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「ドライアウト」とは、最初イギリスのホスピス看護婦の間で見られた、一種の神経症らしい。

看護婦というものは基本的に、「病人を救うこと」を教えられ、看護婦になる。しかし、ホスピスや終末医療の場に配属された看護婦は、「病人を救う」どころか、その「死」への緩慢な道のりの併走者であるに過ぎないと自分を思うようになる……。

ひどい場合は、「どうせ助からないのなら……」と、患者に毒を注射して回ったり、という沙汰にまでなるらしい……。ゆえに、イギリスのホスピスでは、ある一定期間をおいて看護婦を、小児科などの「ほぼ絶対に助かる」という病人がいる科に配属し、「病人を救う」という「本来」の任務を再確認させるらしい。



丹生谷貴志はこのことに触れて、「現代日本人」はまさに、この「ドライアウト」にあるのではないか、と言う。

やるべきこと、なさねばならぬことがあるはず……。しかし、そんなものはどこにも見つからず、さらに、われわれはいずれは死んでしまう……。

しかし、そうではないのだ。

やるべきこと、なさねばならぬことなど、何もない。

そうではなく、「やるべきこと、なさねばならぬことなど、何もない」という状態から出発する……まずなすべきは、「やるべきこと、なさねばならぬこと」を見つけることではなく、「そんなものなどない」ということを認めることなのだ。



わが身を振り返る。

ぼくはこのようにブログなんぞというものを、強迫観念に駆られる形で毎日更新し続けているが、書きたいこと、主張したいことなど、何もない。

あたかも、何か言わなければならず、書かなければならないと思わせるようなことが、巷間には溢れている。だが、それはほんとにそうなのか? 少なくとも、この「ぼく」が、それらのことについて贅言を重ねる必然性など、全くないのではないのか?

そう、そんな必然も必要も、ないのである。

そうした「からっぽ」の状態、疲弊し、汲み尽くされた(épuisé)状態から出発し、そこに留まること。



さて、そういう「ねばならぬ」の絶対零度地帯に、あとどれだけ留まっていられるものか……。





追記@2006年7月12日
このエントリへのスパムコメントがあんまりにも多かったので、いったん元エントリを消去したのち、再投稿しました。ゆえに、それに伴いこのエントリに寄せてもらったコメントも消えてしまったので、下に再掲します。可読性の低さはご容赦ください。




「死は敗北である。」
っていう近代医療の不文律がいまだに影を落としてる現在。
ホスピスなんていう死を受容する為の施設は作っても、関係する人間の方の意識の変化はやはり遅れがちなのでしょう。

「生」が敗北であった人達にとっては、死も敗北であるのは当然の事です。
死を最後の負けにしたくないものです。
生きてる間どれだけ負け続けたにせよ・・・
commented by 宮本浩樹
posted at 2005-03-12 10:36:15

はやしさん、大丈夫ですか。急に論調が変わったので、仲良くしていただいている私としては、ちょっと心配になりました。私が単なる心配性で誤解してるだけで、ご心配に及ぶようなことでもなく、私自身の笑い話だけなのかもしれませんが。
まあ、私は、ニーチェ主義者とも言える人なので、大事なのは物事のもつ意味の追求ではなく、自分なりの解釈や価値評価を打ち立てるだと考えています。
死を見つめるのは確かにそれなりに大切なのですが、それよりもっともっと大切なのは、「死」や「虚無」に思いを馳せ、そして「生」や「(思考における)快楽的現実」に思いを馳せ、そしてその両方を行ったり来たりできるという「思考の持つ健康さ」を保つことだと思います。
ドゥルーズが言っているように、決して病や死は、深い思考の源泉ではありません。
「死」の側面から「生」を捉える、これこそ、ニーチェが最も忌み嫌ったものです。
病歴を持つ私自身を見るに、過去においてはそういう傾向は非常に強くありました。
しかし今は私は自分の思考したいこと思考し、そしてそれなりに行動もできたら、寿命がきたときにごくごく普通に、そしてとても静かに死ねると思っています。
病歴があり、本当に死を思ったことは数えきれないです。でも、今は本当に楽しく生きていますよ。
よく、ドゥルーズの最期について色々とあちこちで 言われています。
でも、私は、ドゥルーズの最期って、あれは、単に彼自身の身体的限界から、「死」に思いを馳せ、そして「生」に思いを馳せ、そしてその両方を行ったり来たりできるという健康さがなくなっただけの事で、そういう単純な事実の帰結なのであって、彼が説いた非常に幸せとも言える思想と何の関係もないことだと思っています。彼の死は、確かに事実としては自殺ですが、彼なりの寿命だったのでしょうね。スピノザ風に言うと、健康面で悪しき出会いがあっただけです。その出会いは、ドゥルーズの思考と関係のないところで発生しています。
明日、私が交通事故で死んでも、それは自動車との悪しき出会いがあったせいで、今の私自身とは何の関係もないことと同じです。
まあ、ブログを毎日更新されるのは、本当にとても骨が折れて疲れることだと思います。
しんどければ、是非とも積極的な意味で少しの間休んでみてください。
(蛇足ながら、相場師の世界には「休むも相場」という格言があり、要は一流の相場師は、積極的に適当に休みを自分でとれるのに、二流以下の人は相場に追い立てられるように精神的余裕がなくて、そのせいで相場をやすめない。そして精神面、体力面、思考面から勝手に自滅してしまうということです。)
僕は、はやしさんがブログを作ってくださったおかげで、はやしさんに出会えるという非常な幸運に恵まれました。
でも、はやしさんが、それで少し疲れられたのなら、本当に少し休んでくださいね。
僕は、はやしさんがブログをお休みされるより、はやしさんという素晴らしい「知の友」を失うことのほうがよほど悲しいですよ。
commented by 原作たそがれ清兵衛
posted at 2005-03-12 13:00:57

宮本さん、こんにちは!

そう、世間では「死」というものはある意味「負け」として認知されているのかもしれない。それに「死」というものには抗いがたい「何か」が潜んでいるように思えたりもする。

でも、ぼくはそういう「死」の思わせぶりな捉え方にとことん反対だ。死は死であって、それ以上でも以下でもない。そこには何の神秘もない。ただ、それをあたかもそれ以上と思ってしまう人間がいるだけだ。あ、これ、別に宮本さんに言ってる、って訳じゃなく、一般論として、ね。

それから、具体的に生きてる中で諸々の「局地戦」はもちろん闘っていかなくちゃならないこともあると思うんだけど、そもそもこの「生」を「勝ち/負け」のアナロジーで語ってしまう、そのことをぼくは打破したい。

繰り返す。死なんてほんと、何ほどのこともない。この「生きて、在る」ということに比べれば……。
commented by はやし
posted at 2005-03-12 13:40:20

原作たそがれ清兵衛さん、こんにちは! 何か、無用のご心配をおかけしちゃったみたいで、ほんとのほんとに申し訳ないです!

ぼくの死に対する考え方は、大略宮本さんへの返事で言ったような感じです。もちろん、「死」という出来事のもたらす諸々に関して、あれやこれやの想いを馳せないではないですが、基本的にそれほど重きを置く事柄ではない、というか、過大に「死」というものを取り扱ってはならない、と思います。

で、丹生谷貴志をちょっと読み返して、その勢いで「耽美的」な書き方(というか、丹生谷貴志の文体模写を試みてみた)になっちゃったのがまずかったのですが、このエントリでぼくが書きたかったことってのは、実はあんまり、というか、ほとんど「死」というものとは関係なく、何もかもぎりぎりまで削ぎ落とされた、鉱物のような言葉を綴ってみたい、という、決意表明のようなものです。

ぼくはこうしてブログを書いてはいますが、それはほとんど外的な何かに、それも「突き動かされる」というほどでもなく、「じゃあ、書いてみっか」という軽いノリでものしているので、そうではない湧き上がるような、それこそ「生」そのものであるような一筆というものを書きたいのです。

ただ、やはりこれは難しい。先述の丹生谷貴志の比喩を借りれば、さしずめぼくは「演奏衝動はやたらあるのに、作曲能力に欠けているジャズミュージシャン」といった風情でしょうか。ただまあ、それならそれで、演奏能力を磨くか、と、原作たそがれ清兵衛さんに負けず劣らず能天気なぼくは考えちゃいますが。

というわけで、若干風邪気味ではありますが全然疲れてはいません!

最後に、ぼくの拙い筆致が招いた誤解が元だとはいえ、原作たそがれ清兵衛さんの温かい励ましはうれしかったです。ありがとうございました。

これからもまだまだ突き進んでいくつもり、というか、まだまだ汲み尽くされ具合が足りないので、もっと速度を上げて……なんて書くとまた心配させちゃうかな。

何にせよ、これからもよろしくお願いします! 
commented by はやし
posted at 2005-03-12 14:05:46

それと、これは非常な蛇足というか、無粋な発言でもあるんですが、実はこのエントリ、閣下がもう一つの場所で書いている記事に触発されて、で、閣下も最近ちょっと調子が芳しくないのでは、と勝手に思ったこともあり(そしてこれも誤解であればめでたいことです)、ある意味「エール」のつもりで書いたんですが、多分そういう風には読めない代物なんだろうな……。うーむ。
commented by はやし
posted at 2005-03-12 14:12:48

はやしさんの決意表明には共感し、なにもコメントすべき事がなかったので、朝の私のコメントは、おそらく丹生谷貴志氏の引用であろうホスピスの看護婦の話についてのものです。
妻が看護師なので医療現場での死の捉え方とその変遷については良く話を聞きます。「死は敗北である。」というより「死は敵である。」という感じでしょうか。

「生死一如」
の立場からすればそれらは「生」を敗北とし、敵とするのと同じ愚かな考えと見えます。
表が有って裏のない紙や、裏が有って表の無い紙が無いように、
死の無い生、や、生の無い死があり得ないのなら、我々の知るべきは一である「生死」の様相であり、その一面的な認知である「生」や「死」では無いはずです。

原作たそがれ清兵衛さん(はじめまして)のおっしゃる

「死」に思いを馳せ、そして「生」に思いを馳せ、そしてその両方を行ったり来たりできるという健康さ
と同じ事を言っているのかもですが。

いやしかし、いつもいつも本題からはずしまくりで、自分の言いたい事ばかり言ってすいません。

はやしさんの決意
やるべきこと、なさねばならぬことなど、何もない。

「義務や規律にもとづいて活動している人間、自分の活動が理念的計画から導かれるのだとうそぶく人間。」― 〈帝国〉より引用。
にだけはならないぞ!という宣言と受け取りました。
commented by 宮本浩樹
posted at 2005-03-12 15:36:13

そうかあ、奥さんが看護婦さんかあ。そりゃ、こんな外野からの観念的な「死」談義には、一言言いたくもなろうというもの。

で、確かに医療の現場において「死」は忌むべき敵だというのはほんとにそうだと思うんだけど、「死」、翻ってはその「生」の手綱を医師が*一手に*握ってしまっている、というのは、やっぱりどうかなあ、とも思う。

生死一如、ってほんとそうだな。生あっての死だし、死あっての生だ、という。でもそれなのに、その生は置き去りに、死だけのみ語られてしまう傾向というのもあると思うんだよな。

確かに生と死というのは非対称っちゃあ非対称なのよ。でも、その非対称であることを以って、死を特権化することなんて出来ない。

だから、死から生が(あまり良くない仕方で)逆照射され、「すべては無意味だ」というニヒリズムに陥ってしまうということにもなると思うんだけど、おれはそこで、「無意味だからこそ生きろ」と(出来れば)言いたいんだな。

って、まあ、こういう風に、緩やかに境界策定された何ものかについて、各自勝手に語りつつも何らかの形姿がぼんやりと浮かび上がってくる……そういうのがコミュニケーションの醍醐味の一つ、じゃないかな。だから、みんなも宮本さんみたいに(って、こういうと失礼かな)、がんがん思ったことを書き込んでくれるとおもれえのになあ、と思う。


それはそうと、宮本さん、おたふくっぽいのはどうしました? いや、どうしたっていうか、どうなりました? 平気ですの?
commented by はやし
posted at 2005-03-12 23:08:45

「意味の立場に身を置かなければ、意味など無いのだ。」不詳
「意味」が所与のものであるかのように考えるのは確かに間違いでしょう。離散である出来事に、連続としての意味を与えるのは「あなた自身」でしかありえません。

死から生が(あまり良くない仕方で)逆照射され
た結果のニヒリズムよりも、限界の無い「生」、終わりの無い永遠の「生」、可能な出来事が有限であった場合に必然となる「永遠回帰」、などから生じるニヒリズムの方が深く強烈なような気がします。
「境界の無い領域という概念が、領域という概念から内容を全て奪ってしまうように。」〈帝国〉より

看護婦の「本来の任務」は患者のケアをすることです。
患者を救うのは医者の任務であり、その補助をすることは看護婦の任務ですが、
不可能な事を「本来の任務」と押し付けられれば誰だって「ドライアウト」するんじゃないかな、例えばブロガーの本来の任務は世の中を変えることだ。なんて事になると・・・。

流行性耳下腺炎は一週間めに入りますます凄い顔になりました。
モノ食べなきゃ痛くならないし、生殖機能に影響がでるような腫れ方はしないで済みそう・・・ってとこですな、うん。

はやしさんもみなさんもまだやってないヒトは気を付けてくださいよ
commented by 宮本浩樹
posted at 2005-03-13 05:19:58

まあ「意味」によって人は救われている、って面もあるからねえ。というか、「完全な無意味」という真空状態では、人は多分生きていけない。だから、一口に「意味」と言っても、その「意味」するところのスコープっていうのは色々で……ここいらに関しては、手前味噌だけどhttp://hblo.bblog.jp/entry/138799/を参照してくだちい。

確かに宮本さんの言うようなニヒリズムの方が深く強烈だろうけど、あんまりそう考える人もいないんじゃないかなあ。ただ、「死」というものがどういう風に人々を恐れさせているかってことを考えると、(1)この「生」を終わらせてしまうものゆえに、または(2)「死」のあとの不確定性ゆえに、って感じだと思うんだよね。で、まあ、この2つは相即的ではあるんだけど、(1)はそれの齎す「有限性」に、(2)はそれの齎す「無限性」にその「恐れ」の根を持っているように思うわけで……まあ、個人的には「果てがない」方が恐ろしいな。カントールもそれで狂ったとかまことしやかに言われてたりもするし。

うん、「患者を救う」ことは看護士の「本来の任務」ではない。それでも、「死」というものに極めて近いところに身を置いていることは確かだよね。それをどうこうすることが自分の任務であろうとなかろうと、厳として「死」はそこにある。だから、何であれ参っちゃう人は参っちゃうんだろうな。

そう考えると、これは立岩真也も言ってることだけど、医師のケア、ってのも必要なはずなんだよね。でも、医師本人たちの強がりもあるのか何なのかよく知らないけど、ついぞそういう話は聞いたことない。そこら辺、どうなのかとか、聞いたことあります?

で、おたふく、おれはちっちゃい頃に罹患しているので大丈夫っす。つか、宮本さん、くれぐれもお大事に。
commented by はやし
posted at 2005-03-13 18:00:50

まあ、こんな天童よしみ風の顔がもし見えてたら何言っても説得力ゼロだろな。すこしは腫れ引いて来たけど・・・。

「気が触れる。」エントリーは読みました。
我々は「事実」を直接扱う事が出来ない故に「意味」というインデックスコードを付けて出来事を体系化し、扱えるものにし、相互に関連付け、物語を紡ぐのでは無いでしょうか?

離散である出来事の総体である自然を、連続した意味のある「自然という物語」へ、変換する主体。
私を私たらしめ、宇宙を宇宙であらしめるその 原理/力 。

生死(しょうじ)は一如であり、梵我一如であり、ニルヴァーナとサンサーラも一如である真の意味での一元論を直覚していなければ、「生と死」を直に扱う職業に従事するのは危険なことだと思います。

個人的には「果てがない」方が恐ろしいな。
僕もそうです。
可能な出来事が有限であり「永遠回帰」が不可避であるような宇宙より、可能な出来事は無限であるU∞の観点に立ちたいのはそのせいかも知れません。

commented by 宮本浩樹
posted at 2005-03-13 21:47:02

むむ、やはりそこに立ち戻るか!

で、まあ、宮本さんとおれは、用語の使い方や、概念の捉え方や、そこから起因したりしなかったりする理論のフォーミュレーションに、無視できない違いはあるけど、それでも「大括り」にまとめれば、同じ括りに入るかな、とは思う。

おれの場合、ミョーに観念的である反面、というか、であるがゆえに、努めてプラグマティックで構成主義的(構築主義的、じゃないよ)たらんとしているからな。出来るだけ何やかんやは有限ベースで行きたいわけだ。でも、まあ、どっちもどっち、だけどね。

それはそうと、天童よしみって、「いなかっぺ大将」の歌うたってましたよね?
commented by はやし
posted at 2005-03-14 22:57:15

大事な事は何度でも繰り返すのだ!

他人さんのブログでこんなにひつこく議論してていいのか?
と思ったりもするけど、

それこそ「生」そのものであるような一筆というものを書きたいのです。
これ見て、言葉をひねくりまわすのに嫌気がさして来たっていうか、駄文が書けなくなったというか、
「生死」そのものという一筆。書きたいもんです。

天童よしみ?
もう腫れも引いてすっかり元の二枚目に戻ったから知らないもんね。
それと、「本好きへの質問」下記で回答やっときました。
http://f49.aaa.livedoor.jp/〜think/bbs/light.cgi

commented by 宮本浩樹
posted at 2005-03-15 08:54:47

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