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行ってきましたよ@金融国際情報技術展。
まず有楽町駅で、大阪から遠路はるばるやってきた原作たそがれ清兵衛さんと待ち合わせ。ほどなくして藤崎さんも合流して、セミナー前にもかかわらず「ちょっと一杯やりましょう」と言い出し、酒も出すコーヒー屋のようなところで、ほとんどセミナー開始時間ぎりぎりまでだらだら。ほんとに「アヤシ・ネットワーク金融工学」で招待枠が取られてやんの。
で、藤崎さんのセミナーは、全くの門外漢ながら、非常に面白く聞けた。
話の流れとしては、金融情報の送信インフラとコンテンツの移り変わり、モデルと現実のデュアリティと循環(現実を映したモデルに現実が従い、その現実をさらにまたモデリングし……)というトピックを経て、後半のテクニカルな話へ、という感じだったんだけど、この後半のコンベックス補正(でしたっけ?)のフォーマライゼーションがとても楽しかった。
コンベックス補正とは、要は現在価格と将来価格のズレを補正する(直線近似ではなく凸曲線convex近似する)というものなんだけど、まず、将来価格P_fをちょちょっとテイラー展開すると(あ、念のために言うときますけど、以下の諸々は完全に記憶頼りなんで、きわめてエーカゲンです)、
となって、この3次以降を無視して式をじっと睨むと、将来価格が現在価格に等しくなるには偏微分のとこがゼロになりゃいいんだから、
がゼロってことになるんだけど、分数の1階偏微分部は「デュレーション」(物理的には速度)、2階部分は「コンベキシティ」(物理的には加速度)、そして将来価格と現在価格の差の二乗はブラウン運動に従う!ってことで、なーんだ、手持ちの駒で出せるじゃん!っていう展開に、細かいところはよく分からないながら、感心した。
……つわけで、もうちと突っ込んだところを知りたくもあるので、藤崎さん、『Excelで学ぶデリバティブとブラック・ショールズ』ください(そういうオチか……)。
昨夜は楽しかったですね。それにしても資料無し+専門外なのによく↑書けますねえ。凄いですねえ。この部分は10年選手でも文系出身者は理解できないところなのに…。
新作ですがオーム社様は大手老舗出版なのでタダで10冊程度しかいただけませんでした。もう在庫がないので、会社で購入して一部を横流ししましょう。
ところで足の裏マッサージの後遺症でまだ足の裏が痛い。オイラの長年の疑問は、内臓の障害が皮膚の反射区にコリとかむくみというかたちで顕在化するという事実は理解できるのですが…そこをマッサージすれば内臓障害が改善されるといゆ〜根拠はあるのだろうか?という点です。因果関係からみれば逆だし…。15年くらい前に横浜は生麦の胡散臭い鍼師に質問したら。「難しいこと言わないでよ!」と言いつつオイラの首筋に鍼を刺しやがった。そして、いまだに明確な回答無し。
今日の朝、眼を覚ました瞬間に偉大なる着想が私に。
「黄 昏清」(こうこんせい)改名して、「黄 金成」(こうこんせい)にしやした。
これで、相場向かうところ敵無しでやす。
なんか、豊臣秀吉みたいな名前ですね。これで、天下は私のものか?
世界征服を企む3人により、いずれ世界は、「林 藤 黄」の三国志の時代になると思われます。
しかし、なんと情けないやら。
あれだけ、お二人のハイレベルの話を聞かせていただいて、思いついたのが、またネタだったとは。ちょっと、真剣にアホを治すことを考えます。
データとモデルの循環の話ですが、あれは、ノーベル賞をとった(ウォール街の)ランダムウォーク理論に一石を投じる議論ですし、これは、また、藤崎さん、はやしさんと、是非話しの続きをしたいですね。
これでもって、はやしさんは、チューリング賞、藤崎さんはノーベル経済学賞確実です。
しかし、はやしさんのマシンガントークぶりもさるところながら、藤崎さんのマシンガントークぶりも凄まじかったですね。
藤崎さん、「原作たそがれ清兵衛」のネーミングの由来については、はやしさんのブログのどこかで書いていますので、一度探して貼り付けます。
藤崎さん、原作たそがれ清兵衛のネーミングの由来について
>はやしさん、こんにちは。
中村主水改め、原作たそがれ清兵衛としました。映画で駱駝をしている たそがれ清兵衛の対極に位置する、本当に軽やかな原作通りの たそがれ清兵衛がイメージです。
(特に、時代物に興味はありませんが、自分が能天気なオッサンであることにHNのイメージを合わせているだけです。)
って、書いていました。あと、原作におけるたそがれ清兵衛は、末端の単なるサラリーマンでありながら、一種の凄い(ドゥルーズの言う意味での)アナーキストぶりを発揮しており、その上で、とても病弱な家族に愛情を注ぐ人として描かれており、私を表彰するのに適当であるかと思われたからです。
原作におけるたそがれ清兵衛は映画のキリスト教ぶりとは正反対の世界の人物像として描かれています。
ネット上の意見を見る限り、原作を読んだ人の中には、映画のたそがれ清兵衛をぼろくそに論評する人が結構多いみたいですね。映画のたそがれ清兵衛は、全く本当のたそがれ清兵衛とは違うし、原作の最もおもしろいところが完全に消されて、話が捏造されていると。
そうそう、俺、雰囲気がヨンさんに似ているって話があるんですよ。(但し、正確には5キロほど痩せたらって条件がつきますがね。)嘘だと思ったら、はやしさんに聞いてみてください。
で、愛の十字軍って、「愛」をあちらこちらに やたらめったら人の迷惑無視してばら撒くって事ですか。
そうそう、荒井さんの中国名は「珍」さんですね。
はやしさんは、ヨンさんのイメージからは かけ離れていますね。
私は、ヨンさんと言うと どうも「優柔不断な情けない男」っていうイメージしかないのですが、はやしさんは、そういうイメージからは程遠いですね。
それで、私は、時々他人に雰囲気がヨンさんに似ているって言われることに非常に抵抗を覚えます。 そんな訳ねえだろ って。
上のエントリに書いた部分は、それこそテイラー展開さえ分かってれば理解できる部分なので、むしろ、その細部が理解できていればもっと面白いんだろうなあ、と思いながら聞いていました。つうか、おれがこのエントリで再現したことは、大筋でではあれ、合ってるんすか?
オーム社、書店卸も買切ですしねえ、著者献本も少ないか。ともあれ、横流し、期待してます!
藤崎さんも言っているように、リフレクソロジー的な考えって、原因と結果を逆にした上で施術してるんですよね。で、それでも効果があればいいんですが……どうなんだろ? 確かに、そういう施術をされているときは、気持ちよくもあったりするんだけど、翻って、それが内臓の疾患・不具合の改善に繋がっているか、というと……って、それより何より、あんな隙間時間を利用して足裏マッサージに行っちゃうってのが、キャッチーなポイント。
ほいでほいで、原作たそがれ清兵衛さんの雰囲気が「ヨン様」に似ている、とのことですが……えーと、こういうのって、どういう風に反応すればいいんですか?
って、酔っ払いの戯言は無視するに限ります。(笑)
真面目な話ですが
私の記憶に間違いがなければ
>将来価格と現在価格の差の二乗はブラウン運動に従う!
って言いながら、藤崎さんご自身が、「ほんまかいな?」と突っ込みをいれておられたのが面白かったです。
ブラウン運動に従うというモデルが広がると、その仮定に従って市場参加者が行動するから価格変動がまた実際にブラウン運動に近づいたりもするし、一方で、多くの市場参加者がその仮定に従って行動するのを、逆手にとるような行動に出る市場参加者も出現したりするので、全然ブラウン運動化しなかったりで、色々なパタンが考えられると思います。
ここいらが、相場師として、テクニカル分析の有効性を将来的に見つめる上での非常に重要な要素となってきます。
藤崎さんの講演や、藤崎さんとはやしさんの話しを聞いていて、有効なテクニカル分析とは、「決して他人が使用しない、そして他人のテクニカル分析から影響を受けないテクニカル分析」であるのは間違いないと思いました。
(テクニカル分析とは一種のマーケットの値動きを捉える仮説だと思うのですが、デリバティブの世界での仮説との差異は、物理学的あるいは数学的構成を持つか持たないかだと思います。)
あらゆる、公開されているテクニカル分析は、将来必ずランダム化(というか正確には無効化)の危険にさらされており、無効となる日が近いのは、藤崎さんとはやしさんの話を聞いていて確信しました。
あと、相場師をやめたら、「有効なテクニカル分析は、なぜ有効なのか」ということをじっくり考えて行きたいとつくずく思いましたね。
話はそれますが、実は私の経験則からすれば、市場参加者がある仮説に従って行動すると、ある時点までは、その仮説に近い世界に接近していくのですが、実は、最終のマーケットの姿は、その仮説から遠い世界が実現してしまうような気がしています。
って、実は、そんな、たいそうなものではないのですが。
日経平均の終値で、当日を含む過去20日の平均値(これの日々の値を連続して結んだ線を20日移動平均線といいます)を上回るとロング(買い持ち)、下回るとショート(売り持ち)とします。これを1986年から、1996年の10年のデータで検証すると、年20%くらいで、まあまあ、儲かるんですね。一応このシステムって、シンプルそのものだし、移動平均線の上抜けを買い、下抜けを売りとするのは、相場する人間の感覚にはフィットするものです。過去1カ月くらいの市場参加者の平均買いコストを今の価格が上回ると、買い方有利、下回ると、売り方有利というわけで。
まあ、このシステム、ドローダウンもたしか最大20%くらいするので、ちょっと実践向きではないのですが、初心者の方の興味は、絶対に引くものだと思います。
さて、これを、実はある本で紹介した人がいたんです。すると、その先、これが通用しなくなってしまった。これが、おちなのですが。
この手法、投機先進国アメリカでは、常識中の常識で、実は1996年よりもっともっと前にすでに使い物にならなくなっていた。みんな知っていたのですよ。アメリカ人は。
YAHOOには、日本は1991年からしかデータが乗っていませんが、一度お試しを。
まあ、相場する人なんか、はやしさんのブログをあまり読んでいないと思いますが、価値パタンやシステムをバックテストして、いい成績で、実際今の運用成績もよくて、それで、いい気になっている人。ちょっとはこの結果を見て、哲学的思考、形而上学的思考がいかに大切かを実感してくださいませ。(笑)
モデル(=仮説)の普及が、価格に影響を及ぼした典型的な例だと思います。
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というのも、藤崎さんの話にもありましたが、モデルと現実というのはそうそう簡単に分離できるものではない。つまり、ある現実の動きは、その内在的な潜勢力の発動なのか、それとも何らかのモデルをフィードバックした結果なのか、はっきり言ってよく分からない。
またそういうモデル化の結果がどれくらい世間に流通すれば、つまり原作たそがれ清兵衛さんが言っている例に則って言うと、ある手法がどれぐらい陳腐化すると、その効力を失うのか、というのも、なかなか興味深い問題です。経済学的に言ってしまえば、要はこれ、昔ながらの稀少性の問題に帰着するのかな、とも思うのですが、この場合、財は昔ながらの有形財ではなく「情報」という無形、かつ(理論的には)コストゼロで複製可能なものなので、そこいらがどう利いてくるか、ですね。
だから、汚く取引しようとすると、まずは情報操作をかけてその効果が極大になったところで、自分は反対の手を仕込んでおいて……という輩も出るんでしょうね。で、証券取引等監視委員会に摘発されてオシマイ、と。
つわけで、続きは藤崎さんの登場を待ちたいと思います(って、現れなかったりするんだ、これが!)。
…で、そんなこたぁどうでもいいのですが、相場に関しては大昔にいろいろ喋ってますので参考にしてね。
↓ソロスについて。
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↓相場の哲学
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以上
では、相場の哲学の続きを。(爆)
この方、一目均衡表のテクニカル分析では有名な方です。
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一目均衡表の有効性はともかくとして、私には、哲学面で何がいいたいのかよくわかりません。
ここは、どなたか、東洋哲学の権威の方にでも、ご解説いただきたいです。
ベルクソンについては、やはりドゥルーズは、かなり通俗的読解からほど遠い読解をしたということでしょうか?
佐々○英信氏という10年以上テクニカルアナリストランキング1位を獲得していた人が分析に使っていたので、一目均衡表は一気に有名に。その人の著書にこんなのが。
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この本、完全にクレージーな内容でした。ほんと「ト」もの。なんか「クラインの壷」という会員誌を出しておられるのも笑えましたね。そうそうあの「クラインの壷」ですよ。あの「クラインの壷」。さすがに「浅田の壷」ではありませんでしたが。
とはいえ、この会員誌読んだことはありません。念のため。でも、名は体を表すともいいますしね。
欧米の投資家から、「Buddhist. Analyst」という称号をもらっているらしいです。
あと、資料紹介ありがとうございます。いやあ、ひそかに色んなことしてますねえ。ポパー学会の年会費は払いましたか?
あと、「ブディスト・アナリスト」の著書も、すごそう。そりゃ、人間は天体からも影響を受けているだろうが、それよりも身近にある物体からの影響の方が箆棒なんだけど……それとも、引力以外の、何か「凡人」には計り知れないような「力」が作用しているのであろうか?!
でも、どうして東洋系あるいは、東洋系に西洋系を勝手に足しこむ人って、こういうオカルティクに「キ」ている人が多いのでしょうね?????
相場屋には結構いますよ。こういう雰囲気の人。
はやしさん、覚えていますか?「あの大先生」。 本をついに出版されるそうです。それで、ちょっと茶化して
第三回は「相場に はびこるオカルト主義者と東洋思想と似非科学」
第四回は「本当は全く胡散臭くない金融哲学者」ってところですか。(笑)
相場っていうだけで、ただでさえ本当に胡散臭いのに、「哲学」付きになると、もう究極に胡散臭いですね。
はやしさん、以前「相場師の 哲学」をテーマに書いてくださいっていわれて、私がそれはほとんど「たこ八郎の 相対性理論」みたいな語の並びだから絶対に書けないってはやしさんに返事したこと覚えています。?
しかし、「相場」と「哲学」という、ほんの少しでも軸足がぶれると「ト」になる難問に挑まれて、成功された藤崎さんのその姿勢には本当に脱帽しています。
あの「大先生」、もちろん覚えてますよ。で、何、御本を出版されるんですか? そりゃまた何とも……。
金融をものの見事に「哲学」した藤崎さんの膂力には当然シャッポを脱ぎますが、「相場」と藤崎さんが扱っている領域って、似ているようで非なるものではないですか? 素人考えで言えば、藤崎さんが扱っているのは、この間のセミナーの話で喩えて言うと、テイラー展開の2階部分までの近似が効いてきちゃうような、そういう箆棒な領域であるがゆえに、「超越論的」視座がいくぶんか得られやすいのでは、と思います。とはいえ、その両者に通底する部分も少なからずあるわけで、藤崎さんの射程はそこへまで届いているわけですが。
今、金融工学とテクニカル分析の差異は「物理的数学的構成を持つか持たないか」だけではないかって、ちょっと本気で思うようになってきました。
さて、あの「大先生」ですが、僕のこと本に書いてくれないかなあ?
それなら、今度は遠慮せずにガンガン言ってやれるし。あなたは、正真正銘の「ト」だって。
ところで、あの「大先生」はどうでもいいのですが、
>相場の「哲学界」で妄言を垂れ流しているような人たちに喧嘩は売りたいですねえ。
って、もしかして本気ですか?
「林 藤黄」っていう、なぞの中国人がついにネット上に登場ですか?
僕は行ってもいいですよ。本気で。(笑)
でも、藤崎さんに二度と口を聞いてもらえなくなるかも。?????
藤崎さんは一応同業者の方ですから、はやしさんと僕がやったら本当に迷惑かかっちゃいますよ。
二度と口を聞いて…なんか考えないでください。誰とは言いませんが、オイラの定義する予言派(あるいはもっと神がかって)預言派アナリストは、基本的にはカルトであって、大手機関投資家(大口顧客)にも一定の信者が存在するので、外資系金融機関は放し飼いにしているのですよ。
つまり、この預言をパワーポイントにして、まっとうな企業では考えられないような成果給スキーム(ボーナス=瞬間風速)でセールスを雇用してガンガン投資家に売り込むのが基本的な戦略です。
…でもね、真のプロってそんな阿漕な連中ではないのですよ。機会があればご紹介しますが、みな謙虚で慎ましやかで、シャイな方が多いのです。だからマスコミで目立つヤツだけを見たら本質を見失います。彼らがオイラ達のコミュニティーでどんな評価なのか?は今後徐々に明らかにしやす。
藤崎さんにご心配をおかけしたようで申し訳ありませんでしたが、その辺りは心得てはいるつもりではおります。
なぜ、ペタペタとリンクを貼ったりしたかというと、そういう金融関係者の中には、やはり哲学的言説を、ああいう感じで自らの権威づけに使う人がいて、そういうのは哲学の古今東西の悲劇であり、ましてや他人から不当な金を巻き上げる手段になんて論外であるというのは、哲学をかじった人間のもつ偽らざる感覚だと思います。哲学を全く知らない人の不幸というのは、詐欺まがいの哲学的言説に簡単に欺かれてしまうことであり、それは、哲学の究極の不幸でありますから、はやしさんも私も、はやり、一言二言言ってやりたくはなります。本当のところ、藤崎さんもそうだと思います。
しかし、それははやしさんの言うように、言葉の通じない人に話しに行くようなものであり、とても面倒くさいというのも事実であります。言葉が通じる良識のある相手なら哲学的言説のもつ、本当の恐さというものを知っていますから、少なくとも金儲けのキャッチセールスや自らの権威づけには使うわけがありません。
それで、以前、大先生なる人に少しくらいつきに行ったことがあるのですが、やめました。
本当に、言葉が通じないので、すごくこっちが消耗しますから。相手のキョウジンな精神にはこっちが参ってしまいます。
家内に言われたのですが、なにも、未成年者ではなく、立派な大人から取っているのだし、また、それで、その大人は満足しているのだから、おせっかい焼く必要なんてないよ と。
言われてみれば、その通りです。
しかし、テレビで歌って踊っているのがお金に換金されるのとは違い、ああいう風に、哲学的言説がお布施のようにたいそうなロットのお金に換金されるのは、見るに耐えないものがあります。
それを言いたかっただけなのですが、面白おかしくネタ的に書くのが私の癖なので、ああいう書き込みになってしまいました。
藤崎さん、繰り返しになりますが、ご心配をおかけして本当にすいませんでした。
はやしさんへの「差異と連続性」へのレスは、時間が時間なので、また、後ほど書かせていただきます。
黄と申します。昨夜、私の45年来の友人である藤崎さんとJR神田駅のガード下の中華の名店で豚の子宮を食べました。その時はじめて、このブログで、私の実名を藤崎さんが無断で使っている事実を知りました。藤崎さんは、その人生のほとんどが冗談のような御仁ですから、私も取り立てて問題視しませんが、このブログは面白いので今後は私も投稿させていただきます。原作たそがれ清兵衛さんは、これまで通リのニックネームでお願いします。
藤崎さんと私は、大学時代に内臓グルメ&ブラジル音楽同好会を共同設立しましたが、部員が集まらず大学から承認を得られず、しぶしぶアメリカ文化研究会の一会派に甘んじました。当時の私達はまだ二十歳そこそこで物心がついていませんでしたが、今から考えますと内臓料理もブラジル音楽もアメリカ合衆国とはあまり関係がなかったなぁ、と中華街の内臓料理の穴場で胃や腸や腎臓を酒の肴にして二人で後悔する最近の20年間です。
ところで、相場に関してですが、藤崎さんはあまり興味がありません。彼はこれまでいろいろ相場がらみでも発言していますが、実をいえば、その大半は私のいれ知恵です。藤崎さんの相場に対する基本的なスタンスは、<個人レベルでは生れつきの才能>、集団レベルでは、<その人が属していた社会集団の伝統>です。だから、華僑とユダヤ人は凄い!といつも私を羨ましがります。だから相場がらみの話題はわたくし黄に聞いてください。
原作たそがれ清兵衛です。
いやあ、そうだったのですか。なにか、あの人の相場の話はどうもどこか胡散臭いなと思っていたんです。黄色さんがブレインだったのですね。!
これからよろしくお願いいたします。!
では、私は、今日も「馬○殿」のおられる城へ、登城してまいります。
帰るのは、たそがれ時です。
で、相場の「哲学界」で妄言を垂れ流している人たちに喧嘩、ですけど、原作たそがれ清兵衛さんからせっかく認可を下ろしていただいたにもかかわらず、及び腰なことを言って恐縮なんですが、やっぱりちょっとメンドクサイですよねえ。
この「メンドクサさ」ってのは何に起因するか、って言うと、まあ言わずもがなかもしれませんが、「話が通じない」んですよね。言い換えれば、自分の乗っかってる「プラットフォーム」の絶対性/無謬性を疑わず、しかも自分はそういう「ローカル」な位置からではなく「グローバル」で包括的なところから発言している、といった趣があり、一旦自分の立場を相対化して考えてみる、ということができない。まあ、相手に言わせれば、こっち側、つまりおれなんかのほうがよっぽどその気がある、ってことになっちゃうんでしょうが。
でも、原作たそがれ清兵衛さんが「是非」と言われるのであれば、出撃準備を整えますので。
で、どの辺りからご質問させていただいたらいいやら?
まず、軽く、ストラテジスト、エコノミスト当たりからでも?
連れから聞いた話では、日本のストラテジストは、エコノミスト、アナリストがつとまらない人がする仕事で、ちょうど、小学校の体育の授業のソフトボールのピッチャーみたいなものだとか。つまり、他のところがどこも守れないので、消去法的にピッチャーをしているだけだと聞いたことがあります。勿論、メディアに露出しているストラテジストの話ですが。
預言っぽいのでは、武者さん。この人は、「ボウラククルヨ」の預言がお好きなようですね。
一方、同じボウラク系預言者?????でも高尾義一さんなんか、僕は結構良い意味で凄いのではないかと思うのですが、もしこの辺りにお詳しければ黄さんのご意見を賜ることが出来れば幸いです。もっとも、高尾さんはエコノミストで、メディアへの露出も無いに等しいですが。
私の使っているGANNにおいて、ふたり、はやしさんなる苗字の方が権威で、つまり康史さんと則之さんですが、あと tはやし っていう将来「量子コンピュータにおけるGANN理論の解析と証明」でチューリング賞を受賞される方をいれて、3人かもしれませんが、この辺りって、どうなんでしょう? 康史さんは、結構メディアへの露出が最近目立ってきましたが・・・。
あと、GANNなら、たそがれきよし ではなくて、木村喜由さん。この人もメディアへの露出が最近目立ってきました。
あと、GANNのマイナーどころでは、青柳孝直さんってかたもいらっしゃいますが、この人は結構「ト」ものだと思います。
って、好き勝手書いていますが、黄さんの最もお詳しいテリトリーから、どこからでもいいので教えていただければ幸いであります。
藤崎さんは予言系なんて定義してますが、私の分類はさらに細かいあるよ(チャウチャウ…ちゃんと正しい日本語賭けるあるよ…チャウチュウ…書けます。)
まず、お笑い系予言族です。この種族は本人もその役割を自覚していますので、よほどのシロート以外は<お笑いのネタ>として重宝されます。競馬の世界ではI崎さん、株の世界ではK浜さんあるよ。ただ、相場の世界では<まじめな分析>と<エンタ>を前もってユーザーの知らせよという規制がないので、騙されたと思う方も多いと思います。しかし、これは爆笑問題のジョークみたいなものです…。
ここで押さえるべき重要な論点は、お笑い系予言族のなかで、プロの目からすれば、お笑い系ですが…一般の方々には<評論家>とか<その道の専門家>と信じられている族が定義されます。TVで露出する頻度が高いのは、このグループでしょう。
原作たそがれ清兵衛さんが列挙された方々は、基本的にはこのグループです。最近の健全なトレンドとして、2CHなんかで、プロから見た、彼らの真の評価が流布されることとなり、このグループもK浜さんのように、一般の方々からも<お笑い系>だと認知されるようになった点ではないでしょうか?
さらに付け加えますと、プロの世界では<逆ベンチマーク>という専門用語があります。つまり、相場は、その人の発言
の逆を張ればOKというわけです。そんなわけで、K浜さんも武者さんも<逆ベンチマーク>として、日本経済で一定の機能を果たしてます!…なんていうと金融哲学者からクレームが来るか?
K浜さんですが、名前からして、「大阪証券取引所のあるところ」+「一流」(が転倒している)で最後に、「男」をつけたみたいって感じで、「いかにも」って感じですし、あの方は、名前と風貌を見た瞬間分かりますね。お笑い系だって。で、また、あの派手な 外し方って凄くて、推奨した銘柄が当たったためしってほとんどないのではないですか。あの人は、空売りするのが好きな人にとってはありがたい存在だと思いますよ。空売りすべき銘柄群をリストアップしてくれる人って、なかなかいないですからね。
「武者が買いといえば売り、海津が売りといえば買い」これって、もう相場の格言みたいなものですね。実際、2004年1月―4月の上げ相場って、武者さんが、買いって言った瞬間天井でしたからね。あれは本当に凄かったですね。精神的にショートスクイーズ状態になって、思わず「買い」って言ってしまったのでしょうね。
私からすれば、武者さんってのもお笑い系だと思います。
あの人の言っている「下がる」根拠って、だれが聞いても結構 支離滅裂ですからね。
それで、佐々○英信さんなんか、どうなんでしょう。
テレビや新聞での相場のコメントは、お笑いではないですが、この人の思想的部分って、はやしさんもおっしゃるようにかなり「キ」てますからね。
私の最大の関心事は相場の予測です。ところが、藤崎さんはそんなの見果てぬ夢だという意見です。だから話題が相場の予測になると、彼はまったく反応しません。
ただ、ここで彼のいつも口にする持論を解説すれば、おそらく次のようになると思います。相場といえばファンダメンタル派とテクニカル分析派が有名ですが、彼に言わせれば、いずれの派閥も予測がメイン・テーマだと思い込んでいるからダメなのだ!ということです。
具体的にいえば、ファンダメンタル派はその事象が生起した結果から、その原因を説明するのが最大のテーマである。だから本質的に後講釈である。次にテクニカル派の主要課題は、売買タイミングの意思決定に奉仕すること。これです。
なぜこのような事態になるのか?といえば、相場予測と相場で儲ける事を同一視しているからです。確かに相場を予測できれば、儲ける事ができます。しかし、予測と儲け事はまったく同じではありません。
そしてテクニカル分析の主要課題は本来、より大きく利益を獲得する、そしてできるだけ損失を拡大しない。その為のテクニックに他ならないということです。
ところが、この分野でいったん名声を獲得してしまうと、本来的に予測ツールではない手法に、その信者は予測を期待してしまいます。その期待に家元がまじめに応えようとすると、どうしても明晰な科学的方法よりは難解な思想に走らざるを得ないのです。だから仏教や占星術だけでなく、フランス現代哲学も、テクニカル分析の正当性をバックアップする候補になりうると思います。
ソーカルではないですか、「サポート&レジスタンスを侵犯すること〜あるいはチャート分析の聖書解釈学的帰結」な〜てね。藤崎さんなら冗談で書きそうですが。
神のように何もかも100%分かる、つまり、何月何日の何時何分何秒に、いくらになっているというのまで常に分かれば、きっと、予測する=儲かる という図式が成立すると思います。
人間じゃ、決してこのレベルの予測ってのは不可能です。だから、「プロの世界で」よく言われるように、「予想を当てる」より自分なりの「エントリー・エグジットポイント」を持たなくてはならないのだと思います。そして、重要なのはエントリーポイントでなくエグジットポイントであり、さらに重要なのは、マネーマネージメントであることは、言うまでもないことだと思います。
GANNに対する批判として、あれは、当てるツールで「エントリー・エグジットポイント」を教えてくれないというものがあります。ですから、実際私も、エントリー・エグジットポイントを設定するにあたり、GANNだけに決して依存しているわけではありません。
ただ、「(ある程度当たる)予測」と「儲ける」の相関性についてですが、実は、これは、デイ・トレードなどでは、全くありませんし、予測すること自体が有害無益となりますが、ポジションの期間が、かなり長くなればなるほど、「(ある程度当たる)予測」というのは「儲ける」にそれなりに役立つのではないのかという気がしています。
デイ・トレードで儲けるには、相場観ってのは、一切関係ありません。相場観を持つこと自体が破滅の原因になると思います。
しかし、ポジションの期間が長くなればなるほど、結構相場観の良し悪しというのが実際の儲けに影響してくると思います。
でも、ポジションが1週間程度のスウィングトレーダーならいざしらず、2、3カ月のポジショントレーダーや、長期投資家の場合、相場観の良し悪しってのは、結構成績に影響すると思います。
それで、システムトレーダーを、あれこそキリスト教の信奉者であるといつも書くのは、それは、彼らの根本にある発想が、何といっても「相場観」の排除にあるからなんです。
システムトレーダーには、きっと、「相場観」なんて理性的でないというと思えるだろうし、そしてなにより、きっちり論理あるいは、数理や言語で表記しきれないじゃないかという思いのが根底にあると思います。
しかし、システムトレーダーの言う、論理や数理や言語での表記というのも、すべて過去のデータの後講釈疑惑から逃げることができないし、そういう意味では、預言派ファンダメンタリスト、テクニカルアナリストと何ら変わりないと思うのです。
それで、やはり「システム」や「エントリー・エグジットポイント」の研究ばかりしている人には、藤崎さんやソロスが指摘している「モデルと価格の相互作用の問題をどうやって克服するのですか」と素直に質問してみたいです。
「システム」や「エントリー・エグジットポイント」なんて、プロならみんな最優先課題的に研究しているのだし、ゆえにまさにモデルと価格の相互作用の問題の渦中にある事象だからです。
実は、ここ数年、有名どころの人が、どんな御託宣を出しておられるかというのに何の関心もなくなりました。
ですから、たまたま、目にしてしまったこと以外、彼らがどこで何を言っていたかは全くといっていいほどしりませんし、ましてや、ネットの掲示版なんて、滅多に見もしません。
一時期、確かに、見たり書いたりしましたが、すぐにやめてしまいました。
(私が、何を書いたかを、はやしさんの周りで知る生き証人とは、いまではシエスタさんだけになってしまいました。毛色の違うことばかり書いたので、結構嫌われました。)
それは、どれもこれも私の相場観にも「エントリー・エグジットポイント」にも、資金管理にも、何も関係がない事象だからです。
>そしてテクニカル分析の主要課題は本来、より大きく利益を獲得する、そしてできるだけ損失を拡大しない。その為のテクニックに他ならないということです。
ところが、この分野でいったん名声を獲得してしまうと、本来的に予測ツールではない手法に、その信者は予測を期待してしまいます。その期待に家元がまじめに応えようとすると、どうしても明晰な科学的方法よりは難解な思想に走らざるを得ないのです。だから仏教や占星術だけでなく、フランス現代哲学も、テクニカル分析の正当性をバックアップする候補になりうると思います。
この話ですが、言われてみれば確かにその通りだと思いました。しかし、家元も表に出て、あれこれ言わなきゃ、別にこういう不幸に巻き込まれないのだし、それをあえて言うのは実弾で密かに勝負するだけどこか自信がないからこそなのか、たとえ非信奉者にカルト疑惑をかけられようとも、実弾で勝負することが嫌になるほど実弾戦に疲れられたのかのどちらかでしょうが、とても、論理的にも心情的にも理解できる話であります。
黄さんは、きっと、原作たそがれ清兵衛がいう「相場観」って一体何なの?って、突っ込みたくなると思います。
これは、問い詰めれば、実弾戦を結構長期にやった経験がもたらす何か としか、いいようがありません。勿論、自分では、根拠を明示して説明できるつもりですが、それは、決して誰が聞いても100%は納得のいく話ではないと思います。
そういう意味では、私自身がカルト的であると 十分思います。
しかし、相場とは、本当に最も人間臭くもあり、また、訳がわからない世界でもあるわけです。ここ、十年で私が学んだものというのは、結局相場との自分なりの付き合い方だけだと思います。
逆に、そう思うと、この十年が私の人生における失われた十年に思えて悲しくもなります。
確かに、最近は上手くはなりましたが、それと、引き換えにしたものがあまりにも多すぎます。
そもそも、私は、学者肌の人間ですから。
はやしさんのブログに書き出したきっかけは、はやり自分の失われた十年を取り戻したいというのがありますね。
はやしさん、黄さん、藤崎さん
過日、別のエントリのコメント欄でお笑い芸人としての敗北宣言をいたしました。
私のネタなんぞ所詮ご批判がありました通り、お笑いの大御所が連発されるネタに比べれば、
>面白くも何ともないネタ
であります。
私なんぞは同じ「大阪系お笑い芸人」としては、株屋さんでいうとやはり北浜○一郎みたいなもので、ネタをいうのにネタとして考えないと出てこないし、またネタを言うときどうしても顔がにやけてしまいます。ダメですね。これでは。
でも、武者○司さんクラスになると「さも一見難解そうな単語を羅列して」「いつも真顔で」ネタが言えるってのが凄いですね。
それも、ネタとして考えていない内容が、ちゃんとネタとなっている。
もう、こうなると、西川きよし級です。
なかなか国会で、お笑い芸人ごときが眉間にしわを寄せて「福祉を充実させて・・・・」って真顔で言えないし、また、それをやってしまうところがお笑い芸人として西川きよしの凄いところなんです。
笑いを取ろうとせずとも笑いがとれる、これは「天性」のもので、所詮凡人にはかなわぬ夢です。
結構西川きよしに対して、「お笑い芸人ごときが、真顔でえらそうなことを言うな」って非難は一部にあります。でも、それは「大阪人」にとって、お門違いな批判にしか思えないのです。
西川きよしは大阪人のほこりですよ。彼こそが、お笑い「帝国」の覇者であります。
よって、敗北宣言を過日するにいたりました。
で、実は私って大阪人でないし、大阪のお笑いって本当は嫌いなんです。いつも書いているネタは、お笑い系カイシャでお笑い系の人とつい合うための仮面みたいなものです。
多分、カイシャやめたら、書きたくても書けなくなると思います。これマジで。
近い将来カイシャやめる予定で嫌いな大阪とも縁をきれいさっぱり切れますが、大阪の風情の最後を名残惜しんで、お笑い芸人としての最後の活動は、一応しばらくは続けたいとは考えています。
生き恥をさらすようなものですが。
ま、それはともかく、以前もちょっと「大阪の笑い」ってことについて話したことがありますけど、やっぱりよく分かんないですねえ。「ネタとして考えていない内容が、ちゃんとネタとなっている」かどうかってのは、「大阪の笑い」ってこととは関係ないことだし……ちなみに、おれは「ネタとして考えていない内容が、ちゃんとネタとなっている」タイプだと思いますよ。
で、会社辞めたら引越しとかするんですか? だったらこっち(東京)がいいですよ! あ、でも、その頃はちょうどおれ、日本にいないかも、か。うーむ。
黄は単なる相場師なのでここでは無視するとして、中長期のトレンドに関しては、法則なのか傾向/趨勢(トレンド)なのか峻別する必要があります。おそらく「ト」系の方々の胡散臭さは、トレンドをあたかも法則のように語ることですよね。絶対的な法則信仰(法則は仮説だよ〜ん!)は宗教につながるし…。
…でオイラ周辺の真摯な人達の意見を集約すれば、中長期予測は不可能、30分先のようなスーパー短期のトレンドは、カオス理論を援用すれば55%くらいの確率で的中するのでないか?程度のものです。
だから個人投資家にはとても応用できなし、才能のある人は自分の直感の方が勉強する時間を省略できるぶん効率的かもね。
問題の中長期トレンドですが、あきらかにトレンドは存在すると思います。でも、これは法則ではなくパタン認識だと考えます。いわゆる複雑系理論も、基本的にはパタンの記述ですよね。だからリオタールが総括したように偉大な物語(=基本法則)を欠いているのではないでしょうか。
問題は、1)そのような法則が存在する可能性があるのか/あるいはそれを探求すべきか?という科学的なものと、2)そもそもまだ手探りのジャングル状態なのに、それをいち早く輸入/絶対化して「ト」系化する輩をどのようにして笑いものにするか?がこのブログの課題でしょう。前者は藤崎、後者は黄が担当しやす。
しかし、ついにやりましたね。前人未到の はやしチャート1位2位独占。!!
どうせなら、6位まで独占してビートルズの記録を抜いてください。
それで本件についてなのですが、頭がちょっと薄め??の(って、毛じゃないよ! みんなウソだと思ったらはやしさんに聞いて!)私も全く同感ですとしか言いようがないのですが、
1 お呼びになったのが、はやしさん+原作たそがれ清兵衛 でなく 原作たそがれ清兵衛のみであること。 あと
2 黄さんが最後に、GANN仮説というかGANN信条信念(あえて理論とはいいません、これ理論ではないですから)に対する批判とも解釈できる「サポート&レジスタンスを侵犯すること〜あるいはチャート分析の聖書解釈学的帰結」というメッセージを残しておられたので、
こりゃ、私も「ト」の仲間入りってことですか??
参った、参った。ありゃりゃ。「ト」って連呼する癖が災いして天罰があたっちゃった??
確かに、相場師って全員「ト」が入ってなきゃウソですけどね。
全員が全員、理論は勿論、仮説からも程遠い信念とか信条のレベルで、実弾撃っているのは間違いない事実ですからね。
オイラは2CHやイチゴのような、スーパー不特定多数なサイトに投稿する主義ではないのですが、金融工学系の板がまりにも浮世離れしてきたので最近積極的に発言しています。さて私は何番の投稿でしょう!
760
752さん
返答しようと思っていたら<金融工学の科学性>に議論が移ってしまいました。金融工学は、実務に奉仕する工学ですので、科学性を問われるとしんどいと思いますが…これはこれで重要ですね。
まあそれは置くとして…実務的かつ理論的問題を解決する場をつくりましょう。さしあたって私の個人メールに連絡していただければ幸いです。
tf01123@pop21.odn.ne.jp
↑752さんだけよ!無理か?
次に<金融工学の科学性>について個人的な意見を…。チック・レベルの価格変動ではベキ分布は、ある程度普遍的に観測される事実です。だから、そんな事実をわざわざ論って、自然科学者に非難されるいわれはありません。経済物理系の方々も最近はそのくらいはわきまえていると思います。
ただし、<科学性>の考え方にもよりますが、ベキ分布は価格変動の<結果>にすぎません。このように…結果として観測される現象を、忠実に記述するのが科学であるとするなら(記述主義・現象主義・実証主義)、高度な数学を利用していくらでも複雑なモデルを展開可能でしょう。事実、数理ファイナンスにはその傾向があります。
しかしながら、伝統的な自然科学者の問題意識は、そのような結果を生み出す原因、あるいは法則の探求に、科学の科学たる所以があると考えているのではないでしょうか?ブラウン運動を例にしてみますと、アインシュタインはミクロな原子運動とマクロな熱現象の関係を陽動散逸定理というかたちで定式化(アインシュタインの関係)しています。この理論的貢献を抜きに1905年のアインシュタインの拡散方程式を眺めると、それはさらに溯ること100年前に登場したフーリエの熱方程式と同じ数式にすぎません。
以上のことから推測されるのは、物理系の方々が感じる金融工学(まあ実際は、金融工学ではなく、数理ファイナンスや理論経済学への疑問なんだと思うけど…)への不満とは、現象をなぞるだけでは、いくら高度な数学(量子力学より難しかったりして…)を使っても科学じゃないぞ!と言いたいのではないかと考えてます。個人的には大賛成です。
756
「いんちき」かどうかは別にして、ものごとを単純化するのはどうなのかということに事の端が発しているように思われます。
物理屋さんが主張する金融工学とは、正規分布を仮定したブラックショールズモデルそのもののとことを批判します。金融工学の人やファイナンスの人のかなりの部分は、そうとは考えず、それは1つのモデルに過ぎないと考えるのです。であるからして、正規分布を仮定しないモデルの開発も進んでいます。
しかしながら、物理屋さんたちは、自らの存在をあまりにも強くアピールするあまり、正規分布を仮定しないことをもって「経済物理学」と称している。まさに、そのところから「彼ら(正規分布を仮定する人たち)は馬鹿だ」という考え方が広まっているのです。
海外の学者はそうは言ってはおらずかなりしっかりした理論家の「経済物理学者」も存在しますが、日本国内においては、株価収益率の分布の推定に非正規分布を用いることだけをもってして(多少の左右の非対称性を考慮はしているものの)「経済物理学」だと高らかに宣言してしまっているのです。
統計系の学者や計量経済学系の学者研究者には、正規分布に基づくモデルにいろいろな確率仮定やジャンプその他のアイデアを加味してモデルに変更を加えているのです。彼らはそれらをレビューせずに、完全に無視をして、勝手に自分たちが「べき分布」に見えるからという理由で勝手に自分たちの学会で議論を始めているのです。
それにつられて、金融機関のエコノミストも「経済物理学」だと盲目的に唱えるようになりました。単に「経済物理学」と唱えているのは、金融工学や統計学、そしてファイナンス系の学会に相手にされないので、誇大に自らを銘打っているだけ、中味のない議論であると思います。
「正規分布」を仮定していない金融工学もすべて金融工学です。
で、いちごびびえすに関しては、原作たそがれ清兵衛さんが仰っている通りでしょう。2ちゃんは……たぶん521の債権に関する質問に答えてるのはそうだと思うけど、それ以外、516、518なんかもそうかなあ、とちょっと思った。でも、どうだろ? よく分かりません。
ところで、オイラのテクニカル分析に対する態度ですが、決して「ト」とは思っていません。まだオイラなりのその効用を明解に説明できないので、沈黙しているだけです。
おそらく「ト」系の御仁は、自分でもオイラと同じ、あるいはそれ以下のレベルなのに、公に発言しちゃった方々なんでしょうね。これで売れてしまったら、後戻りできない。可哀相な方々かもしれません。だって、出版社もその路線を踏襲しないと出版してくれないでしょう。
オイラが問題だと思うのはむしろ、隠れ「ト」系の人々です。これは相場だけではありません。簡単にいえば、発言しない(あるいは公に登場しない)ことで権威を保つ。これが一番やっかいなのです。
たとえば、オイラには無縁ですが、数万人規模の大企業ですと、社長は一応偉い!でも、一般のスタッフが、社長のお言葉を拝聴できるのは、年頭所感とか入社式くらいである。でも数ヶ月勤務すれば<非公式>には、経営陣のアホさ加減はだいたい噂で把握できる。でも役員室にこもったままだと、<アホの実証>ができない。
まあ、そんなことしても、出世に影響するだけに給料は上がらないので、やらないわけですが…最近のように突然TOBなんてやられて、経営陣がTVの前に登場すると、アホ丸出しの卑しい顔がさらけ出される。
そんなわけで相場の「ト」を球団じゃなかった糾弾するより、上場企業の「ト」系経営者を糾弾したほうがいいかもね。
…そういえば、原作たそがれ清兵衛さん、オイラと先日オイラと会話して、自分がまともで会社が異常だということを確認できたと仰ってましたが、それは違います。あの時、オイラも会社に切れていたでしょ。だから、日本の会社ではオイラ達の方が異常なんですよ。
いやあ、私もはやしさんも綺麗にダマシをくらいましたね。
相場における隠れ「ト」系の人々ってどんな人が該当するのでしょうか?
名前だけ知れて、それであまり表に出てこないというところではこういう人ですか?
詳しくは知りませんが、ちょっと宗教・思想が入っていると聞いたことがあります。
名前からして 極めて極めてアヤシいアヤシい???
<a href="http
それで質問なのですが、黄さんと藤崎さんと共同で 私とはやしさんに内緒で密かにサイドビジネスとしてシステム運用をやっておられませんか???????
それも、短期でなしに、1回の平均ポジションが1カ月ぐらいあるトレンドフォロー型の。
黄さんは相場師ですから、それ相応の知識があって当然でしょうが、2005/10/25 07
特にこの件です。
>問題の中長期トレンドですが、あきらかにトレンドは存在すると思います。でも、これは法則ではなくパタン認識だと考えます。
トレンド(=時々発生する中長期の大きな流れ。しかしそれは決して法則的に発生するものではない流れ。)は、恐らくいくら投機屋が相場を研究して上手く投機をやっても、決して消えないトレンド(傾向/趨勢)であるというのが私の考えなのですが、それをちゃんと踏まえた上で、予測することは無意味(というか無理)という内容を添えておられますね。それで昨日から実は、藤崎さんはシステムで(裁定でなく)アクティブ運用をされているのではないかと思っていた矢先に テクニカルな知識について
>おそらく「ト」系の御仁は、自分でもオイラと同じ、あるいはそれ以下のレベル
というご発言でした。
私は、いくら相場観が良くてもトレンドの発生がいつからかを前もって予測するのは至難のわざというか無理ではないかと思っていますが、
投機屋がいくら研究して上手くなっても、トレンドは決して消えないだろうとも思っています。
(但し投機屋のせいで、トレンドの発生を認識しにくくなるだろう とも思ってはいますが・・・・。)
藤崎さんは具体的なテクニカル分析を何一つ書いておられないのに、ネットの中でお話させていただいた方のうちで、最もテクニカルな知識をお持ちの方ではないかとどうしても感じさせられてしまいます。 特に昨日からです。
それはそうと、藤崎さん、原作たそがれ清兵衛さんが異常だとしたら、連鎖律によって、おれも異常? でも、おれ会社員じゃないしな。ぎりぎりセーフ。
そうそう、はやしさん。原作たそがれ清兵衛さんがもオイラ
も話すとまともでしょ。でも会社員としては…すくなくとオイラは異常だと思います。ただ本当に異常なヤツは自分が異常だとわかんないヤツだとすれば、オイラは自覚があるだけ正常かもしれん。でもその自覚も異常…だんだん無限後退してきたぞ。
…で基本的にはブログなんかでムチャクチャ過激なヤツって、実際会ってみると、静かで従順で真面目なサラリーマンってケースが多いと思うと。ただの感想で実証研究してないけど…。
だって、旧態依然としたカイシャの、お偉方って、ありゃ、ほとんど「人格障害」ものですからね。
「吉」と「人格障害」って、ぜーーんぜん違うでしょう。「吉」はまだ治す薬があるけどね。でも「人格障害」は本当に効く薬もつける薬も現代医学では無いですからね。
旧態依然としたカイシャの管理職って、偉くなればなるほど、顔から感情が読み取れなくなりますね。顔から表情が消えて、それで、影で変態的とも言える行為をこそこそ行う。
時々、問題起こして、旧態依然としたカイシャの秘密の奥の院から テレビに引きずり出される連中の顔を見てください。 もう、ああなると、なんか夜叉が仮面つけてるのじゃないかって感じの顔してるでしょ。 あれは、ほとんど人格障害ものですよ。それに、当然相当のアホも入ってますが。
ほいで、藤崎さんも原作たそがれ清兵衛さんも、そりゃあ「まとも」っつーか、節度のある大人、って感じでした(そういうのを「まとも」って言うのか)。でも、ネットでの自己表出がどういうものであれ、そんなにハチャメチャなやつって、多分いないですよね。
でも、何だってそういう風に、「人格障害」に陥っちゃったり何だり、原作たそがれ清兵衛さんが活写しているような事態になっちゃうんでしょうかねえ。ちょっと不思議。
いちごのマシンガン投稿に返答あり!
・・・でも全然答えになってないっす。いろんな分野の知識があるんだけど…それが頭の中で整理されていない。数学専門っぽいことを言っているが、到底そのようには思えない。まあ二流どころの大学院には生息してそうなレベルか?
ハチャメチャなヤツ
よく考えてみれば、そもそもハッチャメチャなヤツって、コンピュター・リテラシーないしね。だからネットに参加してないのが大半ですね。
荒井さんと、シータさんに、大笑いされてっそ。
藤崎さん
確かに藤崎さんが「大学の先生でなくて実務家」であるというのは確かに驚きかもしれませんが、でもねえ。なんで「俺は医学部に行けば良かった」なんてコメント残すのでしょうね。あの人ですが。本当は「行った大学の医学部に合格できる見込みが全く無かった」のでしょうね?
かく言う私も「行った大学の医学部に合格できる見込みが全く無かった」くちの一人です。とほほ。
はやしさん、いちご板で、「760のお友達」の登場期待しております。
(私は、さしずめ「760のお友達の金魚の糞」でしょうか?(笑))
はやしさん、あの人に「えーと、俺は行った大学の医学部なんか朝飯前だったんだけど、まあ、医者なんてそんなに たいそうなもんでもなさそうなので、余裕かまして文学部へ行った産業廃棄物ですが」って、嫌味ったらしく書いてやってください。(笑)
で閉めようとしたところ
いちごを確認すると 藤崎さんが
>驚きです「不動点定理」って未証明だったんですか?知りませんでした。
私は不動点定理の色々なバージョンを知っていますが、それらはみなダメダメだったわけですね。
不勉強でした出直してきます。
念のため確認しますが、不動点定理が数学的にいえば完備空間を前提としており、その完備空間が存在する前提が、実数の連続性なので、もしこれが仮説ならば…すべてが崩れるという意味でしょうか?
新古典派経済学だけでなく現代数学がひっくり返りそうなご高説なのでビビってます。いずれにせよ金融工学とは関係ないので他の板にしましょうね。
って、あの人のお友達にすげえ嫌味を。とは言え、誤りを誤りであると指摘してあげるのは、とてもとても親切なことだと思います。
それで
>他の板
ってカルト系の板ですか?
それはそうと…精神分析ですが、オイラは全然暗いのですが、「吉」って大昔聞いた記憶がありました。でもあらためてネットで検索しても出てきませんね。あれって差別用語の一種なのですか?英語ではなんていうのですか?
で、確かにほんとのほんとに「ハチャメチャ」だったら、ネットに登場なんかしないですよねえ。でも、単純に「面白さ」ってことで言えば、そういうやつのほうがオモロイかも。ま、実地にお付合い、とかは避けたい気もしますけど。
ただ、放送業界の自主規制である「放送禁止用語」リストには、載っていると思います。
実は、私は「き○がい」と書いてもいいと思うのですが、これだけのおびただしい数を私が書くと検索で、イデオロギーの凝り固まりみたいな人に「き○がい」で検索かけて見つかると思うのです。そうすると私も面倒臭いし、何よりもはやしさんに迷惑がかかります。また、そういう人が入ってくると、私とはやしさんで精神疾患に関する根本的誤解を解くために一生懸命?書いているのに、論点が、そこから逸れてしまうのは目に見えています。「要は、しょうもない内容で、言い合いの火種になることは書かないでおこう」というそういう安易といえば安易といえる発想からです。
しかし、「き○がい」でないと表現できない内容ってのは絶対にあると思いますし、もし「きち○い」が差別用語であるなら私がその差別用語を実質的に連呼しているのは間違いないと思います。
放送禁止用語は列挙できますし、マスコミという特殊な性格から、まあ、そういうことは必要なのかもしれませんが、しかし、一般のネットの議論で、そういうことに神経質になる必要はさらさらないと思います。
当たり前ですが、本当に不当な「差別」かどうかを決定するのは、「用語」でなくて「書いてある内容」だと思います。
英語では、mad crazy より、lunatic insane が該当すると思いますが、英語の試験受けたてのはやしさんなら正解をご存じでしょう。
それから、「○違い」で検索すると15万件ヒットしました。
でも<吉>って陽気なイメージがあるので、愉快な精神異常者のことかと思っました。躁鬱の躁だけなヤツ…。
「きちがい」ってので、おれが好きなのは、「既知外」って表記ですね。まあ、何にせよ、間違いなく放送禁止でしょうが。ちなみに、最近「精神異常者」もアウトらしいですね。だから、クリムゾンの例の曲とか、ラジオでかける場合原題で紹介しているらしい。
それで、「きちがい」に一番近い英語の言い回しは、諸々のimplicationを考えるとmad/crazyでしょうね。というのは、「きちがい」ってのには「メッチャメチャ好き!」っていう意味合いもあるじゃないですか。そういうとき、たとえば"I'm lunatic/insane about..."とは言わない(言えない)けど、"I'm mad/crazy about..."とはヨユーで言える。ただ、crazyってのはそんなにoffensiveな感じはしないので、最有力候補はやっぱmadって感じですかね。
「吉」とは、「きちがい」をもじっただけなのですが、まあ、ユーモアのセンスとしては、どうなのでしょうね?(笑)
実は、達「吉」さんだったのですね。!!
昔、私も ポン「吉」 ってHNで 書いていたことがあります。
藤崎さんから「超越論的金融哲学論考」を頂いたシエスタさんは、私のこの昔のHNをご存じです。
「吉」って、能天気で陽気な感じがして、自分ではとてもいいHNだと思います。
>でも<吉>って陽気なイメージがあるので、愉快な精神異常者のことかと思っました。躁鬱の躁だけなヤツ…。
って、暗に陽に、はやしさんのことですか?
これで、ついに三「吉」トリオですね。
それより、「原作たそがれ清兵衛ポン吉」じゃなくって、「原作たそがれポン吉」のほうがいいですよ! これ、実際に発話してみてくださいよ。絶妙だから。
じゃ、試験、ほどほどにこなしてきます! 眠い!
で、「愉快な精神異常者」、「躁鬱の躁だけなヤツ」って、おれのことですかぁ? そんなことないとおもうけど……。
それはそうと、「ポン吉」っていいですね。ここいらで「原作たそがれポン吉」って名前に改名するというのはどうですか?
まず、起きるのは、目覚ましでもステレオでも沢山タイマーをセットしておいたら安心です。
で、問題の寝るほうは、一人暮らしの男性なら結構簡単ですよ。
悲しいかな、私はそういうわけには、なかなか行きませんが。
まあ、一度荒井さんかフニャコさんにでも相談してみてください。
で、続きは別の板で。
到底数学が専門とは思えない文章だが…実数の連続性は量子力学で崩れた?だって。現実を捉える一つのモデルとしての数学空間と、物理学が対象とする物質世界の連続性との区別がついていない。それに量子力学もヒルベルト空間によって記述されるのにね…。それに数学は文学みたいなものだからヒックリかえらない!だって。凄い説明っす。抱腹絶倒ってこのことかもしれん。
で、荒井さん、別に独身男性じゃないじゃないですか?
で、「大数」、今でもありますよ!
もうダメですね、おれの数学。大数の理系専用の問題集が、全然 歯が立たなくなっている。文系用のも、最近は青息吐息状態。っていうか、ほんと落第レベル。
なんとか、この数学ダメボ状態に効く薬ないですかね。
>「原作や 研ぎ澄まされた 事典かも」
これって、ぼくがそうである ってことですか?????????????
仮に、僕を辞典に例えても、書いてあることって、見た通り、ほんと、しょーもないネタと替え歌ぐらいだと思います。本当にマジで。
それとも、高校の数学の教科書(=「原作」)から勉強しなおせってことですか???
そこまでは僕の数学 ひどくはないと 自分では思っています。こっちもマジで。
…そんなわけでイチゴからいったん撤退宣言(815)。でも、オイラはマジで金融工学の問題に悩んでいるやつに丁寧に答えていたんだけどね…。
で、久方ぽちぽちしてみたら、「留学?」とか、単語で問いかけるぐらいの答しか返さない。せいぜい、「定義かな……」ぐらい。「定義かな……」って言われても……。
でも、おれは爬虫類や両生類のことは好きなので、彼らのことを一般に悪く言わないでください! あのあの方が特例なんです!
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ちょっと書いてきました。この御仁、素人上がりで、ネット上で探しあてた御仁としては私に並んで(???(笑))、相場観がいい方です。見ているテクニカル的なものは、全然違うのに、マーケットに入るタイミング 出るタイミングが、ほとんど同じだったりするので、結構本当に笑えます。この御仁には、出来れば、こちらにご登場願いたいのですが、まあ、相場する人って、とても殺気だっている人が多いので、招かざる客を招くといけないので、直リンクは避けました。ポチして、そして、「移転先」のリンクをポチしてください。私のHNは、別名です。HNを見ればだれだか、一目瞭然ですが。
はやしさん、藤崎さん、ちょっと、冷やかし程度に書いてきませんか?(笑)
ご無沙汰です。黄です。藤崎さんは今日から5回連続で土曜出勤のようですね。自分で企画したデリバティブズ講座に客が集まってしまい、自ら教材を作成して講師にもなっちゃいました。日本の会社の部長になったのに、今でも外資系の感覚抜けてないので、全部自分でやっちゃうのね、あの人…。まあ、自業自得ですね。午後から三越前まで出撃のようですよ。
<a href="http
それに最近イチゴBBSで爬虫類と遊んでいたので、こちらの投稿が疎かになっているようですね。そんなことやってるうちに日経14000円越えで、私だけいい思いあるよ。
いや、ご友人の藤崎さんも大変そうですね。商売繁盛っていうか、アホしかいないと自分でしたほうが早いから、全部自分でやってしまって、それで、結構善意で何もかもやってあげているのに、日本のカイシャの人格障害者達って、そういうことを、変に逆恨みしたりして。
いやあ、僕の今の上司って、超あほあほあほで、参っています。
こっちが、噛み砕いてやって説明してやっても全然理解できないし、相手の誤解勘違い矛盾に気づいて こっちが早めに話しだすと、とても嫌な顔して話を遮るし、それでやたら問題点の羅列だけはできるのですが、それを系統立てて整理する能力ゼロで、ゆえに問題解決能力ゼロで、自分の意見といえば、全部単なる支店長のオウム返しですし。
こういうアホを昇格させないために、社内試験というのはあるはずなのですが、まあ、それが、白紙で出さない限り、全部当落は、事前に人事が勝手に決定していて、こんなのが管理職で昇進していくという、もうこうなると二重、三重の倒錯ぶりで、もうなんと言っていいやらの世界です。
TBSや阪神と言わずとも、日本で社会問題化するカイシャは、なるべきしてなっていると思います。
黄さんの勝負の世界って、藤崎さんのカイシャより気が楽だといえば、いえるのではないでしょうか。
相場の厳しさってのは、確かにありますが、少なくとも、アホな人格障害者のお相手をしてあげなくても、ちゃんと収入になりますからね。
本当にアホな人格障害者のお相手ってのは、こっちが磨耗するだけで、大したお金にもならないし、相場師がアメリカ並みに、社会的職業と認定されていたら、私もとっくにカイシャをやめていると思います。
まあ、相場師を社会的職業として認定するのが社会として健全かどうかは、また別の話ですが。
ただ、アホな人格障害者に、社会的地位を保証するのは、明らかに社会が不健全な証拠であると、はっきり言えるでしょうね。
黄 黄昏 さん ですか。
子供のとき、「黄」色は「吉」を 表象すると聞いたことがあます。
ということで、「吉」たそがれ さんということですね。
確か、Kichi Tasogare って人、確かANKKで、Dr.はやし に アホを感染させた人ですね。(笑)
単純に打ち間違えたあるよ。
そういえば、最近の藤崎さんは忙しすぎて、仕事の合間には現実逃避で戦争映画ばっかりみてますね。映画なんてポケモンとディズニー以外は全然見なかったのにね。でも、もともと、あの人って経営学専攻なので、リーダーシップ論なんかの本を書く準備かもね。
ところで、昔から藤崎さんは、なんで映画評論とフランス哲学は兼業できるのか?どちらかは知らんけど、どちらかの分野は舐められてるってことがわかってんのか!と怒ってました。
少なくとも、蓮実某はフランス哲学の素養はあるかもしれんが、デリバ市場に関して発言すれば、瞬時で藤崎さんたちにボコボコだろうね。・・・で、彼の専門は映画評論らしいので、やっぱフランス哲学は舐められていたのね。
それはそうと…私の文体、藤崎さんに似てきたあるよ。
ねえ浅田さん、日本のドゥルーズ研究家が映画の知識がなくて、「シネマ」訳せないんだって。
やっと、君の出番だよ。
映画分かって、ドゥルーズ分かるって、日本広しといえども君しかいないものね。
訳して、それネタに論文1本書いたら、教授にしてもらえるかもよ。
何、訳せないって・・・。嘘だあ。で、映画とドゥルーズの思想のどっちがわかんないの?
ええ、どっちもだって。ありゃ、それで、これオフレコ?
まずいな、おれしゃべっちゃったよ。
助教授首だって?
大丈夫だって、京大の経済学部って、もともとろくな先生いなくて、ぬるぬるだから。
ええ、今、国際法、法学部で教えてんの?
黄さんが提起してくれた、映画評論とフランス哲学、この結びつきって、扱いようによってはけっこうのっぴきならない、というか、面白い問題設定ですよね。もちろん今までも、(フランス)哲学的な解釈格子によって映画を論じる、だとか、映画からエピファニーを受けて哲学的テクストを物す、だとかはあったわけですけど、そもそも、どうしてそういうことが可能か、っつーのは、案外等閑に付されているわけです。
しかも、こと日本の状況を見ると、「フランス哲学をやってる→映画好き」という事例が、偶然ではないぐらいに多い(「映画好き→フランス哲学をやってる」という逆の命題に関しては判断を控えておきますけど……そうである事例は、有意に多かろう、と思います)。というか、フランス哲学をやってる人たちの間には、「映画を観て、そしてそれについて何かを言わなければ」という、強迫観念めいたものがあるのではないか、と思います。
これは、一にも二にも、黄さんが名前を出された蓮實大人の功罪(ま、「功」があるかどうかはともかくとして)だと思うんですが、蓮實さん、そもそも「フランス哲学」どころか、よく言われることですけど、「哲学」に関して素養がないんですよ。で、本人もそれは分かっていて、その手のことを扱うときは、周到な、でも一瞥そうとは分からないエクスキューズがなされていたりするんだけど……正直そういうのってどうよ?と思う。
で、蓮實大人の「専門」は、映画評論でも、いわんや「フランス哲学」でもなく、「19世紀フランス小説」、とくにフローベールがそうなんですが、その領域ではおっどろくほど公にした(少なくとも、われわれが気軽にアクセスできるような)書き物がないですよねえ。
だから、そういう意味では、舐められているのは「フランス哲学」のみならず、「映画」もそうなのであります。
それはともかく、藤崎さんの「リーダシップ論」、是非読みたいですねえ。藤崎さんにそうお伝えください。
シータさんも言うように、中国では黄色ってのは「黄帝」とも言うように、高貴さを表す色であって、しかも、これは中国に限らず、「黄色=太陽や金」というアナロジーから、文化の東西を問わず、かなりポジティヴなインプリケーションを込められた色だったわけです。
ただ、そうした「高貴さ、稀少さ」ってのは、よくあるように容易に反対の価値を示すものとなりがちで、西洋では中世ぐらいになって黄色の価値が大暴落して、何と、今で言う「きちがい」に着せる服の色は黄色だった、ということを知らせる文献もあったりします。
ただ、それが日本での「黄色い救急車」という都市伝説に直接関わってくるか、というと、大いに疑問ではあるけど(俗説だと、黄色の「き」は「きちがい」の「き」だから、と言ったりする)。
でも、あくまで「一読者」として無責任に読む分には、なーんにも難しいことはありゃしないし、ドゥルーズの言説にそれなりに親しんできたものにとってはむしろ平明、というか、「ああ、これはどこかで見た風景だ……」という郷愁すらそそるようなものだったりします。
で、映画に関してですけど、おれも別段そんなに映画をきちがいみたいに観ていたわけでもないんで、いくら『シネマ』を読んだからといって、それについてあーだこーだ言える立場には全くないんですが、それでも、映画に限らず一般的に「藝術」と呼ばれるものについて「哲学的」に語ることの困難さと、そして甘味さってのは感じますね。
そもそも、藝術ってのは「それに触れる」ことが大事なのであって、それに纏わる言説なんてのは「二次的」どころか、ほんと屁のようなものであるはずなんです。ところが、20世紀に入って、藝術作品とその批評との乱交さながらの相互浸透が進み、鑑賞者の側としても「単に観ている」だけという安穏な地位には甘んじられなくなってきた(いや、別に「甘んじる」も何も、ほんとのほんとは「単に観ている」だけで全然オッケーなんですけど)。
ただ、と急いで付け加えますが、映画にせよ絵画にせよ、それらについて語ることは別にいいと思うし、それを読むことも芸術に触れる上でいいエフェクトがあると思うんですよ。たとえば、宗教画とか観る上で、ただ漫然とその絵の前に立つよりも、いくらかの背景知識があったほうが、より一層の豊かさを以って、その絵がこっちに迫ってくるわけですよね。まあ、「絵画を見る」という体験が「自分の持ってる知識の確認」というごく詰まらぬ一対一写像に堕しちゃう危険もすげーあるんですけど。
えーと、何だか『シネマ』の話からえらいズレちゃいましたけど、とにかく、そこでのドゥルーズの語り口は、「映画を観ること」の面白さと、そしてそれを語ることの困難さ、とくに「何で映画は面白いのか? そもそも、何で映画なんてものが成り立っているのか?」という、歯噛みをするようなもどかしさの鬩ぎ合いがあって、それがおれみたいな、哲学にも映画にも大した造詣のない人間にも、ある感動を齎してくれるわけです。
ほいで、「浅田ネタ」に対抗してこっちも「業界ネタ」で勝負、ですけど、結局『シネマ』の第一巻に関しては、財津さんの単一訳書になるみたいですが……ほんとのほんとに大丈夫なんだろうか?ですよ。だって、財津さん、洒落にならないぐらい映画のこと知らないもの。フランス語でcadrageって言うと、キャメラのフレーミングのことであることはすぐ分かると思うんだけど、そっからの応用が利かないというか……。
で、浅田彰、フランス語の知識はともかく、映画の知識はけっこうちゃんとしていると思います。って、何度も言うように、おれにそんな評価が下せた義理じゃないんですけど。
この文体、淀長さんに、あんま、似てないなあ(笑)
で、未翻訳のドゥルーズの「シネマ」を、原文で読んだはやしさんどうぞ!
浅田さんが、ガタリの通訳もしていたから、ガタリが「アサダクン、キミワ オカマカネ?」と聞いても「淀川長治さんは、おかまだそうです」って、トンチンカンな訳をしていた可能性も否定できませんが。
私が愛の無知で、辛口に叱咤激励してきた、浅田ちゃんのついに出番ですね。(涙、涙、うれし泣き)
下巻の浅田訳お待ちしています。
浅田ちゃんの訳が出たら、下巻だけ、藤崎さんが英語版の翻訳を本当にやっていたりして。(笑)
それはともかく、おれお得意の「ネタにマジレス」ですが、『シネマ』の下巻は宇野(邦一)さんで決定済みです。刊行はいつって言ってたっけなあ。でもおれは、嫌味でも何でもなくほんとに、「蓮實重彦・監訳」で駒場の連中がやればいいのに、と思う。ま、時既に遅し、だけど。
ところで、原作たそがれ清兵衛さんのコメントの最後の一文、意味が取れないんですが……。
まず、浅田ちゃんが、下巻の訳をすると決まったら、その誤訳と虚妄を暴くために、藤崎さんが、既に英訳されている???(・・・まだ翻訳されてないかな???・・・未確認です)下巻を、本当に翻訳始めるんじゃないか ということです。だから、浅田訳が出版されるころ、英語版下巻の翻訳もそのころ藤崎さんは、終わっているんじゃないかと。私にその能力と時間があれば、無報酬ででも、やってみて、ネットで公開したいですね。(笑)
しかし、まじで、浅田って、シネマを訳すのに適任だと思いますよ。
ただ、映画のことでなく、ドゥルーズの言っている哲学的内容を彼が理解できるか、それが問題かなと。
彼の、映画の知識については、私もしっかりしていると思います。
それで、
>浅田彰、実はフランス語が出来ない説
って、これ知りませんでした。
これ、完全に風説の流布ですよ。これで、彼がシネマの翻訳の機会を失ったのなら、本当にかわいそうで 泣いちゃいます。えーーーーーん。
で、「浅田彰、実はフランス語ができない説」、これ多分、何かを翻訳したりしてない、ということに主に起因しているような気がします。そう言われると確かに、「浅田彰・訳」のものって、批評空間で一つ見かけたっきりのような気がしますね。ま、ともあれ、きわめてローカルなところでしか流通していない、ほんとの「風説」なんで、知らなくて当然、と思います。
それはともかく、『シネマ』の邦訳、おれは丹生谷貴志がきわめて適任、とかねがね思っていたのですが・・・・・・まあ、彼の場合、気力が持たないかな。
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