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気がふれるのふれると触るのふれるはおそらく語源を同じくするであろう。人に触ることは気がふれることだ。ごく近くに、その身体に直に、これ以上遠くもなれないただの他人がふれることは、まともにやると頭がおかしくなってしまう行為だ。それは人の身体が物質以上のものを宿す状態に触れかねないからだ。
確かにそうでもあろう。だが、触れて「気がふれる」対象は果たして「人」だけか?
否、物質もまた、こちらの気をふれさせるトリガーを握っている。
普段平生、われわれは実は「もの」そのものと対峙していない。われわれが向かい合っているのは、諸々の意味の網の目に絡めとられた「もの」の仮身に過ぎない。その意味の網の目から「もの」が零れ落ちたとき、つまり、その網の目が瓦解したとき、「もの」が全き「もの」としてこちらに迫ってくる。それは、「人の身体が物質以上のものを宿す状態」に触れるのと同様、恐ろしく耐えられないことだ。
これこれと名指せない、生々しい「もの」に触れるとき、堪え難い吐き気に襲われる。ロカンタンの嘔吐感は、本当に他人事ではない。「〜がある」と名指せるような「もの」の仮身ではなく、「ある」ことそのものであるような「もの」が四方から押し寄せ、こちらの呼吸を奪う。人からは逃げられるかもしれないが、「もの」からは逃げられない。出来ることといえば、瓦解した意味のネットワークが再構築されるのを待つだけ、だ。
「人の身体が物質以上のものを宿す状態」というのが「意味の過剰」だとすれば、「もの」が「もの」として立ち現れることは「意味の欠如」である。
意味は多くても、欠けていても、耐え難い。
で、「意味」ってなんだ?
それにしても、はやしさんの昔のエントリを適当に捲るというのも結構面白いものです。はい。(・・・これは単なる感想であります。深い意味は全くありません。)
で、じつはおれもたまに、自分がむかし書いたエントリをずーっと、それこそ2時間ぐらい読み継いじゃうことがあって、そのナルシスさ加減にうんざりしたりしてます。
コメントは、過去のものについてもガンガンしていただければ、と思いますので、その場合、できれば、小分けに書いていただけるとうれしゅうございます(何となれば、いっときにがががっとコメントすると、他の人のコメントが流されてしまいますので)。
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