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外国語で書かれたものを読む上で大事なのは、「当たりを付ける」ことではないか、と思う。

たとえば、読書中によく分からない単語に出食わした場合、それが使われているコンテクストで「大体こういう意味であろうな」ととりあえず読み進める。そして、後の文章とのつながりで、その推量に適宜修正を施していけばいい。分からない単語に出食わすたびに、いちいち辞書を引いていたら息切れしてしまうし、何より読書のペースが乱れる。

もちろん、その言語で書かれたものを読み始めて間もない、という場合には、出食わす単語ごとに辞書を引く、というのも致し方ない。何しろ、「その語が使われているコンテクスト」というものを見極めようにも、そうした「コンテクスト」の措定に足るほどの「必要語彙」が蓄積されていないと、如何ともしがたい(大体、そこで使われている単語の5割程度が理解できるものであれば、何とか当て推量を用いて読み進めることができる、と思う)。

ただ、ある言語を学習し始めてから出来るだけ早い段階で、この「当て推量」というやり方を意識的に実行することは、その後の言語学習において、語彙形成や構文把握などを容易ならしめる効果がある、と思う。

さらに、このことは狭く「自然言語」に限らず、「人工言語」、たとえばプログラミング言語を学び、そしてその言語で書かれたコードを読む、という場合にも役に立つ。つまり、ある言語で書かれたコードを読むときに、そこに出てくるよく分からない函数や何やを当て推量するのだ。

最近のプログラミング言語、とくにオブジェクト指向的なそれは、ネイティヴな状態でもかなり多くの函数(メソッド)が用意されている。さらに、それなりに大きなプログラムだと、コードのモジュール化が進み、函数定義は別ファイルで行われていることも多い。

そうしたコードを読み進める際、いちいち言語リファレンスを引っくり返したり、函数定義が為されているファイルを探したり、というのはいかにもメンドクサイ。そこで、上述のような「コンテクストからの当て推量」が有効となる。具体的には、1)そのコードは何のためのコードか、2)それを実現するためにはどのようなことが必要か、ということを常に念頭に置きながら読み進めるとよい。

このように、プログラミング言語も含む言語を、挫けずに習得するのに必要なのは、ある種の「いい加減さ」であるように思われるのだが……こう思うのはおれだけか。

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おれ、日本語でそれ、やってる(笑)
知らない分野の本を読むときとか、面識のない人と話すときなんかは特にそう。
コンテクストから単語の意味を理解することも多々ある。
(で、やっぱ幼児の言語習得は「普遍→個別」だろう、という思いが強くなりました。)

「知っている単語」でも、理解を深めるのは「文脈→単語」の流れだと思う。
逆に文意や文脈をつかまえるのにも、その「いい加減さ」は必要だなと思う。
ケイタロウ 2005/11/27(Sun)15:53:00 編集
うん、こうした「文脈からの単語の意味の推定」ってのは、外国語に限らず自分のネイティヴ・ランゲージでもやりますよね。ただ、その場合、推定するのは端的な「意味」というよりも、それら「語」に担わされている「意味価」(discharge)であることが多いように思う。

本当に当たり前のことだけど、同じ言葉でも人によってそれに籠めている意味価は相当に異なったりする。たとえば、同じ「A」という語を発するにしても、それをある人は「+」に荷電させ、またある人は全く逆に「−」に荷電させていたりする。

そして、そうした意味価の決定にしても、そして端的に意味の決定にしても、それら語が発せられる「場=文脈」に拠る、と(ある部分で)言えるのだけど、面倒なのはそうした「場=文脈」もまさに「語」で形成されているということで、ここにかの有名な「解釈学的循環」が現れるわけでございます。

おれ個人の感触としては、本エントリでも述べたように、文脈中に現れる語の大体5割程度が「理解」できれば、推論エンジンがそれなりに作動する、と感じられるんだけど、これ、ちゃんと実験してみたいなあ。

やり方としては、未習言語を任意に一つ選び(既習言語からの類推が利きにくい、語族を異にしたものがベター)、文法をざっくり覚えた後、あるテクストのある一定の割合の語を無作為に選び、それらについてはその「意味」を調べて読解に取り掛かる、という感じ。

ああ、何かすげえやりたくなってきた。ちょっと、本屋行ってきます。
はやし 2005/11/27(Sun)17:01:00 編集
「意味価」(discharge)、って何を言っているんだ、おれは。もちろん、言うまでもなく、dis-なんて要りまへん。chargeだけでオッケー。で、ディスチャージっつったら、ハードコアパンクの祖なわけですが、おれ中学の頃はディスチャージのTシャツを着ちゃうようなハードコア野郎でしたもので……って、かんけーねーな。
はやし 2005/11/27(Sun)17:42:00 編集
ざあーと流し読みする。それも本全体の最低でも5分の1程度は連続して。この段階で、ほとんど何も理解できていない。この段階で意味不明な術語も山積されている。
次に、意味不明なところに適当にあてをつけて、結構ゆっくり読んでいく。
それでも、全く意味不明なときは、矢印や○や×なんか使って、絵というか漫画的文章を適当に紙に書きながら読んでいく。
それで、分からんとまた、流し読みにもどる。
これが、哲学書を読むときにいつもやるパタンです。
こういう読み方が良いのか悪いのか良くは分からないのですが。
原作たそがれ清兵衛 2005/11/28(Mon)03:47:00 編集
哲学書に限らず、理論的な著作ってのは大体原作たそがれ清兵衛さんが仰ったような読み方をしますよね。何にせよ、一回通読して終わり、ということにはならない。これは、良い悪い、という話ではなく、そうした本が必然的に要求するような読み方だと思います。ただ、ぼくの場合、本当にいい加減なので、リニアに読まないのは当然のこと、結局最後までちゃんと読まないパッセージがあったりします。
はやし 2005/11/28(Mon)22:46:00 編集
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