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先日からかなり、相当ひつこく続けている「アローの一般不可能性定理」のシリーズ。



前回までで、民主的決定にかぎらず、「(多人数による)決定」というものが何であれ要求するような前提について議論(っつーほどのもんではないけどさ)してきたんだけど、今回からは、そうした決定が「民主的」なものであるための要件について見ていこうと思う。

今日は、そうした要件のうち、「広範性の公理」を見てみよう。

  • 公理U(広範性)
    各個人がどんな選択肢をどんな順序で選好しようと自由である、ということを保証する。

これは、平ったく言うと、「決定に先立って、決定者の思惑を水路付けるようなことが為されていてはいけない」ということで、現実社会において不文律というかたちであれ実定法というかたちであれ、禁じられているか否かということとは関係なく、個人個人が何を思い考えようととりあえず勝手、ということ。

ここで、2つほど疑問に思うことが出てくる。

  1. そもそも、現実に広範性の公理は満たされているのか? 言い換えれば、われわれは決定に先立って、何らかの方向に水路付けられ、ある選択肢については表立って口にするのも禁じられているのではないか?
  2. また、そのような「水路付け」が本当にないとして、実際「何を考えようと、考えるだけなら構わない」と言い切れるのか?

1について考えてみると、実際問題そうはなっていない、つまり、実定的にというわけでなくとも、「共同体の暗黙の取り決め」とでもいうかたちで、そもそも選択肢に上ってこない事柄がある(たとえば、カニバリスムに関すること、殺人に関すること、そして「民主的決定」に関すること)。ということは、そもそもこの広範性の公理は満たされてはいないのだ。

じゃあ、そうした状況をより正確に描写する(ある局限された範囲内では、個人はどんな選好を表明してもよい)ためには、どうすればいいか?……ってことを考え始めるとちょっとメンドイんで、後回し(後々、考察には乗せるつもり)。今は疑問点2の方を主に考えることにしよう。



……って、また時間切れ(ああ、いっつもこのパターンだよ)。時間が出来たらすぐ続行させたいと思います。



アローの一般不可能性定理(ページ下にシリーズ一覧があります)

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