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ふつうの人ならイの一番にやることなのかもしれないが、今日はじめて「うわさのベーコン」でググってみた

おれのところがギリギリ1ページ目に入りこんでる、とか、「『うわさのベーコン』がはじめて日の目を見たのはクイックジャパン誌上でなのか……なんか、いやだな」と思ったことなどはどうでもいいとして、検索結果1番目のこちらを見ると、案の定、というか、やはり、というか、源ちゃんの名前とともに、『うわさのベーコン』が登場している(ちなみに、グーグルの検索ページ一番下に表示される「こんな組み合わせでの検索が多いですよ」指南も、当然のように「うわさのベーコン 高橋源一郎」である)。

この記事を書かれた方は『文學界』連載中の「ニッポンの文学」を参照しており、いま手元に単行本版がないのでこの記述が単行本版では何ページに載っているのか確認できないが(というか、この記述を読んでいれば、おれが絶対に引用しそうな箇所なので、もしかして単行本版では省かれた部分なのかもしれない)、次のような箇所を引用している。

 『うわさのベーコン』は、文学ではありません。
 なぜなら、それは、文学が使っている、あらゆる「規則」に逆らうからです。とはいえ、それは、自覚的な「反抗」でもありません。「規則」への「反抗」は、いつか新たな「規則」を創出しようとします。つまり、「文学」に反対する運動は、それ自体、もう一つの「文学」への胎動なのです。

ここで、また『うわさのベーコン』や、文学の「文学性」について、あるいは、「規則」と「それに従うこと(反抗すること)」についてあれこれ言おうというのではない。そうではなく、この引用文の最後の文言、「つまり、『文学』に反対する運動は、それ自体、もう一つの『文学』への胎動なのです」が、ニューブロッケイダーズのかの有名なマニフェスト、「アンチ・アートでさえアートである。ゆえにわれわれはアンチ・アートをも拒否するのだ」を思い起こさせ、それを誰かに言いたかった、それだけのことである。

もしかして源ちゃんは、ニューブロッケイダーズを知っていたのだろうか。まさかな。

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New Blockaders / Organumを聴いていて思ったのだけど、如何にアートを拒否しようとも、つくり出された音によって、私の中で何かが双発された段階で、既にアートだと思うのだが・・・・・・。
Sita 2007/02/07(Wed)11:32:00 編集
いや、たぶん、ニューブロッケイダーズとしても自分のやってることがヨユーで「アート」と言われる領域に落ちてしまうことは百も承知で、そういうものを差し出した上で、それを拒否する、ということを、全方位的にやっているのだと思う。ニューブロッケイダーズのライヴ、と称して、全然関係ない人がステージに上がり、ミキサーのフェーダーを動かしてるだけだったりとか。って、これはレジデンツもやってたな……というか、レジデンツのほうがふしぎに、アートでもアンチ・アートでもない、微妙な位相に位置しているような気がしてきた。

あと、シータさんの言うところの「アート」は、ちょっとその外延が広すぎるのではないかな。もちろん、その外延すべてがアートなんだよ、とトートロジカルに応えることも可能だけど、おれとしてはもうちょっと慎重になりたいところ。
はやし 2007/02/08(Thu)12:10:00 編集
「アート」と言う言葉を起源まで辿ると、日本で「芸術」と称されるのは「リベラル・アーツ」だから厳密にはarsとartes liberalesと区別されるのだけど、現代に氾濫する「アート」と言う語は、鑑賞者に作用する感覚とか感動とかいった動きを作動させる、表現者や表現物を指示しているわけよね。でも、さらに私の中では「創発」といった意味合いではアーティストとアーティザンの区別をもが曖昧になっている。
外延ということで、どこまでをアートとするかは、「創発」という一点に絞ると反って反応する対象の領域は、自分にとって狭いような気がする。
つまり、「生きる事(暮らし)自体がアートだ」といった広域の認識は無いの。
今は「アート」の領域や規定よりも、何に創発されて「すげー!」といった気持ちがスウィッチオンされるかが興味ある。
言葉足らずで意味不明や知れずでゴメン。もちょっと考えてみるね。
Sita 2007/02/08(Thu)12:14:00 編集
いや、「リベラルアーツ」ってのはそれこそいま運用されている意味合いでの「藝術」とは全然別のもので、ふつうだと「自由(七)学科」とか訳されたりする「学問」の区分のこと、だよ(このartes liberalesの訳語たる「藝術」がどのようにその原義から離れていったかは、また別のセリーに属する問題)。ただ、英語でartと言った場合、それが「藝術」と「技術」という2つの意味にまず大きく区分される、というのはそうで、さらにそれをラテン語まで遡らせるなら、そもそもarsには「藝術」という意味はない(そして、日本語で「アート」と言った場合、英語で言う後者の意味で使われることは、まずない)。

だから、この「藝術」という日本語に訳される概念は、もうちょっと厳密に言えば、何かあるものを「藝術」として捉える眼差しは歴史的に見ればそれなり新しく、そういう話をするならここをちゃんと見ておく必要がある。

ただ、急ぎ足で言えば、この「アート」という言葉は多分にイデオロギッシュな意味合いが、つまり間主観的なそれがこめられており、そこを離れてこの「アート(藝術)」という言葉をもっぱら「このわたし」を基軸に捉えることは、ちょっと拙速でもあり、危険でもある。

あと、「創発」というのも、かなり問題含みなキーワードであって、それを軸にアートを捉える見方にも、前述のようにおれは与さない。とはいえ、じゃあ全然「創発」と言われる事態が、「藝術」と呼ばれる領域の限界策定に寄することがないか、と言えば、そうではないことも、その規定性の間主観依存により、また自明。
はやし 2007/02/08(Thu)16:35:00 編集
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