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前回はモリアルの論文「フィクションにおいて、否定的感情をたのしむ」(Morreall, 1985)を導きに、「現実世界で自分の身に降りかかってきたとしたらけっしてありがたくはないような出来事を、なぜそれらが〈うそ〉であれば『娯楽』として受けとることができるのか」ということに対してこれまで出されてきた解釈、つまり、アリストテレスの「魂魄浄化論」、ヒュームの「技巧感嘆論」、フィーギンの「道徳起源論」、そしてウォールトンの「感情否定論」を概括し、そのそれぞれに対して問題と思える点を提起したのだった。今回は、これらに対するオルタネイティヴとして彼じしんが提起する解釈を見てみたい。

平ったく言ってモリアルの解釈の肝は、「現実世界で自分の身に降りかかってきたとしたらけっしてありがたくはないような出来事を、なぜそれらが〈うそ〉であれば『娯楽』として受けとることができるのか」ということの前半、つまり「現実世界で自分の身に降りかかってきたとしたら決してありがたくはないような出来事」という部分を否定することにある。言い換えれば、モリアルが提起するのは、フィクティヴな場においてのみならず、この現実世界でも人びとは「ありがたくはない」と即自的には思える出来事でも、それなりにたのしんでいる、ということである。

たとえば「恐怖」に関して、モリアルは次のように言う。現実世界でも人は、わざわざ好きこのんで我が身を危険に晒すようなことをして、そこから得られる「恐怖」をたのしんでいるではないか? たとえば、ロッククライミングなど下手をすれば「死」と言う代償を払わねばならぬ「娯楽」だし、そこまでいかずとも、世の中には「スリルを味わう」という点で嗜好されている娯楽は、山ほどある。また、人がある種の犯罪に手を染めてしまうというのも、こうした「危険と隣り合わせ」ということがもたらす甘味さとは無関係ではないだろう。そもそも、「冒険」とは「危機に身をおくことad-venture 」の謂いではなかったか?

また「怒り」に関してモリアルは、それが持つ「自己発現」という側面にスポットを当てる。つまり、人は怒りを通じて自ら(「われわれは誰か、われわれの権利、または利益は何か」(Morreall, 1985: p. 98))を主張する。それが快い、と言われる。この「自己発現」という要素は「悲しみ」についても当てはまり、「悲しみ」を通じて人は、自らを主張する。そしてまた、それが快い、とされる。さらに「悲しみ」には、「恐怖」で体験するのとはちょうど反対の要素、つまり「恐怖」がもたらすような「高揚」ではなく、「鎮静」や「緩慢」という側面があり、それがまた快い、と言われる。また、〈うそ〉での「悲しみ」に関して「道徳起源論」が言うように、「悲しみにある自分に酔いしれる」という側面も、モリアルは否定しない。

ただ、どんな恐怖や怒りや悲しみでも、無条件にわれわれはたのしめる、ということではもちろんなく、それらはある条件を満たしている必要がある。つまり、そうした感情はある程度、その享受者にとって制御可能でなくてはならない。あまりにべらぼうな恐怖、怒り、悲しみのただなかでは、人はたのしむことはかなわないであろう(たとえばモリアルは、スカイダイヴィングにおいて「パラシュートが開かなかった場合」を挙げて、そうした場合にはとてもではないがたのしむ余裕はないであろう、ということを言っている。Op. cit. p. 97を参照。ちなみに、ヒュームもこうした「刺戟の適度さ」について言及している。Hume, 1985: p. 255)。

如上のような「現実世界において、否定的感情をたのしむ」ということを見ると、虚構世界においてもほとんど同様の機構のもと、「恐怖」や「怒り」や「悲しみ」といった否定的感情をたのしんでいることが見てとれる。つまり、基本的にわれわれは、いつでも、自分の意志で、虚構世界から抜け出ることができる。耐えがたくなったら画面から目を背けたり、あるいは本を閉じたりすればよい。もしそれでも、そうした虚構世界の出来事が心のうちに残存し、あなたを恐怖、怒り、そして悲しみという否定的感情で苛むとすれば、それらのものはあなたにとって「刺戟の適度さ」において問題があったのだ。

大略、上のように言われ、ある意味では現実世界から受ける否定的感情も、虚構世界から受ける否定的感情も、大したちがいはない、と言われる。それら両世界間でちがうのは、言うなれば「御しやすさ」という点で、まさにそれが、現実世界においてと比べて虚構世界における否定的感情のほうがよりたのしみやすい、ということを裏書きする。

だが、しかし、「現実世界で自分の身に降りかかってきたとしたらけっしてありがたくはないような出来事を、なぜそれらが〈うそ〉であれば『娯楽』として受けとることができるのか」という問いへの解答が上のようだとしても、問いがまたべつの問いを呼びよせただけ、という気もする。つまり、現実世界であれ、虚構世界であれ、人は「恐怖」、「怒り」、そして「悲しみ」という否定的感情を、スリルのゆえ、そこにおける自己発現のゆえ、あるいは鎮静や緩慢さがもたらす快のゆえたのしむにしても、なぜ人はそうしたスリル、自己発現、そして緩慢さを「快」として受けとるのか?

この新たな「問い」に突っこむ前に、次回からは数回にわたって、モリアル論文に引かれている解釈を、それぞれやや詳細に検討することにしよう。


参考文献

Hume, David. 1985. "Of Tragedy" in Essays: Moral, Political, and Literary. Liberty Fund.
Morreall, John. 1985. "Enjoying Negative Emotions in Fictions" in Philosophy and Literature 9: 95-102.

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