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片付け、というのは、佳境になるととたんに捗々しくなくなるもんですな。

とはいえ、それなりに片は付いてきたわけで、そんならいっちょ、そこそこきれいになったキッチン兼「書斎」の写真でも載っけたろうか、と思ったんだけど、どうせ載っけるなら元のケイオティックなほうがよかったかなあ、とも思い、これはやめ。

つわけで、片付け途上で掘り出された本たち第3弾。今回は「雑誌編」です。

  • 理想 1988年夏号 特集「フレーゲ・ルネサンス」
    野本和幸・飯田隆・山田友幸・金子洋之などのおなじみの面子が書いてます。特集以外でも、「読書ノート」という書評欄めいたコーナーで『言語哲学大全I』が取りあげられており、さらに、「海外哲学展望」というコーナーではキットラーが紹介されていたりして、たのしめます。

  • 哲学 1988年冬号 特集「神の数学 カントールと現代の集合論」
    カントールの原論文(「一般多様体論の基礎」「実無限に関する様々な立場について」「フレーゲ『算術の基礎』書評)のほか、ゲーデルの「カントールの連続体問題とは何か」に加え、倉田令二郎、戸田山和久などの解説論文を所収。「無限」ネタで、何と、萩尾望都にインタヴュしてるのが、渋いと言うか何と言うか。われらがニビーも好評連載中(「中世への途上4 〈モデル〉・動詞・〈出来事〉」)。

  • 現代思想 1995年4月号 特集「可能世界/固有名」
    くりぷきくりぷき。執筆者は、飯田隆、三浦俊彦、岡本賢吾という真っ当な人選に加え、じゃっかん「飛び道具」くさい人たちもまじってますけど、よしとしましょう。



あと、『思想』もけっこう掘り出したです。これは、めんどくさいんで、基本的に発行年月日と特集のみ記載。

  • 2002年8月号 特集「バフチン再考」
  • 2003年4月号 特集「理由の空間の内と外 自然主義vs.反自然主義」
    戸田山さんが「哲学的自然主義の可能性」というのを書いている。
  • 2003年6月号 特集「スピノザ」
    「総合的方法の諸問題 ドゥルーズとスピノザ」という論文所収。
  • 2003年7月号 特集「メディア論・情報学の新しい地平」
    ほとんど「ルーマン特集」と言ってもいいような様相を呈しています。
  • 2003年10月号 特集「フレーゲ 現代哲学の起源」
    かなり読みでのある、いい特集です。
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廣松を参照しているとは、いったいどんな本になるのかいまからたのしみですが、だいたいどれぐらいの完成になりそうでしょうか? できれば、それまでの「おたのしみ」として、そこに書かれるトピックを小出しに紹介してもらえると、うれしいですねえ。
はやし 2007/05/30(Wed)05:33:00 編集
新古典派経済学に対する方法論的懐疑

経済学は物理学なんかと比較されて「ありゃ科学とはいえねえ」と批判されてきた。オイラも賛同したかったのだが、デリバティブ市場を20年ちかく眺めていたら…少し気が変わった。

だいたい…新古典派経済学を批判する輩は、時代遅れの古典力学のアナロジーにすぎないと批判する。…で、お前ら古典力学のことわかってんの!

まず新古典派の理論は主観理論である。しかし、古典力学には<主体>は存在しない。「お前ら!主体の存在しない古典力学を新古典派経済学が模倣できるのか?説明できねえだろ!」

実は…古典力学は主観理論とも解釈できるのである。だから経済学批判する前に古典力学を正しく理解したほうがいいぜ。

以上が2007年1月号「金融市場のリアリティーと新古典派経済学の科学性」
藤崎達哉 2007/05/30(Wed)07:13:00 編集
今年から「超越論的金融哲学論考?」を書いている。古典力学の神秘性から始まり、新古典派経済学の<主体>にさしかかったところで、昔持っていた書籍をさがしている。山脇直司「包括的社会哲学」はたった今発見!引越しで紛失した広松渉「マルクス主義の理路」をガキが通っている鶴見のスポーツクラブの下の古本屋で発見800円で購入。これから読む。
藤崎達哉 2007/05/30(Wed)12:28:00 編集
ふむふむ、なるほど。で、マッハとかが出てくる傍ら、廣松御大も登場、ってな筋書きですか(って、違うか)。
はやし 2007/05/31(Thu)01:50:00 編集
2007年2月号 要約

古典力学が20世紀になって相対論や量子力学よって乗り越えられた時代遅れの学問だと批判する輩がいる。しかし、そんなこと言う奴に限ってコテコテの文芸評論家みたいなのが多い。例えばプリゴジンは、古典力学は今でも発展を続けており将来的に大きな収穫が見込めそうな分野だと書いている。(1980年ごろ)

ここで、ポパーが登場!ポパーは反証可能性がなけりゃ科学じゃないよ!といってフロイト精神分析とマルクス経済学を攻撃した。それを横目で眺めていた近代経済学者もビビリがはいって経済学理論もほとんど反証されている!と嘆いた。しかし、反証されたというのは、反証可能性があった証拠であり、別に悲観することではなかったのである。古典力学もアインシュタインや量子力学に反証されたけど…まだ有効でしょ!そして、ポパーのこの理論を思想的に拡大して、反証不可能性が共産主義やファシズムを産み出したのだという論陣を張ったのである。

さて、そのポパーであるが1967年でフランスで「合理性原理」という講演をぶっ放して、経済学は物理学と同じように科学的であると述べた。ここで彼は「合理性原理」は真理に近い偽であり、経験的には反証しちゃけねえと述べた。さらに、この原理は瑣末な真理であるとも述べた。

このポパーの経済学擁護と反証不可能性の主張はポパー陣営でも物議をかもしちまたのである。なぜポパーはこんな主張をしたのだろうか…。

続く
藤崎達哉 2007/05/31(Thu)15:02:00 編集
「古典力学が20世紀になって相対論や量子力学よって乗り越えられた時代遅れの学問だ」って、本気でそんなことを言ってるやつがいまだにいるんですか!? もしそうだとすれば正直、「あきれる」を通りこして「あわれみ」しか感じませんが、何かを批判する人は往々にしてその何かを知らないというのはよくあること。でも、批判するならその批判対象をそれなりに勉強してからにしてほしいですよね。

ポパーの「反証可能性」というのも、何とはなしに誤解されているフシもなくはないものですが、これもやはりきわめて重要、というか、反証可能性のないものについては、あれこれ言ってもしゃーないんで、どうか一人胸の内にとどめておいておくれ、と祈念せざるをえません。そういう「反証可能性」なきものについて「議論」したがる人というのは、正直やはり疲れます。
はやし 2007/06/01(Fri)16:27:00 編集
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