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(2月19日追記)
「BLOCKBLOG通信第31号」をご覧になって来られた皆様へ
このコメント欄での出来事の経緯を説明したエントリを書きましたので、これを読む前か、読んだあと、そちらもご覧になっていただけると幸甚です。とはいえ、これだけ読んで「荒らされてやんの! がはは!」みたいな受け取り方でも全然オッケーです。
(追記ここまで)
隊長のニート投稿(その1・その2)に端を発する、ここのところの一連のニートを巡る記事を読むと、語る側と語られる側が、「ニートである、ということは問題だ」という視点を概ね共有しているように 思える。語る側は「お前ら社会に迷惑かけとる! 働けるんなら四の五の言わずに働け!」と言い、もう少しニートに歩み寄った語り手 は「そういう君たちも働けるように、この社会をどうにかして……」と言う。かたやニートは、「働きたいんだけど、働けなくて……」と 言葉を詰まらせるか、「自分はなぜ働けないか」について滔々と語り始める。でも、ニートであることは、社会にとっても、そして本人 にとっても、それほど問題なのか? 社会も、ニート本人も、ニートをニートのまま肯定することは出来ないんだろうか? そういう夢物語のような、でも何かしら景気のいい話の展開をさせている人はいないかな、と思って、隊長のニート投稿についたTBを見ていったけど、そういう記事には出会えないまま、メンドクサくなって挫折。しようがない。浅学非才とそもそものムリを承知で、わたくしめが、と名乗りを上げた次第でございます。(念のために付言しておくと、当の隊長は、さすがに、というかなんというか、「無業者の持つ光の面」という表現で、「ニート肯定」への道筋も示唆しております)
まずは、自身はニートではなくニートを問題とする人は、いったい何を問題視しているんだろうか? ニートから「下層階級」に転落した ものたちが引き起こす治安の悪化や、国の財を食いつぶすフリーライド行為といった、社会的・経済的なもの? それとも、「ニート問題 」をうまく捌けない社会の「犠牲者」として、ニートを不憫に思って? 前者に関しては、それってどれぐらい実証的な裏付けがある危惧 なの?という観は免れないし、後者に関しては、「働きたいけど、働けない」ニートってのは、「やりたいことはあるけど、できない」か「やりたいことがわからない」か、それ以外の、本当にどうすることもできない「生粋のニート」、という人たちであって、最後の類以外はある意味「自発的」にニートを選択しているともいえるわけで、それだったらほっといたら?と正直思ってしまう。「働きたい」とは思っているわけだし、その人たちがニートを脱することに社会がかけるコストが、果たして適正に社会に還元されるか、ということも限りなくアヤシゲだし。そう考えると、そんなに問題なのかなあ、と思うのだ。
それだったら、悶々としているニートたちは思い切って、「いずれはどうにかして社会復帰」というケチくさい考えを捨てて、今ある境遇 を全肯定してみたらどうだろうか? さらには、ニートがニートであるだけで非難ムードが漂ってしまうことが因ってきたる「労働」を否 定してはどうだろうか? だって、時間をもてあまして、かつ考えがその場でぐるぐる回りながら悶々としてるんでしょ? なら、その時 間を「ニートがニートのまま肯定される社会」の構想のために振り充ててはどうだろう。今のままの考えでいくと、どの道先行きは暗いん でしょ? だったら、一か八かの「一」を取りにいくってのもありなんじゃない? ここはいっちょ、ニートの四類型のうちの一つである 「ヤンキー型」(反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ、だそうです。でも、「ヤンキー型」って類型があるってこと は、隊長! 「族上がりニート」がいるのかもしれませんぜ!)に徹してさ。
って、チラッと思ったんだけど(ごめんなさい。やや逃げ打ってます。すんませんねえ、ヘタレで)、こういうことをネグリ系の人たちと かが、アウトノミア運動と絡めてアジる、って筋書きがもっと見られてもいいのに、全然だねえ。「ニート ネグリ」とか「ニート アウ トノミア」とかでググってもさっぱり。せいぜい、某分厚い本を書いた人が慶応でやってるゼミに提出された、くっだらねー、というか、 こんなんで点くれたわけ?ってなレポートぐらいが関の山で。もっとさあ、だめ連の人たちが復活したり、高円寺ネグリ系の人たちが暴れ まくったり、(そもそも日本にはあんまりいないけど)シチュアシオニストかぶれの人たちがしゃしゃり出て来たりして、もっ と楽しませてくれよお、とおもう。何か、ほら、違う展開が見えるかもしれないし。
あと、意外だったのが、ベーシック・インカム(「生きてることに賃金を!」という感じで、すべての人に無条件で最低限の所得を保障しよう、という構想。小沢修司『福祉社会と社会保障改革』によると、一人当たり月額8万でいけるそうです)を持ち出してニート擁護・肯定、って人がいなかったこと。ま、そもそも「肯定」ってひとがあんまいないんだけど。
でも、正直にいうと、何がどうあれ、どうでもいいなあ、というのが偽らざる感慨。そういう私は「働きたくないから、働かない」ニートです。
関連書
ネグリ関係
ネグリ/ハート 『帝国』
矢部史郎/山の手緑 『無産大衆神髄』
『現代思想 2003年2月号』(ベーシック・インカムについての、非常にいいサーヴェイ、山森 亮「基本所得」も所収)
アウトノミア関係
ハキム・ベイ 『T.A.Z. - 一時的自律ゾーン』
シチュアシオニスト関係
アンテルナシオナル・シチュアシオニスト 『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト 1巻 2巻 3巻 4巻 5巻 6巻』
ギー・ドゥボール 『スペクタクルの社会』
ベーシック・インカム関係
小沢修司 『福祉社会と社会保障改革』
削除とか何とか、餓鬼自身で決めれば。なんたって、この城の主だもんね、オナニスト閣下殿。
エントリ楽しみだよ。
はいはじめ。制限時間は2時間。
Commented by ああああああ at 2005-01-17 12
「手応えのある議論ができる人だとにらんだからこそ、こちらも真剣にbookloverさんの考えの中に私が感じた疑問や矛盾を率直かつ乱暴に、またイヤラシく追求」
おっさんよ、そんなイヤラシく追求しなくたって、真摯においらは受け答えするよ。そういうの誤解招くよ。ってか、このBlogではそれが常識なの。おいらもいい大人、あんたもいいおっさん。いい議論するのに、そんなことまですんの。もっときちんとふつーにできるよ。あんたの考えやん。おいらはどかどか入ってくるおっさん見て、正直、狂ってると思ったよ。そんでオナニスト閣下(餓鬼のこと)は、そういう対応よく読んでないんだろうけど、あんたに軍配上げて、おいら批判ときたもんだ。部外者いれねえ、閉鎖的コミュニティーなの。てか、実際そうだよな。それがおいらのいう「政治」のいやらしさ。 あー、疲れた説明スンの。
まー考えとき。
で、オナニスト閣下(餓鬼のこと)はこういうとき、だんまり決め込む性質もわかってきたんで、ますますオナニスト閣下(餓鬼のこと)の忠告に従って、暇を見つけては書き込みがんばりますわ。面倒なときはやんねーけど。わかんねー、どうでもいいか。
「「勝つ」議論より「負ける」議論」
やってるね、勝ち負け、しかも時折おいらの言葉、ちょさっけんなんかないから使い放題。負けたい、お得。
つまんね話。今、暇だからオナニスト閣下(餓鬼のこと)の過去のエントリ見させてもらってるんだけど、これじゃおもろないわ。だれもみてねえって、それほんといえてる。
だけど、おいらのBLOG一日200-300アクセスあったんだよね。いきなり。たいしたこと書いてねーのに。ますますおいらが取り組んでるBLOGについての考察に問題山積だな。
働けよ、餓鬼は、大人の楽しみなんだから。書きが読んだって解釈が浅いから、その買われた書籍ちゃんがかわいそうじゃん。共約可能性のレベルが低いんだから、あんた。
言葉に対する感受性も。
青いってかわいそう。よくBLOG立ち上げようなんて暴挙に出たね。ねーねーどうして。おせーておせーて。
その苛立ちは、おかわいそうにと、同情、ではないな、憐憫を感じる部分もあるけど、正直言わせてもらえば、滑稽だよ、すごく。しかも、あなたは安定しているのですか、って聞いて、んで、おれが安定しているかどうかなんて分かりゃしないのに、勝手に安定していることにして、「幸せもんというか(バカ?)」(カッコ内、引用者)なんて言っちゃって、いやあ、一人上手。
bookloverさんが「自分に甘く他人に厳しく(おれの目に)うつったの」は、「荒井氏がこの人は議論できると見込んであえて厳しく私に接してきたこと、そして私が自己防衛をしたこと」が然らしむるところでは、ぜーんぜんありません! やっぱ、無自覚なのか。
で、「わたしがすでにここからいないという前提で言いたい放題ですね」って、うんにゃ、「わたしがすでにここからいないという前提」っつーのは、このエントリを書きつつあったある時点(ほとんど完成ってとこ)まではなかったのだ。つーのも、「一身上の都合に都合により閉鎖まであと数日」なんてタイトルは、はっきり言って目に入んなかったもん。だから、おれはbookloverさんが去ろうと去るまいと、言いたい放題言うですよ。何で言わない理由があろうと? 「bookloverさんが去るから言いたい放題言ってんだろ」だなんて、「勝手な想像です。どうしてこういう乱暴なことがいえるのか」。悲しくはないけど、可笑しい。
TBを送ってた意味? 意味なんてあるの? ほう! こりゃおどろきだ! Parce que M.Livrefile ecrit
で、「自分で納得」って、何を納得せにゃあかんの? ほんと、とことん「微視的権力によって規律訓練されている」なあ。別に納得もくそもないでしょ。
それにしても、bookloverさん、ちと「くそ真面目」すぎやしない? や、「真面目」なのはいいんだけど、それに「くそ」が付いちゃうとねえ……。
ま、何にせよ、欠席裁判になんなくってよかったですよ。だって、いないところでやいのやいの言ったって、面白くないからねえ。
では〜。
commented by はやし posted at 2005-01-17 05
ま、それで溜飲が下がるなら、いいんだけどさ。つか、溜飲下がろうと下がるまいと、どーでもいいけど。
別にだんまり、「だんまり決め込む」つもりもなかったんだけど、ごめんね、放置しちゃって。でも、ひとりで次から次へと無内容な事を、よく書込むねえ。空しくなってこないのかな。
こういうの(酔っ払いのくだまきみたいなやつ)に応答するのって、いかにもめんどくさいよねえ、やっぱり。でも、bookloverさんに関するエントリは書こうと思うけどね。
あ、そうだ、結局bookloverさんの記事は、どっかに載っけていいのね? あんがと。
じゃねー。
で、おれがあのエントリ(「放っておかれるためには、放っておかなくては《ならない》」)を書いたのは、araikenさんに軍配を上げるためでもなく(ちょっと擁護した面はあるけど)、bookloverさんをここまで燃え上がらせるために書いたわけでもなく(あ、でも、ちょっと燃料注いでみようって気はあったかも)、「バカバカ言ってないで、もうちとちゃんと話しようよ、その際には最低限の一貫性を認めてさ、そうじゃないと「共生」もくそもないっしょ?」ってことだったんだんだけどねえ。
とはいえ、あんまそういうふうにも読めないし、確かに焚きつけようって気も、少しあったからねえ。
ともあれ、おれも、「bookloverさん、平穏なこころをかき乱しちゃって、ごめんね!」って、言っとくのが礼儀だろうな。ごめんね。
またbookloverさんが現れてここに書込むのはウェルカムなんだけど、こういう「あらし」っぽいのじゃないほうが、ありがたいかな。やっぱり、正直「うっとうしいな」と思ったもん。「書込む」そのことがじゃなくって、書込み方が、ね。
まあ、とりあえずは一段落、ってかんじかな?
bookloverさんもお体に気をつけて、あんま酒飲み過ぎないように(余計なお世話)、元気でね!
じゃ、また!
って、今までの経緯を考えると、また再燃しちゃったりするからなあ。ま、そんときは、そんときだよね。
もうここに来ないと自分で書いておきながら、また書き込まずにいる私がいて、結局これって、はやしさんへの根拠ない誹謗中傷への謝罪とかじゃなくて、単に自分に納得させたいがための行為で、それこそ私がオナニストであることを露呈しちゃってるんだど、ごめん最後の最後の一言勘弁願いたい。実は、訪れないとかいいながら、しらふになって、気になって(生真面目すぎるっていうはやしさんの指摘、私の分析は見事だと思う)はやしさんのBlogと荒井さんのBlog開いちゃってる私がいるわけよ。で、新井さんに私が年齢的な差別的用語を言ってしまって、荒井さんそのことで、ちょっとダウナー入ったエントリ書いてたのね(実際はぜんぜん気にしてないかもしれないけど、おれの勝手な想像ね)。で、言葉ってすげー重要だなって、人を簡単に殺せるなってまたまた考えちゃって、議論していくときに必要なのは結局言葉。でも言葉っていってもある○○(例えば私が使う「政治」とか)の意味って、その人が読んできた本とか、他者とのコミュニケーションとか、自分の実体験・思考過程で、人それぞれどんどん辞書的な意味から乖離して、人それぞれの定義っていうか、印象というか、意味することって、ぜんぜん異なってくるじゃない。簡単な「政治」って単語でもそうだと思うのね。辞書にはこう書いているとかそんなの、どんどん自家製の改訂版になっていっちゃう。そうなると、他者と議論するって結局、「言葉」って何っていう問題に帰着すると思う私がいるわけ。そうなると、人と人って、絶対にわかりあえたり、納得したりって、嘘なんだよね、不可能っていうか。納得した感じって感じだけしか得られない。完全を目指しちゃう近代に取り込まれた私がここにも露呈してんだけどさ。私が言ってた「共約可能性」なんて、どこまでも言葉噛み砕いていっても無理で、「共約不可能性」しか残んないと思っちゃう私がいるのよ、馬鹿みたいだけど。で「言葉は常に不足であると同時に、常に過剰でもある」なんてどっかの誰かが書いた言葉を私がBlogであたかも自分の言葉のようにえらそうに、書いてる。言葉一言一言にこめられた「意味」なんて考えると、私みたいに「わかりあえない」⇒コミュニケーションの断念⇒逃避行動(Blog閉鎖)という、極論行くわけよ、私のこの近代を内面化してる生真面目さゆえに。あほみたいに。だから、はやしさんのようにわかりあえないの前提でだから、コミュニケーションし続ければいいじゃんみたいな軽快なのり(これも私の勝手な想像の粋でないけど)ができる若い世代って言うか、いい意味での諦めを使える世代に嫉妬してる自分がいたり。ほんと、うつになっちゃうのね。だから「あえて」、酒とか、女とか、ドラッグとかの「快楽」で紛らわしてる自分。もう、閉塞状況なんだよね。もともと欝っぽいとこあるからさ私。わかっちゃいるけどやめられないっていうか。だから、一方で言葉を前提にした論理とか一貫性、議論、なんてこれっぽっちも信じちゃいなくて、だから、はやしさんは私のダブルスタンダードが目に付くんだろうね(これも私の想像でしかないけど)。その閉塞状況を指摘されると、あとはもう生きてるってなによ、例えば女とセックスしてもコミュニケーションもなにもあったもんじゃないわけ。もうただ一人生きてるだけ。ごまかせない生真面目なうつ病患者そのもの。勝手に逃げてごめん。でも正直、コミュニケーションとるの怖くなった。Blogは文字だから、テクストが勝手に暴走するじゃない。だから、できればなんだけど、私の痴態をさらしまくってる過去のエントリとか、コメント、全部消去して粉々の砂にして海にばら撒いて欲しいんだよね。ほんと勝っていって最後のお頼みって言うかさ。もうマジで、迷惑絶対かけない。まじで誓う。飲まないようにしようと思ったもん。ほんと弱い人間なんだよね。わたし。これお涙頂戴じゃないから。まーそんなことどうでもいいよっていうはやしさんの賢さがあるからそう(お涙)にはなりようもなく、もう私のことなんてすっかり忘れてはい次の面白い問題いってみよーだとおもうんだけど。ほんとオナニストの私の最後のお願いみたいなもんです。恥ずかしくて、新井さんにもまじで悪いことしたって勝手におちこんでるのよ、ここもオナニーなんだけど。だから、もう、私関連のテクストとあの一連の出来事、きれいになかったことにして欲しい。本当に新井さんとはやしさんにはすいませんしかいえない。では、マジでもう絶対書き込みしないし(というか、はやしさんはそんなことどうでもいいんだろうけど、私自身が怖くて出来ない)、閲覧もしない。最後の最後までオナニスト。いやんなるよまじで。それで、新井さんのところにも書きたいんだけど、また言葉の乖離気になって誤解されたくないから荒井さんのとこにはかけないんだよね。傷つけたくないし。はやしさんなら、軽く流してくれそうだからこっちにかいた。でも新井さんもこれ見ちゃうだろうし、読んだら、速攻削除して欲しい。正直なところ。寒くなってきたので風邪など引かないよう。かしこ。(booklover−了)
それで、過去のbookloverさんのコメントやら何やらの書込み、それに付随したおれの何やかんやを、きれいさっぱり消して欲しい、ってのは、うん、そうかもしれぬ、とはおもうけど、ごめん、そのリクエストには答えることができない。っていうのも、bookloverさんにはあれもこれも含めて、過去は過去として引き受けて欲しいから。そして、願わくば、ある日そういう過去の自分を見ても、ちょっと苦笑いするぐらいで、それはそれとして未来に向けて歩いていって欲しいから。すげえ面映いというか、気取った言い方になっちゃうけど、そうおもう。
あとでまたちゃんとした返事を書けど(ニートのくせに雑用ばっかはたくさんあんだよねえ)、とりあえずおれが言っておきたいのは、別段おれは「迷惑を被った」とも、誹謗中傷されたともおもってないってこと(苦笑いしながら、「うーん、それは言えてるかも」っておもいながら読んでたよ。ま、全部が全部そうおもえた、って訳じゃないけどね)。
そんなわけで、またあとでね。
あ、そうそう、たぶんおれとbookloverさんって、そんなに年齢ちがわないとおもう。たぶん、だけどね。
えー私語りなんだけど、私という人間は様々な欠点を抱えています。真実のコミュニケーションというものを強く希求しながらも、それが到達不能であることに絶望して深く沈降し、理解され受け入れられたいという渇望は満たされることなく静かに淀み濁り澱となり沈殿し、
物事を正確に言い表したいという欲求が強くて、すべての要素を描き、伝えたいと思い、小さな齟齬や要素の欠落も気になり表現しようとし、かえって全体のバランスを崩すと言った所や、
また、悪気はないんだけど、本人達が敢えて隠している部分、意識の隅にはあるのだけれど黙して語らない所に敢えて焦点を当てて暴き立てたくなってしまうという無邪気な性格の悪さ、とか。
そういうもろもろを思い出し、そして誰しも似たようなものを抱えていると思うと嬉しくて愛おしくすらあり、人は人のコンプレックスを愛するのだと思いもするけど、私自身のコンプレックスは単におぞましい代物であって愛するに足る代物ではなく、解放されたいと願う、そんな事を思いました。
これまでの議論の流れは全て無視します。
引きこもり、長期に渡る失業など含めれば何百万人もの人がカウントされるような現象を個人的な資質の問題として考察するのは無理があります。
これは社会的な現象であり、ローマ帝国の最盛期に修道院が盛況であった事ともつながっていると考えます。
「世俗を断つ。」という需要がこれほど肥大化しているのに、日本の宗教界、特に仏教界はなにをしているのか!
と言いたくなります。
言葉はね、ほんとむずかしいよね、使うのが。bookloverさんも言ってるように、同じ言葉、同じ単語でも、そこに込めている意味は全然違ったりする。だからこそ、コミュニケーションしなきゃダメ、というか、コミュニケーションというものがあるんだとおもう。もちろん、言葉の通じなさに苛立ったり、ということはままあるかもしれないけど、それはそれとしてやってかないといかん、とおもう。「いかん」というのは、だってそうするほかないでしょ、っていう、諦念ともちょっとちがうんだけど、「しようがなさ」を引き受ける、っていうような、そんな感じ。
それで、bookloverさんがよく言っていた「共約(不)可能性」、おれ昔科学哲学やってたから、真っ先にクーンを思い浮かべて、んで、その次に思い浮かべたのが、まあ「連想」って感じになっちゃうんだけど、クワインの「翻訳の不可能性」ってことなのね。これは、もうほんと、乱暴な言い方をすれば「コミュニケーションなんてもんは、あるかどうか分かんねえよ」って言ってることで、人と人は分かり合えるかもしれないし、分かり合えないか、それこそ「分からない」けど、でもこういう考えがあるってことはどうやら「分かり合えてる」っていう既定状態は少なくとも前提としないほうがいいな、っておもうのよ、おれは。
そこまではたぶんbookloverさんもそんなに遠いかんじ方はしてないとおもうんだけど、そっからの違いがでかいのかもしれないね。おれは、その「分からなさ」を「面白さ」として受け止めようとしている。もちろん、即自的な感情としては、「分かり合える、分かってくれる、理解してくれる(と自分ではおもう)」ってのは快いものだけど、反面味気ねえなあっておもっちゃうってのも事実で、まあこれは趣味の問題というか、一般的に敷衍できることではないかもしれないけど、そういう面もあるんじゃないかな。
で、「分からなさ」を「面白い」と受け取るか、「絶望」として受け取るかの違いってのは、これはほんと推測っていうか勝手な言いっ放しになっちゃうから、遠慮なく「何失礼なこと言ってんだよ!」って言って欲しいんだけど、「自分」というものに重きをどれだけ置いているか、ってのの違いなような気がする。bookloverさんはたぶん、心のどこかで、確固たる自分、ゆえに分かってもらえるはずの自分、っていうものを想定しちゃってるのかな、っておもう。翻っておれのことを考えると、そんな「自分」なんてないとおもってる、とおもうもん。それは、意識的にそうおもおうとしてきたってこともあるし、持って生まれた資質ってのもでかいとおもうけど、そうなんだよね(ここからたぶん、いろいろ言われちゃってたおれの抜き差しがたい「無関心」ってやつが出てくるんだとおもう)。もし「自分」なんてものがあるとすれば、あからさまなポストモダンっちい考え方で恐縮だけど、他者の結節点としてしかありえないとおもう。だから、それは確固たるものではないし、変わりうるものでもあるし、って感じで。
ダブルスタンダードのことについて一方的にbookloverさんのことを言い募っちゃったけど、おれだってそうだよ。おれなんか「ダブル」どころか、無限の基準を内に有していて、対象によって使い分けているといってもいい。ただ、それは単純に「玉虫色」ってことじゃなくって、たとえば、ヘンな比喩で申し訳ないけど、同じカブトムシに接するのでも、それが成虫か幼虫かでは接し方が違う、というような……。でも、それにしたって、無限の基準が縒り合わさって、一貫性らしきものが出てきたりするんだけど……でも、こと議論をする場合にはこういう複数の基準ってのはやっぱり要らぬ相克のもとになることも確かで、それは気をつけてるつもりだけど、あくまでも「つもり」だしね。だから、うん、おれがbookloverさんについて論っちゃったのは、たぶん、頭で「考えてること」と、心(なんてものがあるかどうかわからないけど、とりあえずあるとして)で「感じてること」っていう面が綯い交ぜになってたところじゃないかな。これは事実問題じゃなくって、おれにはそう見えた、ってことでしかないけど。だから、「議論してんだからさあ、『情』は措いとこうよ!」ってことだったんだけど、あんまりにもあんまりな言い方だったしね、そうは全然おもえなかったろうな。
で、弱いの強いのってのは、ほんとおれよく分かんないんだけど、少なくとも「情」の部分で「つれえな、いやだな」ってことは忌避できるに越すはないよね。ただ、やっぱり、「何でこんなに自分を追い込んじゃうんだろ?」ってbookloverさんに対しておもったことも事実で、図らずもbookloverさん自分のことを「アンビヴァレンツ」って言ってたけど、それをそれとして、それこそおれみたいに「無責任」に、それである「仕方なさ」を引き受けて、突っ走っちゃえばいいのに、ってもどかしさもあったんだな。人様のことなのに、おせっかい、っていうか、大きなお世話だよねえ。
それと「オナニスト」って、bookloverさんはたぶん罵倒語っていうか、肯定的な意味合いがない言葉として使ってるとおもうんだけど、おれね、最初にそう言われたときにふつうに「まあ、そうだよな」って、それこそ「納得」しちゃったんだよね。でも、「他者」と分かり合えないっていう前提がある以上、好きにやるしかないよな、で、そういう好き勝手やってる「個」が、ものすごいスピードでニコニコしながら併走している……そういうのって、何かいいな、っておもった。だから、ってんじゃなくても、全然いいんじゃない、オナニスト? つか、それで何が問題なのかよく分からん。や、分からんことだらけで申し訳ないんだけど。
あー、何か話が発散してきちゃったな。もっとまとまったことを書こうとおもっていたのに……かように言葉ってのは、人も裏切るけど、何より自分も裏切るもんですな。いや、ちゃらけた感じで言ってるけど(これもおれの悪い、っていうか、あらぬ諍いのもと、だよなあ)、ほんと。
そんなわけで、ヘンに物分りがいい感じになっちゃったけど、別に物分りがいいわけではなくって、そういうもんだ、って単純にまずはそれをそれとして引き受けてるっつーか、まあ、大したことじゃないね。
じゃ、あてつけとかそういうことではなく、bookloverさんの言葉から触発されて書こうかなあ、っておもったトピックも何個かあるんで、もしよかったら覗いてみて、「またしょーもないこと書いてる、このオナニストの無関心小僧が!」って、できれば楽しんで欲しいな。
そうそう、おれほんっと感情の起伏がないっていうか、あんまり「カチン」とか「はっ」とかおもわないんだけど、「エントリつまんない」って言われたのは、ショックではさらさらなかったけど(そんなことは自分が一番よく分かってるしね)、「えーそっかー」って微妙な気持ちになったよ。まあ、「楽しませよう」とか、それこそもっと言えば「自己顕示」なんてことではなくブログ書いてるから(強いて言えば「リハビリ」って感じかな)、そうおもわれるのはトーゼンなんだけど、いざ言われてみるとけっこうキツイねえ。不思議だ。
ほいでは。
Bookloverさんがこんなことかいてますよね。「私の痴態をさらしまくってる過去のエントリとか、コメント、全部消去して粉々の砂にして海にばら撒いて欲しいんだよね。ほんと勝っていって最後のお頼みって言うかさ」
粉々の砂にして海にばら撒く。ここすごくよくわかる。激うつのときなんか、息してるのも面倒で、生きてること、単に、ベッドに横になってるだけなのにもうつらくてしょうがない。誰でもいいから殺してくれー、安楽死装置があったらなあ、ってまじで真剣に考えるんです。それも予兆なく襲ってくるから毎日が怖くて、だから砂にして海にばら撒く感覚ってほかのうつ病仲間ともよく話し出ます。
で、はやしさんはこれに対して、元気付けというか、全然悪気はないんだろうけど、「過去は過去として引き受けて欲しいから。そして、願わくば、ある日そういう過去の自分を見ても、ちょっと苦笑いするぐらいで、それはそれとして未来に向けて歩いていって欲しいから。」って、ほんとこれいい意味で言ってるのわかるんだけど、うつ状態のときもそれもわかるのね。はやしさんが、励ましというか、いじめてやろうとかそういう悪意ないことも、Bookloverさんも十分わかるんだけど、Bookloverさん、別のところで「閉塞状況」って書いてた。これすごくわかる。もう肩が重くて、これ以上、引き受けるってことは、死ぬってことなんだよね。おそらくだよ、これほんとおそらくだけど、Bookloverさんのさいごの「お頼み」(こおの三文字に含まれてた意味はでかいと思う」がかなわなかったら、Bookloverさんの書いたものは残る。だったら、自分が死ぬことで、相手に押し付けずに問題解決って考えてなきゃいいなあって思っちゃいました。そうでなくてもうつの人は死のきっかけ探してるとこあるから。すいません、第三者がいきなり、うつ病患者の代弁なんかして、あくまで想像ですから。
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