おうとしているvouloir dire (意味している)のかよく分からないのだが、個人的には「社会」と言おうと、「場」と言おうと、「それ以外」のものの排除に成り立っていることに変わりはないと思う。意識的であれ何であれ、ある「場」というものは、それ以外の「場」を排除することでしか成り立たない。「排除」というのは言うまでもなく、差別の「最初の一歩」である。
それでは、その「場」自体が他の「場」を排除するにしても、その「場」の中では排除が、つまり「差別」がないのか?
フニャコさんは「差別」というものを「役割の固定」ということで表象しているように思うが、「社会」というものを「場」と言い換えたからといって、役割の固定がなくなるとは、到底思えない。たとえば、いわゆる「今どきの若者」がつくる「場」には「役割の固定」がないのか? まさか。自分が「今どきの若者」でないので、風聞の範囲に留まってしまうが、「今どきの若者」が生成する「場」は。下手をするとフニャコさんが謂う「社会」の中におけるそれよりも、役割行為への訴求力が強いと思われる。
まとめよう。
フニャコさんは、たとえば「今どきの若者」、ニート、フリーターなどと名指される一群が、ある意味「反社会的存在」としてあるのは、むしろ彼/彼女たちからの「社会離脱」という挙措である、と言う。そして、そうした彼/彼女たちがつくる「場」は、「社会」とは違って「役割の固定」からは逃れられている、とする。
だがしかし、「この社会」から逃れた先が、「役割が固定されていない、差別のない場」である保証は露もなく、むしろ現状を見る限りにおいては、「この社会」よりも役割固定の縛りのきつい「超社会」であるように思われるし、もっと言えば、そこでの「差別」の出現は、よりえげつなく、隠棲的なものであるように思われる。そして、「この社会」の方でも、そうした「今どきの若者」の取る「逸脱行為/脱社会/超社会の創生」を逆手に取って、「下からの権力承認」を強固なものにしようとしているようにも思える。
要するに、「この社会」から逃れたその先は、「差別のある明るい社会」なのだ。
ま、これが「荒井さんの文体以外の何ものでもない」かどうかはともかく、おれ、たまにですけど、昔っからこういう文章書いたりしてますよ。
この程度の振幅であれば、「分裂的かつ多重人格的」だなんて大層なもんではなく、フツーですよ。
気のせいかもしれないけど、確かに出だしは はやしさん調。でも、締めのところが、どうもはやしさんというより、荒井さんって感じに思えたのは、私だけ?
そんで、実は、以前、はやしさんをこう評した >分裂的かつ多重人格的 なんですが、(いい年こいた人は・・・はやしさん失礼!! m(_ _)m)人は、これがある程度出来て当たり前だと思うのですよ。あのとき、はやしさんは、私に、ぼろくそ言われたと感じた節があったと思いますが、これは、むしろ私にすれば褒め言葉なんです。これが出来ないと、むしろ、そっちのほうが問題だと思います。単に使い分けとかそんな意味では決して語りきれない内容です。ニーチェが確か「この人を見よ」(だったかな?)で言っていた内容です。(かな?) ついでに、青春は純粋であるってのは、実はウソで、青春とは欺瞞である(というか、実は、アホ丸出し)だとかとも書いてましたか。(かな?)ちょっと、記憶があやふやですが・・・。
で、また、エントリーに関係ない内容書いちゃった。m(_ _)m
でも、はやしさんや僕の>分裂的かつ多重人格的 ということではなくて、人一般がもつ>分裂的かつ多重人格的 ってことは、まんざら差別の問題を考えるにあたり、考慮しなくてはならない問題というか、議論するにあたりほとんどの人が案外見落としているかも知れない人一般の特性であるかもと、今一瞬、ふと 思ったので、許してください。
信条の自由とは、当然何よりも優先されるべき自由であり権利であると思うのだが、でも、それが、行為となった時点で、犯罪や差別とは発生してしまう。
つまり何考えても自由。荒井さんが、電車の中で、綺麗なお姉さんを見て、目をつぶって思弁的にその女性と無理やりエッチするのは自由!!・・・ただ、そのお姉さんを、なめるように見だすとそれは、そのお姉さんに不快感を与えるのでもうそれはセクハラでアウト!!
もし、何事も考えるだけでダメと言ってしまうと、それは、単なるキリスト教の世界。
しかし、差別的なことを考えるということが、実際の差別をひき起しているのは間違いない。まあ、性犯罪も、エロエロ思考がきっかけだといえばそれまでなのですが。
少なくとも、こいつは「吉」だって、僕のことを はやしさんなり荒井さんなり誰なりが思うのは自由だと思います。
でも、それが、集団で「概念的に」(=ほとんど、インネンみたいことで)僕に向ってくると、やはりそれは差別なのかな?
実際、僕が「あほ、ぼけ、かす」的に書くことが多いのでそれをみて、こいつは自己申請の通り「吉」であり、差別してやろうと思うのは、それは特段何の問題もないことだと思います。品のない事ばかりする僕側に、立派な原因があるのだし。
また、僕のことを、嫌いな人が、こいつは「吉」だ「吉」だ・・・って思って、思弁的に鬱憤を晴らすのは自由でしょう。
まあ、エントリーに関係ないこと書いてばかり恐縮ですが、結婚差別ってのは、僕も元「吉」ゆえに何度も受けたことがあります。でも、これって、あとで考えると、本当に厄払い以外の何でもなくて、差別をやってくれた ねーちゃん ってのは、やはりその程度の人で、本当に逃げていってくれてよかったと思いますよ。(笑)
でも、まあ、よく、何のまとまりもない、それも差別問題にあまり関係なさそうなことを、あれやこれやとよく書いたもんだなあ。だから、酔っぱらいか。(笑)
で、「分裂的かつ多重人格的」ですけど、以前言われたときも別に「ぼろくそに言われた」だなんて全然思ってないですよ。だって、「分裂的かつ多重人格的」であるのが、人としての常態だと思っているから。ただ、この「分裂的かつ多重人格的」ということに関して、原作たそがれ清兵衛さんは、たとえばおれとか原作たそがれ清兵衛さんとかのそれと、「人一般」のそれを分けて考えてるみたいですが、そこいら、おれにはちょっと分かりません。でも、何か確かに重要そうなポイントであるように思われるので、出来れば詳述願います。
「差別的な意識を持つことは、それだけで差別に加担することになるのか?」という問いかけ、これ、おれが以前ちょっとだけ書きかけた(そして、今に至るまで続きを書き継げないでいる)「考えるだけならオッケーか?」に直接繋がる問題なんですが……ちゃんと応答しようとすると難しいですね。
基本的におれは、「考えるだけならオッケー」と考えているのですが、原作たそがれ清兵衛さんの言うとおり、確かに、「考える」ことが「何らかの行動の萌芽」になっている、という立論も可能で、おれの意見を貫き通すには、その論を突き崩さなければならない。
そうなると、そもそも「行動action」とは何か?ってところまで降りていかねばならず……ってところで止まっちゃってるのがおれの現状です。
ま、時間が出来たら、ゆっくり再始動かけます。
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