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数学は、そもそもそれが正当化されることがありうるとすれば、藝術として正当化されなければならない1

ハーディさん、そ、それはちと言いすぎなんじゃ……。そんな感慨を、「数学=役立たず」観を共有するおれをもってしても抱かせてしまう、強硬な言いきり。とはいえ、ここでとりあえず「藝術」と訳した"arts"は、言うまでもなく「技藝」あるいは「技」あるいは「術」などとも訳せるわけで、"arts"というこの語のそれら意味群をも考えあわせれば、「なければならない must」はちと言いすぎのきらいがあるにしても、まあ、そかもね。


1 G. H. Hardy, A Mathematician's Apology, Sec. 28. 文中強調は引用者による。

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本来は我々に認識され得ない「現れうるすべて」を、我々に認識可能ななんらかの形で表現されたもの、またはその表現の技法。

それを「藝術」と呼ぶのなら、
もちろん「数学は、そもそもそれが正当化されることがありうるとすれば、藝術として正当化されなければならない。」

役に立とうと立つまいと…
完全に同意する!


宮本浩樹 2008/12/04(Thu)21:32:02 編集
いや、そもそも、この命題自体は条件法の構成になってるわけで、かりに「数学が正当化されることがありうる」にしても、「正当化されなければならない」ということはさらさらないわけで、となると、それが「藝術」であるかどうか、ということですら、どうでもいいのではないかと。
はやし 2008/12/05(Fri)14:00:05 編集
「正当化される」というのが、実際的な有用性っていうか、「実体化しうる価値に変換可能な」っていう意味合いで言われるのなら…

「藝術」だって我々の生に意味を与えるっていう意味で…

ああ、だめだ
この辺のところがATLSを立ち上げた基本的なところにあると思うし、メンバー(?)の最近の関心事でもあると感じたからあえて茶々入れしたけど…

宮本浩樹 2008/12/05(Fri)22:48:10 編集
「我々の生に意味を与える」なんて言ってるようじゃ、ほんとだめだよ。
はやし 2008/12/06(Sat)10:06:40 編集
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