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スペクタクルは、視覚/ヴィジョンの世界の濫用や、イメージの大量伝播技術の産物として捉えることはできない。そうではなくむしろ、スペクタクルとは、実効的で、物質的に翻訳された世界観Weltanschauung である。対象化/客観化されたのは、世界についてのヴィジョンなのだ。



前節まででスペクタクルとは、われわれの(世界についての)ヴィジョンを元に、自律的に作動するイメージの集合体として、さらにはそうしたイメージに媒介される人と人との関係として措定された。

しかし、そうしたスペクタクルは「現実」から遊離してあるわけではなく、「現実」に働きかけさえもする。そういう意味でそれは「実効的」であり、「物質的に翻訳」されているのだ。そして、さらには、人々がそれを通して世界を見る「色眼鏡」としての「世界観」とスペクタクルはなる。

ゆえに、ヴィジョン/イメージが織り成す世界が問題なのではなく、人々が世界について抱くイメージが自律的に動き出し、逆にそうしたイメージが世界を規定し始める、という意味で、「世界についてのヴィジョン」が自律的になり、対象化/客観化される、つまりは現実社会に侵食し始めるのだ。


ところで、「対象化/客観化されたのは、世界についてのヴィジョンなのだ」の部分は木下訳だと「それは客観化されてしまった世界についての一つのヴィジョンなのだ」となっている。参考までに原文を挙げておくと、ここの部分は"C'est une vision du monde qui s'est objectivée"というものだが、私の訳と木下訳では相違点が2つある。

まず一つには"C'est (a) qui (b)"という構文の捉え方の違い。これは英語だと"It is (a) that (b)"ということで、普通は強調構文として「(b)であるのは(a)である」という解釈か、「それは、(b)であるところの(a)である」という解釈かで分かれるところなのだが、この点に関しては、少なくともこの文章に関するかぎり、私の訳と木下訳とで意味的にそれほど違いはない。

問題になるのは「"qui"(英語だと"that")以下が何にかかっているか」という点だが、木下訳は素直に読むかぎり「世界」にかかっているように見える。だが、"qui s'est objectivée"は"objectivée"と女性名詞を受ける形になってる以上、"qui"以下がかかるのは男性名詞の「世界 le monde」ではなく、女性名詞の「イメージ une image」でなくてはならないだろう。

よって木下訳は、誤訳、とまでは言わないものの、若干ミスリーディング気味、と言わざるをえない。


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