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近代/現代というものはまずもって、その「新しさ」、「前の時代」との断絶によって特徴づけられる。そこからいきおい、「藝術」という領域においても、「新しさ」という側面がクローズアップされ、そして、「新しいこと」がそのまま「価値」になる。だが、工業製品などにおける「新しさ」ならいざ知らず、藝術においても「新しさ」は自体的に「価値」であるのか?

たしかに、われわれは何においても「驚き」を求めている、とは言える。そして、この「驚き」を求める対象は往々にして、「新しきもの」であることが常である。何か見慣れたものというのは退屈なものであり、ときに、「退屈である」との感慨さえもたらさずに、網膜にその像を結ぶと同時にとりたてたるニューロン固着もなさずに消え去っていってしまう。

しかし、ここで「美しいものはつねに人を驚かせるが、人を驚かせるものがすべて美しいと考えるのは馬鹿げている」というボードレールの言葉を思いおこそう。藝術にあっては、ただ人を驚かせばいい、というものでないことは言うまでもない。つまり、ことを藝術に限らずとも、何かの「驚き」が肯定的評価されるためには、その「驚き」をもたらす「それ」の「それ性」が担保されたうえでのことであるのだ。

また、人が「新しさ」を感じる対象は(そして「驚き」を覚える対象は)、何もじっさいに「新しい」ものである必要もない。たとえ、紀元前の昔に成立した文物であったにしても、それにふれたことのない目にとってそれは「新しい」ものとして映る。つまり、「子供は万事を新しいものとして見る。子供はいつも酔っている」のだ。

こう考えていくと、たんに「新しさ」が自体的に藝術に価値をもたらすとは、どうも思えなくなってくる。たんじゅんにこれは、「進歩史観」の反映なのであろうか?

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Jazzという音楽様式は20世紀劈頭に誕生したこともあり、変る/変り続ける事を強いられてきた?とも言えるわけです、ディキシー、スウイング、バップ、ハードバップからモーダルジャズあるいはフリージャズとか。まぁ大抵の一般向け解説書?を見ると単純なものから複雑、高度なものへというベタな線形歴史観ですね。で、フリージャズというのはコード進行という「お約束」をとっぱらう、謂わばJazzというカテゴリ自体の解体で行着くところまで行けば「それ性」さえ担保されなくなって、(極論すれば)ただ出鱈目に音を出してるだけで完全に袋小路に入って自壊したわけで。
ナット・ヘントフの本に『ジャズ 個性派たちの時代』ってのがありますが、確かに時代を画する偉大なイノベーターが出現してパラダイム・チェンジが起きる、その巨星を巡ってベンヤミン謂うところの「星座」が生成するけれど、それこそ空間的な異同であって古いも新しいもない、時間的配列とは違うわけですよね。マイルス・デビスも言っていたと思いますがデューク・エリントンは上記のカテゴリのどこにも当て嵌まらない謂わばメタ・ジャズ、メタ・ミュージック、「ふふん、そのスタイルなら30年代にやったぞ」っていう。
バルタン星人 2006/06/03(Sat)08:44:00 編集
ぼくは日常よく聴く唯一の「ジャズ」がフリージャズなのですが、よく考えれば(というか、一聴明らかか)ジャズなんだかなんだか、ですよね。まあ、そもそも「ジャンル」というもの自体がかなり恣意的なものであり、ある意味「宗教論争」っぽい風味もあったりしますから(「お前なんてジャズじゃないっ!」とか)、純粋な音楽聴取というアスペクトにおいてはジャンルなんてのはどうでもいいと言えばいいのですが、その「ジャンルの変遷」ということに限って言えば、「それは『進歩』なのか?」という気はしますよね。もちろん、何か今までとは違う音楽語法は、ジャズにおいてであれ何においてであれ、音楽自体の幅を確実に拡げるわけですが、それが以前から存在したものよりも「いい」と言うにはちょっとためらいがあります。たんに、これもいい、あれもいい、でいいじゃないか、と。

ただ、音楽というのはどこかテクノロジー制約という点があり、また翻って言えば、テクノロジーの創出にも寄与したりするので、そう意味では「新しさ」を語るのも無意味なことではないかもしれません。それでも、「それはそれ」で、その音楽自体のよさとは無関係ではあるんですが。
はやし 2006/06/03(Sat)21:46:00 編集
テクノロジと音楽様式の話は以前フニャコさん所でやりましたが(マイクロフォンが逆にテンダリーなボーカルを可能にしたとか、ポピュラー音楽の1曲4分弱というのはSP盤の片面だ、とか)、ジャズだとチャーリー・クリスチャンが電気ギター(Gibson ES-150)を手にしなかったら、未だにギターはリズムセクションの一員に止まっていたかもしれません。
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バルタン星人 2006/06/04(Sun)08:30:00 編集
現代音楽にかかった領域なんかだと、「自作楽器派」なんてのがあったりしますね。顕著な例だとハリー・パーチとか、自作楽器派ではないけどナンカロウとかもベラボーですね。そういえば、生身の人間にはとてもじゃないけど演奏不可能な曲を書いて「演奏者に指が十本しかないのは作曲家の責任なのか」と嘯いたのは誰だったか。
はやし 2006/06/05(Mon)12:47:00 編集
ファッションにせよ、インテリアにせよデザインの世界では、古いもの(伝統とかオリジナル)からインスピレーションを得て、そこにアレンジを加えてリファインされるって作業が行われているわけです。そこの「変化」ってのが重要なわけで、それがあって初めて文化に組み込まれる。
じゃないと面白くもなんともないし、好奇心も刺激されない。
流行の伝播てのも例えば「回転寿司」が、フランスのマレではクラブオーナーのアレンジで(その名も「ROU」)インテリアから回ってるものからが「デザイン化」されちゃうし、香港ではわさびを大量につけちゃうし、タイでは豚カツが回っちゃう、といったオリジナルの変化の複合要素があってこそ面白い。
…なんてことを「はやしのブログ」のタイトルを見て思った。
Sita 2006/06/08(Thu)07:25:00 編集
これはレヴィも言っていることだけど、何らかのことがら(たとえば、テクノロジーなど)の誤用や曲解によって文化(という言い方はおおげさで好きではないのだけど)というのは育ってきたわけで、そうしたことがらたちが何のロスもなく伝達されるばかりであったら、とてもつまらない風景がひろがるであろう、とおれも思う。

そして、これだけコンピュータが人びとの手にわたり、それにともないデジタルデータが氾濫しだすと、上で危惧したような「ロスのないデータのやりとり」が幅を利かせることになる。それがゆえにものごとがつまらなくなる可能性がある。そうした可能性を阻止するためにも、われわれは意図的に何かを誤用し、そして曲解するべきだ、と思ったりなんかするけど、それもその「何か」によりけり、だな。
はやし 2006/06/09(Fri)05:37:00 編集
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