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お前はどういうことを勉強しているのか、という問いに、哲学と数学にまたがったようなことをやっている、と答えると、日本ではほぼかならず、哲学と数学にどういう共通項があるのか、と訝しげな顔をされる。向こう(アメリカ)では、ロジックだよロジック、とでも言っておけば、ああなるほど、と(とりあえずは)納得してくれるのだが、日本ではそうもいかない。

もちろん日本でも、哲学、あるいは数学をそれなりにちゃんと勉強した人であれば、何となくは察しをつけてくれるのだけど、たいていの人は哲学についても、そして数学についても、ほとんど何も知らない(ロジックについては何をか言わんや)。だから、ちゃんと説明するとなると、哲学や数学について、ここらへんぐらいまでは前提知識として知っておいてもらわねば、ということから説き起こさねばならず、それもそうとうに面倒なので、哲学も数学も「抽象物」をめぐる思索である、という、間違ってはいないが雑駁すぎる答えでお茶を濁すことになってしまう。

たしかに、哲学と数学というものについて、だれしもぼんやりとしたイメジは持ってはいるだろう。ただ、持ってはいるけど、だいたいが「敬して遠ざける」といった付合いしかしていないので、それらは無用に秘教的な衣をまとっており、そしておうおうにしてその「理解」は「誤解」に基づいている。だから、時間さえあれば、哲学、そして数学について、そのほんとうに初歩的な部分から説明して、そうした「秘教的な衣」をひきはがし、その「誤解」を解きたい、とつねづね思ってきた。

というわけで、ここでひとつ、哲学と数学について、いたずらに抽象論に走るのではなく、歴史的具体性をおびたかたちで、実際問題それらのいとなみは何をしているのか、という問いに答えようと思う。目標としては、だいたい、中学卒業程度の人であれば理解できるようなものにしたい。

具体的に何がどうなるか、たとえば、いつから始めるだとか進行のペースだとかについて、いまはまったく何のヴィジョンもないのだけど、自分を鼓舞するためにも、とりあえずこうした「プレスリリース」を打っておく。

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これはぜひ聞いておきたかったことなので楽しみ。ところで、ルーマンの社会システム理論は哲学者が生物学者、数学者などが平気な顔押して出てきます。かれは社会学者でいいんでしょうかね。はやしさんなら何学部に配属しますか?
英司 2007/07/07(Sat)11:31:00 編集
直接的な「哲学と数学」の含蓄的絡み合いについてふれるのは、哲学と数学それぞれを個々に扱ってからのことになるでしょうから、これは、『社会システム理論』読了と張るぐらいの「大事業」になることが予想され、それがはたしていつのことになるやら、当の本人にもよく分かりません。まあ、ゆるゆるとお付き合いねがえれば。

ルーマンはごくたんじゅんに「社会学者」ということでいいと思います。もっとも、そもそも「社会学」とは何か?というところで、色々と事態は紛糾しがちであるという事情も諒解していますが。ただ何より、ルーマンはその生涯においてほとんど切れ目なしに「社会」を問題にしてきたし、また、方法論的に見ても、ヴェーバー的な端緒からそれほど逸脱しているわけでもなく、世間いっぱんで言われるほど「異端」ではない、というのがぼくの見立てです。

また、ある領域(たとえば、社会学)のテクストで、それとは異なる他領域(たとえば、生物学)の知見が用いられている度合いをもって、その当の領域からの逸脱度合いを推し量るというのは、ちょっと無理がある、と思われます。なんとなれば、今日びある領域のことを論じるときに、その当の領域に閉塞したマテリーだけで事足れりとする事例はむしろ少数でしょうから。ひるがえってルーマンを観じても、他と比べてべらぼうに他領域への参照が多いようにもぼくには思われません。
はやし 2007/07/07(Sat)22:50:00 編集
ルーマン自身がその生涯をほとんど社会ということを記述するために費やしてきたという点で、まさに「社会学者」であると私も思います。社会を記述するためには、使えそうなものは使ってやろうというという意味で社会学以外の領域から貪欲にアイディアを取り込んでいるというイメージがあるだけって感じしますものね。でもけいこさんもいっていたようにその生涯のほとんどを社会の改名に捧げる用途駆り立てたものは何かということも、ルーマンを理解することとは別に気になります。彼は社会を最終的にどうしたいのか、禁欲的といえるほど沈黙してますから。ルーマンも社会学者で絵ある前に一人の人間である以上、何らかの主観的なドライブを思っていたと思うんですよね。それをさしおいてひたすら禁欲的に社会解明に身を捧げる。これはなかなかできることではないですよ。生きているなら、この点をインタビューしてみたかった。
英司 2007/07/08(Sun)08:13:00 編集
もっとつっこんでいうと、アカデミーの中で確立してきた(現在確立している)学問の差異の体系では、現実社会を描ききれないという問題なのかもしれませんね。政治学部、経済学部、商学部、教育学部、工学部といった既存の学部切り分けに、最近、総合政策学部や俯瞰学部などが出てきたことがそれを物語っているといってもいい。そういう意味では将来、学際的、広領域的な総合学部、理系文系のベルリンの壁が壊れていく方向に向かうのでしょうかね。つまりゼネラリスト志向がスペシャリスト志向を凌駕する時代になってきたのでしょうか。逆に言えばスペシャリスト的手に職を持った人間が不要になるくらいこの国の労働市場は賃金高騰で取引停止になって閉まったのでしょうかね。あくまで根拠のない推論ですが。
英司 2007/07/08(Sun)11:47:00 編集
ルーマンに限らず、誰かが何かを志したその理由を明らかにするのは、なかなか大変なことです。何となれば、まず、そもそも本人からして、それを志した理由は明らかではないかもしれないし、それにたまさか、何らかの理由に思いいたったにせよ、そうした「理由」というのはいつでもどこまでも遡及可能なものですから。ただ、話をルーマンに限定し、かつ、その遡及度合いをかなり限定すれば、彼の官僚研究がまず、組織とそれを構成する一人ひとりの思惑がなにゆえにこうも乖離するのか?という疑問を招致し、そして、のちの「社会全体をまるごと、そのままのかたちで理解したい」という欲求を誘発したことは間違いないように思えます。

また、それが学際的なものであれ何であれ、学問というのは本質的に「現実」に一歩遅れを取らざるをえないものとしてあります。そして、いみじくもデリダが喝破したように、学問の欲望というのは「自分が話すのを聞きたい=自分の言うことが厚みなしに現実と切り交じるようにしたい」というところにあり、そこから、諸々の困難や虚偽が溢れ出してくる。だから、ルーマンがその「学」を構築するのに、「自己参照/自己準拠」というものにあれほど重きをおき、のみならず、「いままさに構築しつつある学」そのものも、当の「学」に織り込もうとしていたというほとんど「狂気の沙汰」も、ふかく頷けるところです。

ちなみに、「学際性」ということについて言えば、大枠では「謂れのない垣根は壊しちまえ」ということは前提にしても、安易な「学際研究」という名のもと、いい加減なことが行なわれていないでもない現状に、それなりの危惧をいだくものであります。何だかんだ言って、いくら「学際性」の旗印のもと仕事がなされるにせよ、それに参画する各々に、「スペシャリスト」としての必要最低限のディシプリンはどうしても必要になってくるでしょう。
はやし 2007/07/10(Tue)23:05:00 編集
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