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生は、潜在的なものしか含まない。それは、潜在性、出来事、特異性から成るのだ。潜在的と呼ばれるものは、現実性を欠いた何かではなく、その「何か」に固有の現実性を与える平面/計画に従いながら、現勢化のプロセスに身を投じる、そんな「何か」である。内在的な出来事は、その出来事を発現させる状況や生きられた状態のなかで現勢化する。内在平面はそれ自身、自らが包摂するある対象、ある主体のなかで現勢化する。だが、そうした対象や主体はその現勢化とは切り離しがたいとはいえ、内在平面それ自体はあくまで潜在的なものであり、同様に出来事も、潜在性から成るのだ。出来事や特異性は内在平面にそれらの潜在性すべてを与え、内在平面は潜在的な出来事に全き現実性を与える。いまだ現勢化していない(不確定な)出来事は、何一つ欠くことはない。そうした出来事は、その随伴物、つまり、一つの超越論的場、一つの内在平面、一つの生、そしていくつかの特異性に引き合わせさえすればいい。傷はある状況やある生きられた状態のなかで具現化、あるいは現勢化する。しかし、その傷自体は、われわれをある一つの生に結びつける、そういう内在平面における純粋に潜在的なものである。私の傷は、私に先立って存在する……。高次の現勢態としての傷の超越性ではなく、ある環境(場、もしくは平面)のただ中に常にある潜在性としての、傷の内在性。超越論的な場の内在性を決める潜在的なものと、それら潜在的なものを現勢的にし、そして超越的な何かに変質させる可能形式との間には、かなりの差があるのだ。
ドゥルーズ最後のテクストの、最後の一節。
突っ込んで読み始めると、何やよー分からん、という箇所が続出するが、流し読む分には、すっとこちらに入ってくる。というか、それほど大したことは言っていない、というような、当たり前の感じさえ受けたりする。
生きる、ということは、あるいは同じことだが、生きてある、ということは、「ある」という言葉が刻む「存在」の刻印にも関わらず、何か確定的な仕方で在ることとは違う。畢竟これは言い方の問題と言ってしまえばそれまでなのだけれど、「生きる」というのは潜在的なものを現勢化させ続けること、つまり、出来事を、特異性を産出し続けることだ。それは、大抵の場合無時制的に発せられる「〜がある」という「存在」ではなく、「〜になる」というプロセスとして、「ある」。
内在平面について言われていたように、「ある」と「なる」は相補的に、入れ子状になっている。何かが「ある」のでなければ、そもそも何か別なものに「なる」ことはできまい。しかし、そもそもその「何か」に「なる」ことがなければ、何かは「ある」ことはないだろう。「私」は「私」が「私」になる、そういう内在平面であり、かつその結果でもある。だが、そうした平面が「ある」から「私」が「ある」、もしくは「私」に「なる」のではない。「私」という「ある」に「なる」ことが、その平面を生成する、もしくは、そうした「なる」ことの謂いが、内在平面である……。
って、はい、ちょっと風邪気味です。
それで、いわゆる「現代思想」という枠に括られる人で、二項対立的な図式のどちらか片一方に肩入れする人なんて、今時いませんよね。むしろ、カイザーさんが言うドゥルーズ的な相互貫入の図式や、もしくは二項対立的図式そのものの拠ってきたるところを問題にするのが彼らの本意だったはずです(それがうまくいったかどうかはともかく)。
東洋思想が本当に「ある」よりも「なる」を専一に称揚する思想なのかどうかよく分かりませんが、「東洋思想」という看板のもと、そのように取られても仕方のないことを言う人はいなくはないかな、という気はします。
無規定な dx=ある と 無規定な dy=なる が
dy/dx(あるいは dx/dy) という関係項をつくるということで、 初めて「生」あるいは「差異」が規定される ってことですね。?????
(その先が、さらにまた、極めて胡散臭い数学の乱用となりますが・・・)
∫(dy/dx)dx とすると 「なる」という側面が見え
∫(dx/dy)dy とすると 「ある」という側面が見えるが、
実は、同じことを言っているにすぎない。
結構、自分で、「ト」と分かっていて書くのも、面白いものです。ははは。
しかし、ほんと、こんなことの表記に数学は必要ないですね。
ドゥルーズの発想には、「ある」「なる」というのに、どっちが先という発想、どっち大切という発想は、一切無く、まさに「入れ子」状態ととらえているというのは、その通りで、実際、これに、どちらが先も後もなくて、それは共時的差異的にしか、とらえられないものとしており、さらに、そこに、「運動」や「躍動」を見ており、私流解釈においては「なる」>「ある」という発想をを持つ東洋思想とは、一線を画す発想だと思っています。
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