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つづき。
61. 成功した人たちの多くより、わたしのほうが野心的だ。
いや、おれ全然野心的ではないですね。ノー。
62. それが使い物にならないことが露見するのがこわくて、自分が一番いいと思う考えを使うことをためらうことがある。
これは気持ち分かるなあ。自分では、これがベストだろ、と思っていても、その一方でどこか、いやダメかもしれぬ、という気持ちもいだいたりするという。イエス、だな。
63. 何かかたちのあるものを思いうかべると、自分の前にそれがほとんど見える。
これは全然ないな。ノー。
64. 制度的な失策のほとんどは、標準的な手続きをすっとばそうとしたことから生じる。
いや、んなこたぁないでしょ。そういうこともあるやも、だけど、かといって「ほとんど」だとは全然思えない。ノー。
65. きむずかしい人間だ、と言われる。
言われない。ノー。
66. 考えにおいて、ふつうで、明々白々で、陳腐なものから大胆に脱却しようとする。
そうでもないな。というのは、たとえば、ふつうで、明々白々で、陳腐な考えから出発し、そしてそこからトンデモないところに至るのが……って、結局「脱却」しようとしてるか。まあ、イエスにしとくか。
67. 自分自身についての自分の考えは、自分の仕事/作品につよく表現されている。
んー、たとえば、自分の曲に自分自身についての自分の考えが反映されてるか、と言ったら、そんなことはないような気がするし、とはいえ、自分についての考えであれ何であれ、もろもろ反映せざるを得ないような気もするし、むずかしいな。でも、やっぱり、現れてこざるを得ないんじゃないか、ということで、イエス。
68. 一般的ではなく、きらびやかな言葉を使うのを好む。
つとめてふつうで、一般に通じるような言葉を使おうとしているが、その「つとめて」という姿勢からも分かるとおり、自然な傾向としてはどうしても修辞的、というか、単語レヴェルで見た場合、一般には通じないであろうようなものを使ってしまう。この前も、現地人に「お前の使う単語、むずかしすぎねえか?」と言われた……。つわけで、イエス。
69. キツい規則と規制のもとで働くのはむずかしい。
これは、素直に考えれば誰しもそうでしょう。ただ、見方を変えれば、ある種の制約のもとで仕事をする、というのも面白いものではあるが(たとえば、単純な例で言うと、作曲の際に4/4は使わない、とか)、これは質問の意図するところのものではないな。つわけで、イエス。
70. 社交的である。
いや、全然。ノー。
たしかに、おれはそこそこ「社交的」かもしれないが、ただ、じっさいにそうしたいと願っているか、というと、そういうふうには思わない。ぎりぎりのところで判断すると、というのはつまり、「社交か、そうでないか」の二分法で言えば、おれは後者を選ぶだろう、ということ。質問に、実際にそうか、ということか、どちらを選好するか、の指示がなかったので、勝手に「選好」ということを選んだけど、そもそもが、こっちの裁量にまかされる部分が大であるので、これでいいのだ。
これは、けっこう「日本人的」な考え方、だとおもうんだけどな。というのも、自分では「これで絶対いける」と思っても、「でも、間違ってたらな」と考えもし、その適用をしぶる、というのは、それほど奇異なことには思えない。そして、その上で、それでもおれはそういうキャラではないだろう、ということであれば、それはそれ、おれとしては、「絶対、ということはないにしても(それは、理屈で言ってほぼありえないことであるから)、かなりの確度でうまくいくだろう、でも、それでもなお、おれには何か見落としがあるのかもしれん」というおそれは、当然のこととしていだく。それは、学的に、ということで言っても、最低限必要とされる「誠意」だと思う。
たしかに、自己評価というものは当てにならない、他己評価が当てにならないのと同じぐらいに。とはいえ、実際問題、定量的にどっちがヨリ当てになるのか、と示すのは、案外骨の折れる作業だ。というのも、自己評価も他己評価も、どちらもその言い分に同じだけ分がある(あるいは、同じだけ分がない)から。ただ、その言い分において前提となっているのが、その評価される「己」というものが「唯一」なるもので、ゆえに、自己評価と他己評価で評価が分かれた場合、じゃあどちらの「己」が「合っている」のか、ということになるが、しかし、そのように唯一なる「己」の存在はどう「示す」のか? 難問である。
その上、かような「自己」診断の場合、もっぱら「自己」の評価に任せるのか、それとも、「自己」が観じた「他己」の評価するところに則ってそれはなすべきなのか、一般的なコンセンサスはないように思える。何度か言及したように、インストラクションに「あまり考えずに」とあるので、ここは前者、つまり、「自己」の評価に答えを任せる、というのが妥当であろう。
ゆえに、この回答で問題はない、と判断する次第である。
みーさんの言うように、他者評価なんてうんざり、それにそいつは政治的でもあるし、というのは、そうですね。ただ、それと同時に、自己評価のあやうさ、ということについても注意を喚起したい、と思います。
自己評価における「評価」というものは、他者評価のそれと同様、往々にして「評価」ではなく「限定」としてあらわれます。要するに、その「評価」が、大した根拠もないくせに、「この生」を途方もなく貧しく、そしてどん詰まり感漂うものにしてしまうことがままあるわけです。「評価」は本来ならカギカッコなしの評価として、じゃあ(その評価に基づいて)どうするの?という指針としてあるべきなのに、そうはならない。
他者評価も政治的、自己評価もどん詰まり(「おれは所詮この程度」)であれば、むしろ、こちらも政治的に、「他者評価」を逆手に取った上で、いけいけで、ほんとのところ「評価」なぞ気にせずに突っ走っちゃえ、といつもながらのいい加減さで思ったりします。
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