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何の本で読んだのだか忘れたのだけれど、徳富蘆花は邪な考えを起こさないように、もっと端的に言うと、女性を見て欲情を催さないように、墨だか何だかでガラス部分を塗りつぶした眼鏡をかけていたらしい。蘆花にとって、思念の中だけである女性と通じてしまうことは、現実に密通を犯すことと何ら変わりがないこととしてあったのだ。
そんな眼鏡をかけちゃうだなんて、明らかにやり過ぎ……そういう風に蘆花のことを、われわれは笑うことが出来るだろうか? 「思うことと、為すこととの間に、懸隔はない」とまで極端ではなくとも、少なくともある事柄に関しては「思うだけ」で批難の対象になるような、そいう社会にわれわれは生きているのではないか?
たとえば、宮崎勤が幼女を誘拐し殺害した当時、ある領域のメディアにヒステリックなまでの規制が敷かれた。このことは、それらのものが、宮崎をして幼女を誘拐し、そして殺害するに至らしめた原因である、と当局が考えていた、ということである。宮崎はロリもので幼女に興味を持ち、そして残虐なヴィデオを参考に猟奇的な犯行に及んだ……。つまり、そうしたものへの趣味嗜好を抱くことと、幼女を誘拐し殺害することという行動の間の懸隔は、ここではほとんどなきものと考えられている。
「火のないところに煙は立たない、つまり「社会」にとって害悪となる懼れのあるものは、予防的に、前もって、出来うる範囲で堰き止めておかなくてはならない、何かことが起こってから騒いでも仕方ないですからな……」。
だが、そもそもそうした「ロリもの」や「猟奇もの」に手を出すということは、それに先立って「ロリもの」、「猟奇もの」への嗜好がある程度形成されていなくてはならない。そういう趣味嗜好の因果系列は結局、「家庭環境」というような曖昧模糊とした「ファミリーロマンス」に回収されるか、先天的な要因に帰されるか、ということになる。そして、そういう説明は両者とも、被説明項に関してほとんど何も言っていないに等しい。
また、確かに、ある行動があって、それについての何らかの考えを抱いている方が、何の考えも抱いていない場合より、その行動をとりやすい、と一般的には言えるのかもしれない。しかし、大抵の「何らかの考え」は、実際に行動に移されることなく一瞬のニューロン発火として消えていくのだから、「何らかの考え」と「それに基づいた行動」をブリッジするものが別途探られなくてはならない。つまり、「何らかの考え」が抱かれるだけでは、そうしたことを実際に行動に移すには当然不十分で、「何らかの考えを行動に移そう」という「考え」が抱かれることが、それに基づいた行動を起こす上での必要条件となる。
そうした「何らかの考えを行動に移そう、という考え」はどこから来るのか?
……かように、議論は徐々に泥沼に入り込みつつあるのであった……。次回は逸脱ついでに、ディヴィドソンの「行為、理由、そして原因」(『行為と出来事』所収)でも読んでみようかと思います。
アローの一般不可能性定理(ページ下にシリーズ一覧があります)
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