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だいぶ前にちょろっと紹介したことのあるUbuWebに、ウィーン・アクション派(ドイツ語原名: Wiener Aktionismus。たまに、「ウィーン・アクツィオニスムス」などと英独発音をごっちゃにしたきもちのわるい記述を見かけることがあるけど、そういう人には天誅が下ればよいと思う)の映像がめったくそあるのを見つけた。
そこには、ちょっと前にちょろっと言及したヘルマン・ニッチのアクツィオンはもちろんのこと、オットー・ミュールのやつもあって(まあ、当然なんだけど)、ここいらの情報はせいぜいスチルどまりが当たり前だったおれのような人間には、ひじょうにありがたい。
ちなみに、メルツバウの初期テープ作Material Actionは、オットー・ミュールの連作アクションの名前から採られているので、メルツバウワー(いま造語)もぜひにどうぞ。
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UBUWEBすごいですよねー自分も以前フルクサスのレポートを作成した際いくらか参照しました。
ところで全然話が変わってしまうのですが、はやしさんは概念先行の芸術(コンセプチュアルアートとか)ってどう思いますか?僕は芸術なんて形式あって何ぼだと思ってるので、思想云々に重点を置くのってどうなのって感じてるんですが。ここ最近ずっと気になってたのですが聞く相手もおらず苦悩しておりました、よろしければお返事くださいー
ところで全然話が変わってしまうのですが、はやしさんは概念先行の芸術(コンセプチュアルアートとか)ってどう思いますか?僕は芸術なんて形式あって何ぼだと思ってるので、思想云々に重点を置くのってどうなのって感じてるんですが。ここ最近ずっと気になってたのですが聞く相手もおらず苦悩しておりました、よろしければお返事くださいー
UbuWebはほんと、「宝の山」といった感じで、「すごい」以外に形容のことばがちょっと見つからないですよね。ここを知ったのはけっこう前なのですが、アーカイヴされている情報量がとにかくべらぼうで、いまだにほとんど逍遥できていません。
さて、藝術作品における「内容(概念)と形式(現れ)」についてですが、西洋美術史において内容(概念)を欠いた作品ってのは、じつはそれほど出自の古いものではないんですね。つまり、(少なくともその「たてまえ」的には)藝術作品、とくに絵画は、その「現れ」のうらに「内容」を持っているのが常であり、言ってみれば「概念先行」であったのです(だから、たまに「コンセプチュアル・アートとは、概念を重視する藝術であり……」というのは端的に誤りであって、問われるべきは、「概念をいかに表すか」、あるいは「概念の活用形態」なのです)。
ただ、とはいえ、今日のいわゆる「コンセプチュアル・アート」と呼ばれる作品群の「コンセプト」と、たとえばルネサンス期の作家たちが依拠した「コンセプト」とは、やはりその性質を異にするわけで、古典絵画における「コンセプト」が固定的であるのに対し、いわゆる「コンセプチュアル・アート」の「コンセプト」は、「それをひねり出したら創作活動はほとんどなされたも同然」という体のものだったりするわけです。
そうなると、「やっぱり『コンセプチュアル・アートとは、概念を重視する藝術』という措定は当たってんじゃん」となりそうなんですが、ぼくはそこに「奇妙なねじれ」とでも言うべきものを見ていて、いわゆる「コンセプチュアル・アート」と呼びならわされるものには、「形式の純粋な現れ」、あるいはもっとかんたんには「コンセプトなんてどうでもよくって、その『現れ』だけで『おおっ!』となれる」、そういうものが少なくないように思うんですね(オットー・ミュールの諸アクションなんて、そのコンセプトを聞いたらむしろ萎えちゃうようなものです)。
……と、何やら返答になっているのやら分からないものになってしまいましたが、ぼくは(即自的には)藝術作品に「おどろき」というか「おおっ!」という「感じ」を求めているので、そういう点ではあっちゃまんさんと同様な感慨を「頭でっかちな藝術」に対していだきますが、同時に、「藝術における概念の効用」というものにも一定の評価を与えてはいるので(たとえば、ギリシア神話やキリスト教から主題を採った作品を見る場合、それらが扱う「内容」を押さえておいてほうが、かくだんに味わいがふかまります)、理想的には「内容と形式のバランスの取れた二人三脚」が最高かな、とおもしろみのかけらもない優等生的返答でお茶をにごしておきます。
さて、藝術作品における「内容(概念)と形式(現れ)」についてですが、西洋美術史において内容(概念)を欠いた作品ってのは、じつはそれほど出自の古いものではないんですね。つまり、(少なくともその「たてまえ」的には)藝術作品、とくに絵画は、その「現れ」のうらに「内容」を持っているのが常であり、言ってみれば「概念先行」であったのです(だから、たまに「コンセプチュアル・アートとは、概念を重視する藝術であり……」というのは端的に誤りであって、問われるべきは、「概念をいかに表すか」、あるいは「概念の活用形態」なのです)。
ただ、とはいえ、今日のいわゆる「コンセプチュアル・アート」と呼ばれる作品群の「コンセプト」と、たとえばルネサンス期の作家たちが依拠した「コンセプト」とは、やはりその性質を異にするわけで、古典絵画における「コンセプト」が固定的であるのに対し、いわゆる「コンセプチュアル・アート」の「コンセプト」は、「それをひねり出したら創作活動はほとんどなされたも同然」という体のものだったりするわけです。
そうなると、「やっぱり『コンセプチュアル・アートとは、概念を重視する藝術』という措定は当たってんじゃん」となりそうなんですが、ぼくはそこに「奇妙なねじれ」とでも言うべきものを見ていて、いわゆる「コンセプチュアル・アート」と呼びならわされるものには、「形式の純粋な現れ」、あるいはもっとかんたんには「コンセプトなんてどうでもよくって、その『現れ』だけで『おおっ!』となれる」、そういうものが少なくないように思うんですね(オットー・ミュールの諸アクションなんて、そのコンセプトを聞いたらむしろ萎えちゃうようなものです)。
……と、何やら返答になっているのやら分からないものになってしまいましたが、ぼくは(即自的には)藝術作品に「おどろき」というか「おおっ!」という「感じ」を求めているので、そういう点ではあっちゃまんさんと同様な感慨を「頭でっかちな藝術」に対していだきますが、同時に、「藝術における概念の効用」というものにも一定の評価を与えてはいるので(たとえば、ギリシア神話やキリスト教から主題を採った作品を見る場合、それらが扱う「内容」を押さえておいてほうが、かくだんに味わいがふかまります)、理想的には「内容と形式のバランスの取れた二人三脚」が最高かな、とおもしろみのかけらもない優等生的返答でお茶をにごしておきます。
返信ありがとうございます!
「「現れ」のうらに「内容」を持っている」という事の意味するところと、その程度如何が問題なのかな、と思います。
まず意味については、”作品にはアーティストの意図が作用している”という程度に解釈するのが真っ当でしょうか。しかし、芸術を概念的に解釈する際当たり前のように前提とされているこの命題は結構怪しいもんだと思います。街頭で適当に取った音を適当にサンプリングして「ポストモダン的な差異の戯れを表現した」なんて言われてもアホちゃうかと思うわけです。概念がいくら高尚であっても、それが直ちに芸術性の評価につながるわけではない。いい芸術がいい芸術であるのは思想的な次元に還元しきれないような”音を操作する技術的な力量”こそが作品に決定的な作用を及ぼすからなのではないでしょうか。
現代芸術がかなり概念的であるのに対して、それに対置する最たるものをポピュラーミュージックに見出せないでしょうか。セックスピストルズなんてなんも考えてなかっただろって思うんですよね(笑)(上野俊哉がシチュアシオニスムをパンクムーブメントに結び付けてましたが。)スタジオボイスやレコードコレクターズに載るようなポピュラーミュージックの系譜なんて実際ただバンド名を羅列しただけで時系列に因果関係が全くない。アーティストが「~から影響をうけた」なんて言っても、本当の因果関係を個人が認識できるとは限らないというテーゼは社会学では常識です。
芸術って本来語り様の無いものなんじゃないでしょうか。本来語り様のないものに対して思想的な軸をたててながめたところうまく説明できた、と。そういう現代芸術に対して、概念より形式重視のポピュラーミュージックにおいてはそれが不可能だから、系譜をたどっても表面的な記述に終わってしまう。
ただ、芸術ってのは内容と形式のどちらか一方だけ有するものなのではなく、それぞれが線分の両極をなし、その間を絶えず揺れ動くものなのではないかなとも思います。それぞれにそれぞれの楽しみ方がある。はやしさんもおっしゃるとおり、コンセプチュアルアートに限らず概念云々を捨象しても楽しめる芸術は満ち溢れています。確かに奇妙なねじれですね(笑)
「「現れ」のうらに「内容」を持っている」という事の意味するところと、その程度如何が問題なのかな、と思います。
まず意味については、”作品にはアーティストの意図が作用している”という程度に解釈するのが真っ当でしょうか。しかし、芸術を概念的に解釈する際当たり前のように前提とされているこの命題は結構怪しいもんだと思います。街頭で適当に取った音を適当にサンプリングして「ポストモダン的な差異の戯れを表現した」なんて言われてもアホちゃうかと思うわけです。概念がいくら高尚であっても、それが直ちに芸術性の評価につながるわけではない。いい芸術がいい芸術であるのは思想的な次元に還元しきれないような”音を操作する技術的な力量”こそが作品に決定的な作用を及ぼすからなのではないでしょうか。
現代芸術がかなり概念的であるのに対して、それに対置する最たるものをポピュラーミュージックに見出せないでしょうか。セックスピストルズなんてなんも考えてなかっただろって思うんですよね(笑)(上野俊哉がシチュアシオニスムをパンクムーブメントに結び付けてましたが。)スタジオボイスやレコードコレクターズに載るようなポピュラーミュージックの系譜なんて実際ただバンド名を羅列しただけで時系列に因果関係が全くない。アーティストが「~から影響をうけた」なんて言っても、本当の因果関係を個人が認識できるとは限らないというテーゼは社会学では常識です。
芸術って本来語り様の無いものなんじゃないでしょうか。本来語り様のないものに対して思想的な軸をたててながめたところうまく説明できた、と。そういう現代芸術に対して、概念より形式重視のポピュラーミュージックにおいてはそれが不可能だから、系譜をたどっても表面的な記述に終わってしまう。
ただ、芸術ってのは内容と形式のどちらか一方だけ有するものなのではなく、それぞれが線分の両極をなし、その間を絶えず揺れ動くものなのではないかなとも思います。それぞれにそれぞれの楽しみ方がある。はやしさんもおっしゃるとおり、コンセプチュアルアートに限らず概念云々を捨象しても楽しめる芸術は満ち溢れています。確かに奇妙なねじれですね(笑)
あっちゃまんさんが言う「いい芸術がいい芸術であるのは思想的な次元に還元しきれないような”音を操作する技術的な力量”こそが作品に決定的な作用を及ぼす」というのは、かんぜんに同意なんですよ。ぼくも、音楽に限らず、なべて「藝術作品の質」というのは99%がた「技術」で決まる、と思います(そもそも、日本語では慣例的に「藝術家」と訳されるartistは、字義どりには「術をあやつるもの」の謂いですから)。
ただ、だからといって、残りの1%のconcept(このconceptという語を「概念」と訳してしまうと、その指すところの幅が有意に狭まってしまいますので、あえてconceptと訳さずに運用します)が重要ではないと思えないんですね。やっぱり、「こりゃすげえ」と唸らされるものはおうおうにして、(「それ自体」として即自的に観じたときの評価はべつとして)けっこうかっちりとしたconceptを持っているように思えます(ここいらはもちろん、具体例を挙げつつ論点を補強すべきところですが、勝手ながらそれは省略します)。
あと、藝術においてconceptが重要なのは、conceptの「概念」という以外の意味、つまり「着想」(語源的にはこっちの意味のほうがconceptの語義に沿っている)とでも訳せる側面だと思います。そう考えると、パンクなども「細かいことは気にせずに、スリーコードをいきおいだけでかき鳴らせ!」というりっぱなconceptを持っているわけです。
だから、たぶん、あっちゃまんさんが引っかかっているのは、こうして捉えられたところのconceptというより、藝術(とくに、語頭に「現代」という限定辞をともなって言われるそれ)における「理知」的側面の前景化ということだと思うんですが、たしかに、あまりにその「理知的」とでも言うべき側面に頼りすぎると、本末転倒と言うか、「それを『藝術』の名の下にpresentする必然性があるのか?」といぶかしくなってしまうようなものになってしまう。とはいえ、そうした「理知」(概念=何らかの物理現象として表に現れないもの)と「(空気の振動なり、光の屈折なりの)現れ」との輻輳関係というのもやはり無視できない。
繰りかえせば、そうした「理知」的側面が「こけおどし」、あるいは「現れで表現できないものの補填」として用いられる、あまり感心できない例の枚挙にいとまはありません。そして、ぼく個人としては、音楽藝術に限って言えば、そういう「こけおどし」はなしで済ませてもらいたいと思う。しかし、これも上で言ったことのほとんど繰りかえしになりますが、「理知」的(あるいは概念的)側面の「触媒」としての役割、つまり、作品の享受者にとってはそれを知らなくてもかまわないが、その制作者にとっては重要であるような、そんな側面がかくじつに存在します。
ゆえに、結論は前のコメントとほとんどかわらず、それが「理知的」と呼ばれるものであれ「概念的」と呼ばれるものであれ、それがわれわれの藝術享受経験を何らかのかたちでゆたかにしてくれれば、それでいいのです。
ただ、だからといって、残りの1%のconcept(このconceptという語を「概念」と訳してしまうと、その指すところの幅が有意に狭まってしまいますので、あえてconceptと訳さずに運用します)が重要ではないと思えないんですね。やっぱり、「こりゃすげえ」と唸らされるものはおうおうにして、(「それ自体」として即自的に観じたときの評価はべつとして)けっこうかっちりとしたconceptを持っているように思えます(ここいらはもちろん、具体例を挙げつつ論点を補強すべきところですが、勝手ながらそれは省略します)。
あと、藝術においてconceptが重要なのは、conceptの「概念」という以外の意味、つまり「着想」(語源的にはこっちの意味のほうがconceptの語義に沿っている)とでも訳せる側面だと思います。そう考えると、パンクなども「細かいことは気にせずに、スリーコードをいきおいだけでかき鳴らせ!」というりっぱなconceptを持っているわけです。
だから、たぶん、あっちゃまんさんが引っかかっているのは、こうして捉えられたところのconceptというより、藝術(とくに、語頭に「現代」という限定辞をともなって言われるそれ)における「理知」的側面の前景化ということだと思うんですが、たしかに、あまりにその「理知的」とでも言うべき側面に頼りすぎると、本末転倒と言うか、「それを『藝術』の名の下にpresentする必然性があるのか?」といぶかしくなってしまうようなものになってしまう。とはいえ、そうした「理知」(概念=何らかの物理現象として表に現れないもの)と「(空気の振動なり、光の屈折なりの)現れ」との輻輳関係というのもやはり無視できない。
繰りかえせば、そうした「理知」的側面が「こけおどし」、あるいは「現れで表現できないものの補填」として用いられる、あまり感心できない例の枚挙にいとまはありません。そして、ぼく個人としては、音楽藝術に限って言えば、そういう「こけおどし」はなしで済ませてもらいたいと思う。しかし、これも上で言ったことのほとんど繰りかえしになりますが、「理知」的(あるいは概念的)側面の「触媒」としての役割、つまり、作品の享受者にとってはそれを知らなくてもかまわないが、その制作者にとっては重要であるような、そんな側面がかくじつに存在します。
ゆえに、結論は前のコメントとほとんどかわらず、それが「理知的」と呼ばれるものであれ「概念的」と呼ばれるものであれ、それがわれわれの藝術享受経験を何らかのかたちでゆたかにしてくれれば、それでいいのです。
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