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ノートルダム大学が出しているNotre Dame Philosophical Reviewsっていうオンライン哲学書書評ジャーナルを定期購読してるんだけど、それで『現実的な決定理論Realistic Decision Theory 』という本が紹介されていて、ちょっと気になった。
この前からかなりしつこく、決定理論というか、社会的選択理論をここで取り上げているけど、そこでも言ったように、従来の決定理論や社会的選択理論はその決定主体や選択主体にあまりにも非現実的な「合理性」を仮定している。もちろん、モデル化の過程ではそのような理想化はある程度仕方がないとはいえ、実際の決定主体や選択主体が持っているような、「完全無比なる合理性」から考えれば「ちょっと間の抜けた合理性」をモデル化できればサイコー……なんだけど、なかなかこれが難しい。
さらに、そういう主体側の問題に加えて、決定や選択が行われる「状況」のモデリングの問題もある。この「状況」のモデリングに関して、これまであまり触れてこなかったけど、このことについても、従来の理論では「理想的な状況」というものを想定してモデリングが為されてきたわけで、これも実際の状況をヨリ反映させてモデリングができれば……なんだけど、これもこれでなかなか、というか相当難しい。
そのような主体側・客体側の「現実的な」扱いのために、『現実的な決定理論』の著者Weirichが持ち出すのが「受容原理principle of acceptability 」というものなんだけど……正直、イマイチ何がどう効いているのかよく分かりまへん。
もっかい件の書評を読み返して考え直して見ます。
とはいえ、実際に何かを決定するに当たって、「いやこれは規範的・論理的にはこうだから……」なんて言ってたら、決まるものも決まらないし、大体、規範的意思決定が前提する主体も環境も「理想的」なわけだから、たとえ自分一人が完全無欠に合理的で規範的意思決定を恙無くやりおおせても、周りの競合的意思決定主体が限定合理性しか有していなかったら、結果的に全然「合理的」な意思決定を下せたとは言えないわけです。
しかも、サイモンの言うように、現実というのはたいてい非構造的(そもそも数理的な形式化ができない)、よくってせいぜい半構造的(近似的にしか形式化できない)なものですからねえ。
ただ、じゃあ斯様な形式的な意思決定論ってのは空理空論かって言ったらそんなことはなくって、現実的なシチュエーションでも十分役に立つとは思うんだけど、それには、上述のような手法の限界や制限をよくよく心得ておくことが肝要なのではないかと思う次第でございます。
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