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ツイッタ上でシータさんより斯様なリクエストを受けましたので、お応えします。
選考にあたっては、その選ばれるものが、1) 「グリッチ」云々ということを度外視しても、たんじゅんに「音楽」としてよいものであること、2) あまり実験的であったり、端的にノイズであったりというのではなく、なるだけ「ポップ」であること、そして、3) これまで少なくとも50回は聴いたものであること、に留意した(が、当然のこととして、これらの基準は貫徹されているわけではない)。
Systemische Oval (Thrill Jockey, 1996) |
これは、「グリッチ音楽」ということになるとほぼかならず名前が挙げられる、まさにエポック・メイキングな作であるが、おれにとっては上で言ったみっつの条件を完璧に満たしている、「すばらしい」としか言いようのないアルバム。じじつ、おれはこのアルバムを「グリッチ」という括りで捉えたことは、あまりない(参考エントリ: oval、あるいは昔語りの誘惑)。たんじゅんに、うつくしい音のつらなり。
このアルバム以降、つまりオヴァルがマルクス・ポップのソロ・プロジェクトとなってからの諸作は、しょうじきそれほど好きではなく、グリッチさとポップさとうつくしさが同居したこのような音像が聴けずにさびしいかぎりなのだけど、そういうときは、(本人たちにとってはありがたくない呼称だろうけど)ほとんど「オヴァル・クローン」なネイナのアルバムを聴くことにしている。
Seven Tons for Free Pita (Mego, 1996) |
これは、上記の条件2、つまり「あまり実験的ではない」というものを満たしておらず、けっこう直球で実験的な響きを持っているのだけど、記号化された意味での「グリッチ」を語るうえではやはり外せないので、挙げる(もう少しポップさを前景に出したメゴのものとしては、ジェネラル・マジックがよい)。ともあれ、メゴからのリリース(とくに、その初期作)はどれも必聴。
Male Comedy Fuckhead (Mego, 1998) |
上記ピタと同様メゴからのリリースなのだが、おもしろい音盤なので、あえて別項を設けて紹介する。音は、以前グリッチ小史のディスクガイドでも書いたとおり、グリッチ・ゴス・メタルでも呼ぶべきもの。グリッチ的語法が一般化し、メタルにもそういう要素を取り入れることはいまとなってはめずらしくもないことだが、当初これを聴いたときはずいぶん新鮮に響いたものだったし、そして、この音盤にある「何だかよく分からない感じ」はいま聴いても薄れていない。
Stdiosnd Types SND (Mille Plateaux, 2000) |
このSNDのアルバムをもうちょっと派手にすると、いわゆる「クリック・ハウス」と呼ばれるものになるのだろうけど、おれ個人としてはここで聴かれるような控えめで淡々とした音像がとても好きだ。ただ、一聴したかぎりでは淡々としている印象を受けるとはいえ、その実かなりダイナミックな音の動きがある。また、「いわゆるクリック・ハウス」としては、ファルベンをすすめておく。
Spin Noto (Raster-Noton, 1996) |
上に掲げた条件に合致するものとしてはむしろ、ノト名義ではなくアルヴァ・ノト名義での作品のほうが適当なのだろうが、ここでは彼の(音楽的)キャリアの最初期作としてこれを挙げておく(ほんとうは、48のロックド・グルーヴが収められたEndless Loop Editionを挙げたかったのだが、さすがにいまでは入手が困難であろうので、断念した)。アルヴァ・ノト名義の作品としては、どれも金太郎飴ではあるが、個人的にいちばんかっちり作り込まれていると思うTransformを挙げておく。
ちなみに、後述の池田亮司の作品についても言えることだけど、こういう音像配置に気が配られたものに関しては、部屋のなかを歩き回りながら聴くと、おもしろい。
+/- (Touch, 1996) |
これは聴いていないほうがわるい、そんな作品なので、何の説明もしない。当たり前だが、0ºCも必聴。新作は、あまりおもしろくなかった。
Elevator 2 Curd Duca (Mille Plateaux, 1999) |
「グリッチバチェラーパッドミュージック」としては、文句なく最高峰だろう。この『エレヴェータ』はシリーズ作としてこれまでみっつ出ている(と思う)が、このふたつめがいちばんよい、と思う。
Sauvage Wono Satoru (Kaeru Café, 2003) |
後半の「バチェラーパッドミュージック現代版」といった趣きの音もいいのだが、何と言っても聴きものは、レコードのスクラッチノイズのみを使って構築された前半。いまでは、このアルバム自体の入手はむずかしいと思われるが、前半のスクラッチノイズものに関しては、ディジタル版が本家アマゾンやiTunesストア等で買えるらしいので、買って聴くべき。
Coucy Pack Tone Rec (Sub Rosa, 1999) |
いまではダット・ポリティクス(ってカタカナで書くと何か変)としての活動が主なのだろうけど、おれにとってはいつまで経ってもこのトーン・レックのほうがメイン(ダット・ポリティクスは、聴けば聴いたで当然「おもしろいなあ」とは思うんだけど、「心底いい」と思ったことは、たぶん一度もない)。おれのなかではUiと同じ括りで聴いている(Uiは全然グリッチじゃないけど)。
QY20 Songs Max Tundra (Domino, 2001) |
最後に、記号的なそれではなく、最広義に捉えた意味で「グリッチ」と呼ばれうるような作を。
「グリッチ」とは、「グリッチ小史」および「失敗の美学」で言ったとおり、本来は「まちがえ」と見なされうるものである。そして、広く「グリッチー」と称されうる音楽は、そうした「まちがえ」を積極的に自らの作品に導入し、あまつさえ、「テクノロジーの意図的な誤用」に精を出してきたのだった。
このマックス・ツンドラのアルバムに聴かれる音は、それ自体としては大してグリッチーではない、かもしれない。しかし、このQY20のみで作り込まれた音像は、ほとんど「誤用」すれすれまでに酷使されたテクノロジーによって成立っている。そういう意味で、この作品はとてもグリッチーである、とおれは思う。
また、そうした「テクノロジーの極端な使用」によって成立っている作品として、ジョン・オズワルドの『プランダーフォニクス』も挙げておく。
と、思いつくかぎりでの「おれにとってのグリッチ音盤ベスト」を10枚(と言いつつ、それ以上)挙げたわけだが、結果的にきわめて凡庸、かつ、「グリッチ小史」のディスクガイドで挙げたのとほとんど変わらないラインナップになってしまった。
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