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何かについての決定が迫られているとする。もし、その決議の場が民主的なものであるのなら、その決定は多数決原理に則って行われるだろう。そして、その多数決の結果、全員一致でその何かについてのある選択肢を選んだのならば、これはもう悩むことはない、その決定を受け入れるべきである……。
この場合、「多数決原理」に度々寄せられる批判、「その原理の下では、多数に少数が圧し潰される」という憂いはない。何しろ、「全員一致」である以上、「圧し潰される」ような少数は存在のしようもないのだから。
だが、「全員一致」で選んだその選択肢が、もし間違っていたらどうであろうか?
もちろん、この問いそれ自体にも、片付けなければならない問題がある。まず何より、どのようにしてその選んだ選択肢が「間違っていた」と判断できるのか? この問いへの答えとしては、次のようなものが想定される。
- その選択肢を選んだ「全員」以外の視点を導入する
- その選択肢を選んだ結果で判断する
1の答えは「民主的決定」の前提ゆえにとりあえず「論外」としよう(しかし、こうした「論外」なことが「民主的」を標榜する国家で行われているのを見ることは、それほど稀なことではないだろう)。それでは2の答え、つまり、その選択が齎した結果から、遡及的にその決定を評価するのはどうだろう?
実践的な意味合いにおいては、つまり、また斯様な決定をしなければならないときの参照点としては、大いに意味のあるものだろう。だが、あくまで後に行われるであろう決定にとって「意味がある」だけで、すでに行われてしまった当の決定については、「今さらそんなこと言われてもなあ」というものであろう。しかも、その「間違った選択」は「全員一致」で為されたのだから、自業自得、それが間違っていたことから生じる不利益は甘んじてその「全員」で受け入れるべきだ、と言われても仕方がない……。
このように2の答えは、まさにその決定を為さんとするそのときには、当たり前だが役に立たない。だが、「全員一致」である選択肢を選んだとき、その決定が「全員一致」で間違えである可能性を、除去、とまではいかないまでも、軽減することは出来ないものか?
……って、何の考えもなしに書き進めてきたけど、ちったあ考えをまとめてから書かないとダメだな。これじゃ、山本七平の、何の根拠もないらしい「ユダヤ人の間では、全員一致の決議は無効とされる」というところに落着してしまう……って、それに根拠があろうとなかろうと、それも案外いい考えなんじゃない?と思うおれであった。
でも、ほんと、考えれば考えるほど、多人数による「決定」ってのは、色んなパラメータが絡んできて難しいっす。
ちなみに、この記事、シリーズ「アローの一般不可能性定理」の一部、「パレート原理編」として書かれました。
アローの一般不可能性定理(ページ下にシリーズ一覧があります)
>We think or say something in a given time and a give place.
深読みに過ぎるのかもしれませんがはやしさんの話は、かなり「大ネタ」で七転八倒してレスが書けません。 言い訳すると部分と全体、単独性と普遍性、個と類...全部関わる話だし。
で、場違い承知でブログのエントリに区いつかさせていただきます。
>ユダヤ人の間では、全員一致の決議は無効とされる
そのルールが告知されてしまうと、例えば10人いて9人まで賛成、そこであと一人が賛成すると上記のルールだと流れてしまう、とすると最後の一人が賛成、反対のいずれかとしてもその真意は判らない、決定不能になるのではないでしょうか。(元ネタが判らないんでスットコどっこいな事言っていたらすいません。)
無記名投票だと「俺は本当は賛成なんだけど、全員賛成だとまずいから保険を掛けて反対票を投じるか、しかし、まてよ、全員がそう思って反対、あるいは過半数が反対したら流れてしまう」
「俺はこう思う」じゃなくて他人様のご意向を慮らなければならないわけで、ケインズの「美人投票」的世界になるんじゃないか、と思ったり。
全員一致って、一つには「よう判らんから何んでもいいか」 という判断停止状態があり、具体的には「他の店休みだし、あそこは何でもゲロマズだからみんなザルそば(出前)でいいよね」という消極的合意。しかし、なぜか「俺パス、コンビにいくから」「じゃ、俺も」って崩れてしまう事多いですけど。
もう一つは政治的決断主義、反ハイデガー派のギャグですが「俺は決断したぞ、中身は知らんが」っていう政治的熱狂、ある意味でザルそばと変わらんかもしれません。
某都知事が銀行に対する外形標準課税を実施した時、共産党、生活者ネットに至るまで賛成したんですが、顛末はご承知の通り裁判に負けて、某東京都は莫大な損失を負いました。で、みんなシラバックれて責任をとらない、問わない、手続きが正統であれば中身の正当性は問わないってことなんでしょうか....あっ女性議員が一人だけ反対しましたね。
それで、コメントを頂いたこのエントリに関してですが、バルタンさんが想定しているその状況は、ゲーム理論のジャーゴンで言うと「協力ゲーム」ですよね。ぼくは、とりあえず取り立てたら反省もなく非協力ゲームの枠組みで考えていたのですが、それもありだと思います。ただ、その結論に関して、バルタンさんの言うように「解は定まらない」という気はなんとなくするのですが、実はこれ「繰り返しゲーム」なので、ある均衡に至る、つまり「解が存在する」可能性も大いにあります。まあ、ちゃんとそれを証明するなら、特性函数とか作ってこしゃこしゃやらんといかんわけですが……。
あと、シュミット流の決断主義に関しては、ちょっと色々思うところがあるのですが、今は考えがまとまらない、というか、ただただ眠いのみで、こういうときは何を言っても碌なことがないので、おとなしく寝ます!
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