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スペクタクルは、社会それ自体として、あるいは社会の一部分として、またあるいは統一化の道具として、その身を同時に現す。社会の一部分としてのスペクタクルは何よりもまず、すべての眼差し、すべての意識を引きつける部門である。そして、まさにこの部門が分離されてあるという事実によって、スペクタクルは、弄ばれた眼差しと偽の意識が作る場となる。そして、スペクタクルが成し遂げる統一化はと言えば、それは一般化された分離の公用語に他ならない。



スペクタクルは何よりもまず、人々の眼差しや意識を引きつける「社会の一部分」として措定される。このことは今まで言われてきたことから充分理解できるであろう。

スペクタクルというものは、人々の「生のあらゆる側面から切り離され」たイメージを以って、「部分的に考えられた現実」を構成する。そして、「切り離され」てあるというそのことが、イメージの自律的な活動を許し、そこから「虚偽」が紡ぎだされる。ゆえに、そこに再帰的に向けられる眼差しは「弄ばれ」るわけだし、意識も「偽」のものということになる。

そのようなプロセスを経てなされる「統一化」は、分離され自立的となったイメージゆえに可能となるものであり、同時にそれは「偽の世界」の公用語となるのだ。

それでは、スペクタクルが「社会それ自体」として立ち現れる、とはどのような事態か?

とりあえず考えられるのは、スペクタクルがわれわれの眼差しや意識を総ざらいにしてしまい、「現実」を全域的に覆ってしまう事態としてだろう。それはもう実現してしまっているのか? それとも、あくまでスペクタクルのアジェンダとして捉えられているのか?

「社会それ自体」としてのスペクタクルについて、今はそのような疑義を提出するに留めておこう。


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