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音楽と自由とは、もっとも縁遠いものであるように思える。音楽というものは基本的に自由でありえず、ある制約のうちでしか成り立たない。




リズム、メロディ、ハーモニー。

これら三つが音楽、とくに西洋のそれを支えている屋台骨だ。

ハーモニーは「縦の関係」、つまり同時に鳴る音と音の関係を規定するが、リズムとメロディは「横の関係」、つまり時間的に相前後する音と音の関係を規定する。音は、それが鳴る「文脈」によってそれ自身規定され、そしてその他の「音」を規定しにかかる。

つまり、上述のような三要素の課す制約によって、音楽とはある種の「予定調和」としてわれわれに立ち現れてくる。ある音が次に到来する音を予測させ、そしてまたその次の音が……。



デレク・ベイリーは、こうした「音の馴れ合い」を断ち切り、その「文脈」を脱臼させることに、その音楽の生を懸けてきた。

一音一音が、そしてその一音一音が成す音群が、相互に連関を持たぬよう、デレク・ベイリーは細心の注意を払う。そしてその上で、それら総体があくまで「音楽」としてたち現れなければならない。

これはある意味、不可能なゲーム、とも言える。それは演奏主体の側から言っても、何らかの意味で「イディオマティック」な奏法から逃れるのは、存外、というか、絶望的に困難な試みであるし(デレク・ベイリーは自らの音楽を「非イディオマティックな即興演奏」と呼ぶ)、さらに聴衆の側から言えば、ランダムであるはずのパターンに積極的に「意味」を見出すように、そこに投げ出されてある音にも、不可避的に「意味」を、つまり音と音との相互連関を見出してしまうからだ。

さらに言えば、そうした「非イディオマティック」であるはずの演奏が、それ自体、つまり「非イディオマティック」であることがまさに「イディオマティック」なものになってしまう危険がある。



それでも、デレク・ベイリーは我関せずに、今日もギターを弾いているだろう。初めてギターを手にし、でたらめに弦をかき鳴らした、新鮮な驚きをそのままにして。





デレク・ベイリーの音源として、何はさて措いてもまず聴かれなければならないのはSolo Guitar (Vol.1, Vol.2)であろうが、残念なことに現在品切れらしい。というわけで、次善の策、というわけでは決してないけれども、Improvisation を替わりに挙げておこう。

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