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ご多聞に漏れずにおれも、若い頃ウィトゲンシュタインにやられた口である。それも主に、というか、もっぱら、「秘教的」と言ってもいいほど研ぎ澄まされた、あの『論理哲学論考』に、だ。

高校2年ほどのとき、「世界の名著」に入っていたバージョン(現在、「中公クラシックス」の1冊として刊行されている)で出会って以来、大学の中頃ぐらいまで「ウィトゲンシュタイン熱」に浮かされていた。大学に入ってから、ラウトリッジから出ている英独対照本も買い求め、その原文のほとんどを暗記した……。

何がそれほどまでにおれを捕らえたのか?

まず、『論理哲学論考』を最初に眼にした(読んだ、ではない。「眼にした」だ)人は誰でもそうだと思うが、その「佇まい」の異様さにやられた。もちろん、このような「命題形式」で書かれた哲学書としては、スピノザの『エチカ』が嚆矢だろうし、そのときにはもうすでに『エチカ』も知ってはいたが、「命題形式」の徹底ということで、『論理哲学論考』は全然格が違う、と感じた。

そして、次のような序文の一言に代表されるような、不敵な断言。

……ここに述べられた真理は、決定的で疑いのないもの、とわたしには思える。ゆえに、問題は本質的に解決された、とわたしは考える。……

『論理哲学論考』序文

しかし、そのような熱狂に浮かされた『論理哲学論考』の読みは、当然皮相的、つまり、それこそ「形式的」な読みに過ぎなかった、と今さらながら思う(余談になるが、ドゥルーズもウィトゲンシュタインについて、「皮相」な読みしかできていなかったように思う。そもそもドゥルーズは、ウィトゲンシュタインをちゃんと読んだことがあるかどうかも訝しい……。クレール・パルネによるインタヴュ集『アベセデール』における、"Assassin..."(「あいつは哲学の暗殺者だ」)という、ドゥルーズの吐き捨てるようなウィトゲンシュタイン評を想起)。

そういう思いは、ウィトゲンシュタインの遺稿集を読むにつけ、強まるばかりだ。



1951年にウィトゲンシュタインが死んだとき、約20,000ページにも及ぶ草稿群が遺された。そして、最近になって、それら草稿群がCD-ROMで手に入るようになった。Wittgenstein's Nachlass と呼ばれるのがそれだ。

この遺稿集の沿革等については、ここを見てもらうこととして、ここでは、具体的にそれはどんなもんか、ということをちらっとだけ紹介。

まず、この遺稿集CD-ROMには、それら草稿群が、ノーマライズ版、ディプロマティック版、そしてファクシミリ版の3ヴァージョン収められている。ファクシミリ版は言うまでもなく、ウィトゲンシュタインの草稿を、そのまま画像として収めたもの。ディプロマティック版は、そのウィトゲンシュタインの草稿を、能う限り忠実に、文字起こししたもの。そして、ノーマライズ版は、そのディプロマティック版を、普通にも読めるように編集したもの。

それじゃ、『論理哲学論考』の元である、『プロト・トラクタートゥス(原論考)』のノーマライズ版を見てみよう(太字になっている命題は、『現論考』と食い違うもの)。

1  世界は、そうであること(成り立っていること)のすべて、である。
1.1 世界は、事実の総体であって、物の総体ではない。
2  そうであること、つまり事実とは、何かある状況(原子事態)がある、ということである。
2.1 われわれは事実を、ある像の中に認める(理解する)
2.2 その像は、それが写すものと論理形式を共有する。
3  事実の論理像が、思考である。
3.1 思考の感覚的な表現が、命題記号である
3.2 その像をどのように写すか、と伴って、命題記号は命題となる
4  思考とは、有意な命題である。
4.1 命題は、何かある状況が成り立っていたり、成り立っていなかったり、ということを表す。
4.2 命題の意義とは、何かある状況が成り立っていたり成り立っていなかったりということについての可能性との、一致・不一致である。
4.3 要素命題の真理可能性とは、何かある状況が成り立っていたり成り立っていなかったりということについての可能性を意味する。
4.4 命題とは、要素命題の真理可能性との一致・不一致の表現である。
5  命題とは、要素命題の真理函数である。
6  真理函数の一般形式は、次の通り:|N(p0), α, N(α)|。

これが、タイトルページなどなどを除けば、『原論考』の1ページ目。

で、「あれ?」と思わない?

そう、ここにはかの名高い第7節「人は語ることのできないものについて、沈黙しなければならない」がない!

では、この第7節はどこで出てくるか、と言うと……これが、全部で120ページほどのこの『原論考』草稿の、実に71ページ目で登場する。この登場の場面は、ちょっと重要だと思うから、ノーマライズ版ではなく、ディプロマティック版で、最初だけ引用。

6.3 倫理は命題では構成できない(命題では表現できない)。
6.4 全ての命題は、等価である。
7 人は語ることのできないものについて、沈黙しなければならない。

ウィトゲンシュタインはこのページを、倫理についての命題から書き始めていた。しかも、この消された命題は、この第7節の前提になるような、そんなものである。

それじゃあ、これらの間に挟まっている第6.4節の働きは、となるんだけど……それについて考察する余裕は、残念ながら今はないな。



って、感じで、この遺稿集、一生かかっても全部読めるか……というものだけど、そんなことは頓着せずに、検索機能を駆使して拾い読みするだけでも、とびきり面白い。





ところで、藤崎さんも若かりし頃、ウィトゲンシュタインに相当やられた口、と邪推するんですが、いかがなもんでしょ?

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コメント
オイラも論理哲学論考買ってます。法政大学出版会には相当貢献しましたね。そろそろ招聘話があってもいかもね…。1981年だから大学3年。大学3年といえば、クンシー・ジョーンズの愛のコリーダなんかが大ヒット、個人的にはジョージ・ベンソンがギミーザナイトで急速にディスコ化したのがショックだった。そんなわけで、ますますブラジル音楽に傾倒しつつあった時期だなあ。そういえば翌年、オイラがゼミの代表になって、1年下のヤツラの入ゼミ面接背やったら、あるアホが「尊敬する人の欄に福沢諭吉、Kポパー、レイ・パーカーJR」と書いていたのを思い出したぞ!当然ですが、そのアホは合格しました。なんのこっちゃ!
藤崎達哉 2005/10/27(Thu)19:51:00 編集
ドゥルーズのウィトゲンシュタイン嫌いは有名だし、また、彼は恐らく弁証法嫌いでしょう。
私は、ウィトゲンシュタインについて全くといっていいほど無知であり、恐縮です。弁証法については嫌いのほうに属すると自分では思っています。
しかし、ネットの議論って私のようなほとんど素人のような者が見ていても面白いですね。
弁償法嫌いを宣言している人が、いつも「否定の否定(二重の否定)」のパタンを使って問題をいかにも発展的に解消できるかのように論をすすめていたりして、本当は弁証法の狂信者ではないのかと思われるような発言を連発したりする一方、はやしさんみたいに、「俺はヘーゲルを擁護するよ」って一応宣言している人が、根本的な弁証法の欠陥を強烈に意識しながら、それでも「論理はどうしても大切である」という立場であったりで。
私は、日本に散布されている通俗的ウィトゲンシュタインのイメージしか知りませんでしたし、また、ヘーゲルのことも ろくに知りませんが、はやしさんと話していて、私の中におけるこの二人の哲学者のイメージが大きく変わったのは事実です。
思考の可塑性が少しありずぎるかなって、自分でも少し笑ってしまいますが。
原作たそがれ清兵衛  2005/10/29(Sat)08:38:00 編集
ヘーゲルやウィトゲンシュタインに限らないことなんですけど、世間一般に流通している思想家像と、実際にそれら思想家を読んでみて受ける印象の食い違いってのは、けっこうでかいものがありますよね。とくに、今を遡れば遡るほど、つまり、「世間一般の評価」というのがある一定の値に収束している人ほど、その傾向が強い。

ウィトゲンシュタインの場合、「一定の値」というには評価が拡散しまくりですが、ことヘーゲルに関しては、ほんと「弁証法」っていうキャッチフレーズでしか理解されていないようなところがある。でも、実際にヘーゲルを読んでみると、そんな「弁証法」だ何だなんて細かいことは消し飛んじゃうぐらいですよ。どこがどうすごいのか、って言われると、返答にも困るんですが。

というわけで、ヘーゲルにしても、そしてウィトゲンシュタインにしても、是非現物に当たられることをオススメします。
はやし 2005/10/29(Sat)09:40:00 編集
そりゃ、あんなタイトルの本を出しといて、「実はおれ、『論理哲学論考』持ってないんだよねえ」ってことはないでしょ! で、おれも、法政大学出版会には相当貢献しているので、声がかかる、ってことはないと思いますが、顕彰されてしかるべきだと思います。

にしても、尊敬する人:欄に福沢諭吉、Kポパー、レイ・パーカーJR、って、いいなあ、それ。もう、それだけで「合格!」でしょ。とはいえ、その人、ネタじゃなくって真面目だったんですよね? それはそれで「うーむ」であるな。
はやし 2005/10/29(Sat)09:43:00 編集
↓時代考証すると。1981時点のレイパーカーJRはゴーストバスターの映画音楽を担当する前です。むしろグローバー・ワシントンJRのサックスがはやってました。
藤崎達哉 2005/10/29(Sat)11:12:00 編集
1981年っつーと、おれ、7歳ですねえ……。

そういや、というか、一般的にはレイパーカージュニアというと、やっぱり『ゴーストバスターズ』の曲を歌ってた人、ってことになるんでしょうかねえ。かく言うおれも、あの曲しか思い浮かびません。
はやし 2005/10/30(Sun)12:21:00 編集
これかな?

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ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930‐1932/1936‐1937
宮本浩樹 2006/01/24(Tue)23:02:00 編集
ごめん、失敗した。
『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930‐1932/1936‐1937』
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今日、本町の紀ノ国屋に行って見つけたんだけど。
立ち読みしただけだけど、戦慄するフレーズがそこここに……って感じだったな、うん。
宮本浩樹 2006/01/24(Tue)23:08:00 編集
やあやあ、もてもての宮本さん、ご機嫌麗しゅう。

で、宮本さんが紹介してくれた『哲学宗教日記』は、な、何と1993年まで歴史の帳のなかに埋もれていたものだから、2000年に刊行された(って、CD-ROMだから「刊行」はちょっとおかしいのかな)この『遺稿集』にはテクストクリティークが間に合わず入っていない。

それはともかく、おれも深甚なる興味をこの本には抱き、というか、「読まな、嘘でしょ」まで思ってるんだけど、どーも(いつもながらうるさいことを言って申し訳ないけど)訳が良くないのではないか、と思える点が多々あり、だから、元本でえっちらおっちら読もうか、と思ってるんだけど、これがまたちょっち高いんだよねえ。

なわけで、訳が良くなかろうと何だろうと、「ないよりはまし」で買っちまおうかなあ、という想いを新たにしたことでありますよなりけれ。
はやし 2006/01/24(Tue)23:25:00 編集
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