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フランコ・ベラルディによる、「今日アウトノミアは何を意味するか?」の続き。



アウトノミアと規制緩和(脱-規制)
アウトノミアについての、上で指摘したのとは別な、今まで等閑に付されていた側面がある。労働の規律化における労働者の働きと関連して、労働者たちのアウトノミア化(自立化)の過程は、社会的混乱を引き起こし、そしてその混乱は、資本主義による規制緩和を引き起こした。サッチャー/レーガンの時代に国際舞台に現れたこの規制緩和は、労働の規律的秩序からの労働者の自立化というものへの資本主義の応答と見なしうる。労働者は、資本主義的規制からの解放を主張し、そして資本も同様に、だが労働者とは反対のことを主張する。国家主導による規制の自由化は、社会の全領野にわたる経済的専制をもたらした。労働者は工場という牢獄の中で、自分自身の生を持つことの自由を訴える。規制緩和は、労働を柔軟化しフラクタル化することで、そうした訴えに応えるのだ。

1970年代のアウトノミア運動は、危険な、だが避けられないプロセスを始動させた。そのプロセスは、資本主義の規律的支配に対する社会的拒否から展開したのだが、同時にそれは資本主義の復讐を引き起こした。その資本主義の復讐とは、規制緩和、国家からの企業の自由、社会的保護の破壊、従業者の罷免や生産の外部化、社会費用の縮減、税金の免除、そして何より柔軟化という形態を採った。この自律化の動きは、社会的コンテクストを不安定なものにし始めた。この社会的コンテクストは、同業者組合や国家の圧力のおかげで、過去1世紀の間生き永らえてきたのだ。かような資本主義的規制緩和を引き起こしたことを以って、サボタージュ、非服従、自律、労働の拒否といった挙措を悔いるべきだろうか? いや、絶対にそんなことはない。アウトノミア運動は資本主義の動きに先んじていたが、規制緩和のプロセスはポスト工業資本主義の発展に織り込み済みのものであり、技術刷新や生産のグローバル化を単に示唆するものに過ぎない。労働の拒否、工場の情報化、従業者の罷免、労働力の外部化、労働の柔軟化、といったものの間には看過できない関係がある。しかし、この関係は「原因と結果の論理的結びつき」という以上の複雑さを持つ。規制緩和のプロセスは、資本主義企業をしてグローバリゼーションのプロセスを推進せしむる新技術の発展に伴うものである。同様のプロセスは、同じ時期に、メディア界でも起こっている。そのことは、1970年代の自由ラジオのことを考えれば、すぐ得心が行くだろう。この頃のイタリアでは、放送は国家の独占であり、自由ラジオは禁じられていた。1975年から76年にかけて、メディア・アクティヴィストのグループが、自由ラジオの小さな放送局を作り始めた。たとえば、ボローニャのラジオ・アリス。伝統的左翼(イタリア共産党など)はこのようなメディア・アクティヴィストたちを告発し、公共メディアというシステムを脆弱化させ、個人メディアを広める動きを押し止めようとした。

伝統的な、国家政党の左翼は正しかった、と今日考えるべきだろうか? 私はそう考えるべきだとは思わないし、放送の公共的独占の終焉というのが避け難いものであり、言論の自由というものが集権的メディアよりも重んぜられるべきものであってみれば、国家政党たる左翼は間違っていたとしか言いようがない。彼らは、消えることを運命付けられた保守勢力であり、必死になって旧来の枠組みを保守しようとしていた。その旧来の枠組みは、ポスト工業的な時代の推移の中の技術的・文化的新状況においては、明日のないものであったのに。同様のことが、ソビエトや、人が「現実的社会主義」と呼んでいたものの終焉についても言えるだろう。ロシアでの暮らし向きは今から20年前の方が良かっただろうし、旧来の社会保障のメカニズムが破壊され、攻撃的な競争や暴力や経済的崩壊といった社会的悪夢が沸き起こり、ロシア社会のいわゆる「民主化」は本質的に試されている、と言っていいだろう。しかし、社会主義体制の崩壊は避け得ぬものであった。というのも、その秩序は欲望の社会的備給をブロックするものであり、全体主義的体制は文化的革新を妨げるものであったから。共産主義体制の崩壊は、集合的知性の社会的結合に、グローバル化した新たなメディアによって作り出された想像力に、そして欲望の集合的備給に伴うものであった。こういうわけで、民主的知性や反逆的な文化勢力は、資本主義は楽園的なものではないということを知りつつも、社会主義体制に反旗を翻したのだ。今日まで、規制緩和の波に飲まれた旧態依然としたソヴィエト的な社会は、ジャングルの王が大きな顔をし、民衆はかつてないほど、搾取され、不幸な思いをし、辛酸を嘗めている。しかし、このような事の成り行きは不可避であり、そういう意味で、進歩的な変化と看做されねばならないのだ。

規制緩和とは、私有企業の国家による規制からの自由、公共費用や社会保障の縮減、ということだけを意味するのではない。同時にそれは、労働のいや増す柔軟化ということをも意味しているのだ。労働の柔軟化の実態は、資本主義の規制からの自由ということの別な側面である。労働の拒否と、それに続く労働の柔軟化ということの結びつきを、低く見積もってはならない。1970年代に叫ばれた、自律的プロレタリアの力強い主張は、「物事を不安定にするのは、いいことだ」というものだったことを私は思い出す。労働を不安定にすること、それは生涯にわたってずっと絶え間なく規制される労働に対して自律的になる、ということの一側面なのだ。1970年代、人々は何ヶ月か働き、溜まった金で旅に出るために仕事を辞め、旅から帰ってきてまたしばらく働く、ということをしたものだった。それは、競争主義や消費主義を超えた平等文化の、そしてほぼ完全雇用が実現されていた時代だったからこそ出来たことであろう。このような状況は、資本主義の、でなく、自身の関心にしたがって人々が働くことを可能にしたが、明らかにこうしたことは永遠に続くものではなかった。1980年代のネオリベの反撃は、こうした力関係を逆転させようと目論むものだった。労働の柔軟化と規制緩和は、労働者の自律の帰結でもあり、転覆でもあった。そのことを歴史の推移としてだけ認識するだけでは充分ではない。もし今日という完全に柔軟化された労働の時代に起こっていることを理解したいのなら、いかにして資本主義は社会的欲望の手綱を握ったのかを理解しなければならない。

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ちわっす。荒井です。

>1970年代、人々は何ヶ月か働き、溜まった金で旅に出るために仕事を辞め、旅から帰ってきてまたしばらく働く、ということをしたものだった…………これ、私もやってました。90年代のことですが。でもサラリーマンだったら無理だったと思いますけどね。

ところで私も非常に興味があるアウトノミアなんですが、運動の詳細というか、具体像みたいなものがわかるような(日本語の)本をずっと探してるんですが、見当たらないですねえ。熱く躍動する運動のイメージだけは私の中に息づいてるんですが………たとえば、万引きがどうして労働運動なのか、とかそのへんの詳しい事情をサラッと解説してくれてる本がとても欲しい。

ちなみに68年5月、についても同様です。まあ、こちらはもっと情報があるし、シチュアシオニストのものを読んで、ボンヤリとわかってきましたが………。(江口幹って人の本も読んだんですけど、シチュアシオニストのことを芸術家くずれの集団だ、みたいに書いてるの読んでショックを受けました。)あまりにも有名な、あまりにも重要な出来事であるにもかかわらず、ほとんど資料にお目にかかれないのは残念です。これ一冊読めば、あとはいらない!って言うような本を待ちこがれる、今日この頃です。
araiken 2005/04/26(Tue)22:38:00 編集
荒井さん、どもども。

アウトノミアの運動については、「今日アウトノミアは何を意味するか? 1」でもポイントしておきましたが、粉川哲夫さんの「イタリアの熱い日々」が現時点では一番要諦を得ているように思えます。
<a href="http

それとは別にぼくも、トロンティという人の『労働者と資本』という、「アウトノミアのバイブル」と呼ばれる書物も鋭意翻訳中で、同時に「アウトノミア運動史」めいたものもちょぼちょぼ準備中なんで、気を長ぁーくして待っていただければ……と思います。

「5月革命」についても、日本は碌な本が出ていませんよね。そればかりか、「碌でもない本」ですらあまり出ていない。フランス本国ではそれなりにいい本がけっこう出てるのに。江口さんの『パリ68年5月』、ぼくも読みましたけど、イマイチですねえ。「5月革命」とシチュアシオニストの絡み合いに関しては、『シチュアシオニストと68年5月』という本がぼくはいいと思うんですが、残念ながら未訳……。なもんで、このことについても、追々紹介できたらいいなあ、と思っとります。

でも、ほんと、アウトノミアにしてもシチュアシオニストにしても、こんなにマイナーなんだろうなあ。けっこうキャッチーだと思うんだけど……。
はやし 2005/04/27(Wed)12:18:00 編集
はじめまして。
 貴ブログへの突然の書き込みの非礼をお許しください。「運動型新党・革命21」準備会の事務局です。
 この度、私たちは「運動型新党・革命21」の準備会をスタートさせました。
 この目的は、アメリカを中心とする世界の戦争と経済崩壊、そして日本の自公政権による軍事強化政策と福祉・労働者切り捨て・人権抑圧政策などに抗し、新しい政治潮流・集団を創りだしたいと願ってのことです。私たちは、この数十年の左翼間対立の原因を検証し「運動型新党」を多様な意見・異論が共存し、さまざまなグループ・政治集団が協同できるネットワーク型の「運動型の党」として推進していきたく思っています。
(既存の中央集権主義に替わる民主自治制を組織原理とする運動型党[構成員主権・民主自治制・ラジカル民主主義・公開制]の4原則の組織原理。)
 この呼びかけは、日本の労働運動の再興・再建を願う、関西生コン・関西管理職ユニオンなどの労働者有志が軸に担っています。ぜひともこの歴史的試みにご賛同・ご参加いただきたく、お願いする次第です。なお「運動型新党準備会・呼びかけ」全文は、当サイトでご覧になれます。rev@com21.jp
 
革命21事務局 URL 2008/10/14(Tue)11:45:20 編集
だそうです。
はやし 2008/10/14(Tue)19:00:50 編集
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» 「自己否定」という成功体験(中)
 ●回想・全共闘 1/2/3/4/5  (上)からの続きです。  それで、次に非正規雇用とか格差とか野宿者などの問題の根っこをどう考えたらええんかなあ、自己肯定でええのか、とかいろいろ思っておりましたところ、先日、ある哲学研究者(現在留学中)の方のブログ?..
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