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このあいだオフィスでやや年配の先生と話しているとき、ふとしたことから「そういや、おれの知ってる人が、ヴィッゲンシュタインの授業に出てたらしいよ」とのたまった。とうぜんおれは、ええっ!となって、いろいろ細かいことを問いただそうとするも、「いや、おれが自分で出てたわけじゃないから、くわしいことは知らないよ」といなされてしまった。
もちろん、かりにその先生が、ヴィッゲンシュタインの授業に出ていたその人から授業風景の話などをそれなりにくわしく聞いており、そしてその話をおれが聞けたとしても、それはまた聞きのまた聞きにすぎないわけで、じゅんすいに内容的な側面から言えば、そういう「また聞きのまた聞き」なぞせずとも、ヴィッゲンシュタインに関しては、それなり(あくまで、それなり)に信を置ける授業の記録のようなものも残っている。だから、もしそのような「また聞きのまた聞き」が成就していたとしても、たいしたことではない。
ただ、ヴィッゲンシュタインのような、ほとんど「伝説的」とも言える位置を哲学史上に得てしまい、結果、おれのようなそれなりに若い世代にとっては「文物を通して知るだけ」という人物が、「じっさいに生きていたんだ」という、ごく当たり前ではあるけど、と同時に容易に忘れられがちな事実に、否が応でも気づかせてくれる(このあいだデネットに会ったときも、「ああ、この人はクワインの授業を受けていたんだな」と思った)。
そういう「気づき」自体、たいしたことではない、というか、「そんなことぐらい、自分で気づけ」ということであるかもしれないが、やはり、そういうことがあると、その人(この場合では、ヴィッゲンシュタインやクワイン)の書いたものを読むとき、その接し方はあきらかにちがってくる。それが、いいことなのか、わるいことなのか、はたまた、どうでもいいことなのか、分からない。だが、主観的に受ける「感じ」としては、そういうのはわるくない、と思う。
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