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「論文の書き方」などと言うと、偉そうでかつ遠大な感じがするが、ここで念頭においてるのは、アメリカの学校ではterm paperなどと呼ばれる、学期末に課せられるレターサイズにダブルスペースで10枚程度の「小論文」のことで、さらに、こんなことをここにさらすのは、「おれさまはこういうふうに書いてるんで、みなも参考にするといいぞ、わはは」という尊大な意図からではさらさらなく、ふだんは「何となく」で済ませている工程をこのように明文化することでその欠損や改善点を析出させ、あわよくばこのやり方について何がしかの批判が仰げれば、とのもっぱら利己的なところにその動機がある。てなわけで、おれはつぎのようにペーパーを書いています。
■テーマの明確化
授業などでペーパーが課される場合、テーマはそもそも明確であることが多いのだけど、そうした場合でも、時間限定的な授業というものの性格上、どうしても省略されたり説明が不十分だったりする箇所が出てくる。また、授業などといった外的事情からではなく、何かについて書いてみようといった場合でも、そういう「何か」がいままでどのようなパースペクティヴのもと論じられてきたかについて、ざっくりとしたことを概観しておきたいものだ。
そうした場合、それら課せられた、もしくは考えてみたいテーマについてがっつりとしたヘヴィ級のものを読んでも、息切れしてしまって「それについて何か書く」という最重要なフェーズにまで辿り着けないことが多い(少なくともおれの場合は)。そんなとき便利なのが、たとえばオックスフォード大学出版局から出ているVery Short Introductionsシリーズや、フランス大学出版局から出ているQue Sais-Je?シリーズだ。これらは、それらシリーズ中のいくつかが翻訳されているので知っている人も多かろうと思うが、ごく限られたページ数のなかで、あることがらに関する勘所を手際よく紹介してくれている(ものが多い)ので、すこぶる重宝する。
これらVery Short IntroductionsなりQue Sais-Je?なりの、授業、あるいは自分の興味関心に関係のある巻を読み、そうしたもの/ことがあたうかぎり大きな「絵」のなかでどういう位置にあるのかを押さえつつ、そうしたことのなかで自分がいちばん引っかかる(「こりゃおもろい」という意味で「引っかかる」ということと、「こりゃ納得できん」という意味で「引っかかる」ということ、どちらも含めて)ところはどこか、それを意識的に捉えるようにする。これがペーパーに書くべき「限定的テーマ」の種となる。
■テーマの限定化
「テーマの限定化、って、前の節の最後の部分で終わってるやん」と思われるかもしれないが、前節で限定されたテーマではまだ、いわゆるterm paper向けには大きすぎることが多い(アメリカでは、proposalなどと呼ばれる、これから書くべきペーパーの「計画書」のようなものを、じっさいのペーパーの執筆に先立って提出させられることが多いが、それらproposalについてほぼ必ず言われることは「これじゃテーマがbroadすぎる。もっとnarrow downしなきゃだめだ」ということである)。それら前節で漠然と「引っかかり」を感じたテーマについて、さらなる限定化/明確化をするのがこのフェーズである。
このフェーズにあっても、基本は前節とあまり変わらない。つまり、漠然といだかれた「限定的テーマ」について、いままでどういうことが言われてきたか、また、それはあたうかぎり大きなパースペクティヴのもとでは、どういう意味を持つか、そうしたことを明確にしていく。そのために、前節で得られた限定的テーマについて書かれた概説を、新旧おりまぜて少なくとも5つ程度は読む。
ここで重要なのは、そうした限定的テーマについて書かれた(ある程度の長さがある)モノグラフを1本読む、というのではなく、それほど長くはないが、それら限定的テーマについてたんなる言及以上のことがなされているものを複数読む、ということだ(この場合、書籍であれば索引を活用して関係のありそうな部分を探し出し、単発論文なら各種論文DBを駆使して関係のありそうな論文を探し出す。じつは、この作業が論文執筆にあたっていちばん大変な部分だ)。そうすることによって、新旧というパースペクティヴのもとでは、そうしたテーマがどのように論じられ、そして展開してきたかについての知見が得られるし、同時代的に見れば、異なる論者間でどのような意見の相違がどういう点について見られるかについてもだんだん見えてくる。そして、そのように各人で意見が食い違う点こそ、「限定的テーマ」の、さらに限定的に論じるべき点になることが多い。
■それらについて考える
これについては、とくに書くべきことはない。ただ、ひとつだけ言うのなら、「独力で考える」ということは、極力避けるべきだ。要するに、下手な「オリジナリティ」など出そうと思うことは、止めたほうがいい。「考える」という営みは、思った以上に「恊働的」なものであり、「自分ひとりで考えた、オリジナルな考え」などというものは、たんなる独りよがりであることが多い。
また、論文を書くのにべつだん「考える」ということが必須なわけではなく、ひたすらの文献調査という、いわば「手作業」に頼ったもの(たとえば、前節で言ったような「意見の相違」をひたすら集め、それを系統立てて提示する、など)でも、立派な論文になりうる。そういう撰択肢も侮ってはいけない。
■じっさいの執筆
これについても、とくに書くべきことはない。ただ、これも前節で言ったことに通ずるが、無手勝流に「自分の思うがまま」という書き方は極力避け、「論文」というごく限定的なフォーマットに則って書いたほうがいい。「論文」というフォーマットは「だて」にあるわけではなく、そういうやり方に準じたほうが分かりやすく、かつ話が通じやすくなるからこそあるのだ。そうした「論文」というフォーマットに不慣れなら、何か1冊『論文の書き方』といったようなものを読んだほうがいい。そうした本としては、個人的にはこれを薦める。Thesis StatementやThree Supporting Pointsと言った言葉(があらわす考え)を聞いたことがなく、かつ何か筋の通ったものを書かなくてはならないという人は、ぜひとも読んでおいたほうがいい。
というわけで、いまおれは上記で言うところの「テーマの限定化」フェーズにいます。読むべき資料を集めたはいいけど、いささか集めすぎたきらいがあり、なかなかに大変な状況になっております。
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