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ノイエドイチェヴェッレ流すよ、という、ウェブキャスティング告知のエントリにトラックバックもろうた、何というお名前なのかはよく分かりませんが、とにかく、トラバ元のブログを見て、何と、北村昌士が死んどったらしい、ということを知る。

で、当然、当初は北村昌士がらみのエントリを書こうと思っていたんだけど、それより、この同じ方がYouTubeにアップしている動画を色々見ているうちに、何だかびみょうに憂鬱な気分になってきたのでそれは止め。

安田講堂陥落の映像を見るたび、ふしぎに胸がしめつけられる。すべてが終わってしまったんだという寂寞感と、終わったどころではない陰惨なテロルの予兆。善意や正義感は人を狂わせる。反戦という旗を掲げながらけっきょくは殺し合いをするしかなかったというのはどういうわけか。

彼ら彼女らはほんとうは何をのぞんでいたのか。

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私が大学に入ったとき、大分年上の従兄弟から聞かされた話。
従兄弟はかつて機動隊にいました。
お前の大学の門を入った右の掲示版のところで、部隊が孤立して、火炎瓶が、ばんばん降ってきた。
ほぼ、囲まれてもう死んだと思った。
なんとか後退してたら、援軍が来てくれて助かったけど、ほんともう駄目だと思った。
この傷、その時に出来たんだ。

って聞いて、むちゃくちゃショックでしたね。
簾満月 2006/11/06(Mon)22:02:00 編集
70年安保やその頃の学生運動やった方の多くは、ヒジョーに景気が良いいのに便乗して、伸ばしていた髪の毛切って、のこのこと大企業に就職されて、今や、カイシャの お偉方。
昔はビートルズ、ファンだったくせに、今、カラオケで反吐が出そうな、こてこての歌を歌って、ほんま、気がしれませんわ。
せめて、自分たちの過去を「総括」していただきたいものですなあ。
この、節操の無さについて。
簾満月 2006/11/06(Mon)22:21:00 編集
私たちの望むものは

 私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
 私たちの望むものは 生きる喜びなのだ
 私たちの望むものは 社会のための私ではなく
 私たちの望むものは 私たちのための社会なのだ
 私たちの望むものは 与えられることではなく
 私たちの望むものは 奪いとることなのだ
 私たちの望むものは あなたを殺すことではなく
 私たちの望むものは あなたと生きることなのだ
 今ある不幸にとどまってはならない
 まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ
 私たちの望むものは くりかえすことではなく
 私たちの望むものは たえず変わってゆくことなのだ
 私たちの望むものは けして私たちではなく
 私たちの望むものは 私でありつづけることなのだ
 今ある不幸にとどまってはならない
 まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ
 私たちの望むものは 生きる喜びではなく
 私たちの望むものは 生きる苦しみなのだ
 私たちの望むものは あなたと生きることではなく
 私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ
 今ある不幸にとどまってはならない
 まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ
 私たちの望むものは・・・
 私たちの望むものは・・・ 

設定による貼り付け…。
岡林信康 2006/11/06(Mon)22:33:00 編集
おかばやしーーーー。
馬鹿野郎。
俺は、泉谷だ。
岡林の歌、なんじゃこりゃ。
泉谷はげる(=頭すだれまんげつ) 2006/11/07(Tue)12:34:00 編集
ああ、すだれさんのところもけっこうはげしかったですからねえ。だいたい、純粋に理屈から言って、何でああいうアプローチ(ゲバルト)をとったのか、よく分からんですね。言って分からなければ実力行使、ということ自体、彼ら彼女らの「のぞむもの」(と表向きにはされていたもの)と背反している行いに思えますし。たんじゅんに、「なーんか暴れたかったんだよねえ」ということであれば、うん、まあそういうこともあるかもね、ととても分かりやすいんですが。

で、学生運動に身を投じていた人たちのその後の身の振り方、ですが、基本的にはその人たちの勝手ですし、「初志貫徹」なんてことをうるさく言えるほどぼくは立派な志も持ってませんし、さらには、初志なんてべつに貫徹しなくてもいいんじゃね、とも思ってますので、ぼくはあれこれ言う気はあんまりありません。問題なのは、そうしたこととは完全に切れているはずなのに、いまだに切れていないかのポーズをとる人がたまにいること、だと思います。節操がないのはおおいにけっこうなんですが、往生際がわるいのはちょっとどうなのよ、って感じです。
はやし 2006/11/07(Tue)21:28:00 編集
おれはカラオケに行くとほぼかならずこの歌をうたう。そして、歌うたび、歌詞の後半で「のぞむもの」と「のぞまないもの」がひっくり返るのに、何で「今ある不幸せにとどまってはならない」の部分は不変なんだろう、と思う。そのことは、いまだによく分からない。
はやし 2006/11/07(Tue)21:33:00 編集
浅田ブームが、本当に豊かな日本の幕開けなら、70年頃の学生運動ってのは、その豊かな日本の予兆みたいなものだったんだと、わたくし的には思っています。
ニューアカブームのように、学生運動も一種の「スタイル」であり、だからこそ、その残滓に未だにこだわる方々は、当時の「スタイル」にこだわっておられて、周りからみると、もうカビが生えているのになあ・・って感じになるんだと思います。
未だにニューアカにこだわる人は、さすがにいないですが、学生運動は、そうではないですね。
ニューアカブームは、あれは、はしかみたいなものでしたが、学生運動は、どうなのでしょうか。
結構、その辺に、あの暴力性の謎を解く鍵がありそうな気が・・・。
一つ間違いないのは、ニューアカブームにのぼせた私のようなバカ達に誰一人、自分あるいは、自分たちで、世の中を変えるというか、ひっくり返せると思ったやつはいなかったことです。しかし、学生運動には、自分あるいは、自分たちで、世の中を変えるというか、ひっくり返せると思わしめる何かが雰囲気としてあったと思います。
だからこそ、結局暴力的にエスカレートしたんじゃないかと思っています。
実は、この岡林の曲自体を知らないし、また、詩もお初にお目にかかりますの世界なのですが、読んだ瞬間、凄い暴力性を感じました。
ニューアカ世代の私からすれば、感性的に、最も受け付けない詩ですね。

フォーク歌っていて、ロック?に転向した泉谷しげる。
彼が「泉谷さん、あんた、昔フォーク歌ってただろう」って、確か、あかしやさんま か誰かに冷やかされて「昔フォーク歌っていて、何が悪い。いいじゃねーーか」って開き直っていたのが、面白かったですね。
そう、カイシャの偉いさんも、「昔学生運動やっていて、何が悪い。いいじゃねーーか」って開き直るくらいの正直さが必要だと思います。
学生運動していた人って、その過去を隠蔽するか、あるいは、残滓に「スタイル」としてこだわるかで、後の私の世代からみれば、ちょっと、こっけいです。
簾満月 2006/11/08(Wed)12:28:00 編集
たしかに、学生運動とくらべると、ニューアカブームはその流行の享受者にそれほどの「深い傷」はもたらさなかったように思えますが、ことのベラボーさを考えると、そりゃそうだろ、という気もします。ニューアカは言ってみれば「理念」の次元に留まっていたのに対し、学生運動は「運動」という言葉からも明らかなとおり「身体」のレヴェルをも巻込んでいる。かんたんに言えば、学生運動がいまだなにがしかの「痕跡」を残しているのは、そういうことが理由だと思います(もっとも、もうちと突っ込んで、なぜ「身体」は「理念」に勝つ/勝ったのか、という問いも立てられますが、これはとりあえず棚上げします)。

この岡林の詞は、五月革命のときに書かれた落書きが元になっているらしく、そのネタ元をけっこうしつこく探し当てようとしているのですが、いまだ成就できていません。ともあれ、たしかにこの歌は血腥く、そして空恐ろしい感覚を聴き手にもたらします。その一方で、どこか冷めた目で同時代状況を皮肉っている風味もあるのです。とはいえ、「本気モード」のほうが顕著ではあるんですが。ちなみに、この曲の演奏ははっぴいえんどが行っており、レコードで聴かれるヴァージョンはなるほど「フォーク」っちいですが、たしか中津川フォークジャンボリーだったと思いますが、そこでのライヴはバーストしまくっており、フォークでも何でもない、テイスト的にはクラウトロックに近いようなしろものになっています。
はやし 2006/11/08(Wed)21:25:00 編集
すげー今更なんですけど、「狂い咲き」のライブバージョンでは最後の「今ある幸せにとどまってはならない、まだ見ぬ不幸に今跳び立つのだ」ってやってますね。つまりひっくり返ってる。要は気分の問題なんでしょうけど、不幸せに飛び立つってフレーズは、時代が時代ってこともあってシャレにならないから自粛したのかなと思います。最後のアンコールではオリジナル通りですが、これは合唱してたからっぽいです。(実はこの記事みて、『手紙』試聴してGSっぽい音だし聴きやすいしいいな、と思って買ったんですけどね)
でも「あなたを殺すことなのだ」のがよっぽど強烈ではありますから、あんまり関係ないかもしれないですけど。
長谷部 2006/11/12(Sun)01:56:00 編集
あ、やっぱりひっくり返ってるヴァージョン、存在しましたか。いやあ、まあ、理の当然として、あそこまでひっくり返したら、「いまある」以降もひっくり返したくなるのが人情と言うもの、ですしね。とはいえ、まああんまりそこは大した問題にもならない部分、というのも、その通りです。
はやし 2006/11/12(Sun)06:59:00 編集
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