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カルト的といえばこれほどカルト的なバンドもいないだろう。何せ、出ている音源といえばほとんどブートばかり。一回だけセミオフィシャルのようなかたちで出たCDも、今ではもちろん入手は難しく、中古価格で五万に近い値が付けられている。ライヴにしても、ペースとしては五年かそこらに一回、というありさま。だから、どういうかたちでであれ、ラリーズの音に触れることは容易ではない。しかも、この「容易でなさ」はその姿を観、音を聴いたあとにこそ、より強く感じられるものかもしれない。
楽曲構造ということで言えば、ラリーズのそれはごくシンプルと言ってもいい。リズムも、メロディも、そしてハーモニーも、どれ一つとして奇矯なところなぞないストレートなものである。演奏的にも何一つ難しいことはやっていない。楽曲構造にしても、演奏にしても、今日びのそこいらの人たちのほうがよっぽど「容易でない」ことをやっている。それなのに、ラリーズの音に接して感じる、この異様さは一体何なんだ?
遠い音。遠く、そして広い音。だが、そこで鳴っている音に曖昧さはまったくない。遠くからやってきて、聴いているこちらを包み込むかと思うと、その音を聴くものの芯を突き刺す。しかし、そこには「これしかない、こうであらねばならぬ」という気負いや自意識などはなく、そうであるしかないような、鳴るべくして鳴っている音が聴かれるだけだ。「必然」という言い方も馬鹿らしい。演奏するものがいて、音がある。そういう「当然さ」に在する驚き。というよりも、そうした「当然さ」がまさに「驚き」なのだ。
……このように、このままいくらでもラリーズに関して贅言を連ねることはでき、そして事実、これまでラリーズについて数多の言葉が言われ、書かれ、沈殿している。しかし、言うまでもないことだが、そんなものに意味はない。だいたい、音楽、ひいては「音」に意味など何一つない。だが、意味などなくとも、というかむしろ、意味などないからこそいとおしく、とうといのだ。ただ音が鳴っているということの全き肯定。それは結局、すべての存在を「在るもの」として肯定することではないのだろうか。
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