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ゼミの仕込みのために、聖書、とくに「新約」と呼ばれるそれの諸福音書を読みこんでいるのだが、読めば読むほど難儀な印象が募ってくる。

その「難儀さ」は、身もふたもない言い方をしてしまえば、「無理を通した結果」であると思われるのだが、その結果の是非はともあれ(やはり、そもそも「信仰の種」のようなものがこちらにないと、そうした「無理を通した結果」を「是」として受けとるのはむずかしい)、そのような「無理の通し方」のあれこれは、ひとつの(だが、巨大な)テクスト解釈実践の例として、すこぶる興味深く、また、刺戟的である。

そもそも、旧約であれ新約であれ(最近では、「聖書業界」的ポリティカル・コレクトネスの求めるところに従って、「旧約聖書」ではなく「ヘブライ聖書」という呼び方がなされることが多い。じっさい、おれがメインテクストとして使っているThe New Oxford Annotated Bible では、その「ヘブライ聖書The Hebrew Bible」なる呼称が用いられている)、そこに収められた各編を「個別」に読む分には、それほど難儀な印象は受けない。「難儀さ」は、そうした個々のテクストを相互に結びつけ、それらテクスト間に一本の強固な「筋」を認めようという企みから立ち現れる。

たとえば、聖書を読むうえで、「予表論的」と呼ばれるかなり一般に流通した読み方がある。これは、新約に書かれていることはヘブライ聖書に「予め表されていた」、とする読み方である。だから、上に挙げたような注釈付きの聖書を開くと、そこにはむすうの相互参照が、新約内でのみならず、新約・ヘブライ聖書間に張りめぐらされているのが見出される。ときに支えあい、ときに反撥しあうそれらむすうの糸をたぐり寄せ、そして辿っていくことは、めんどうだがおもしろい。

そのような、「信仰の拠点」としてではない、「解釈の闘技場」としての聖書に逍遥することを、しばらくたのしもうと思う。

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