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ふだん読んでいるもののなかで、ふと目に留まった箇所にかこつけて、益体もないおしゃべりを繰り広げるという、いままでも「本」カテゴリでじゅんぶんにやられていたようなものを、あえて切り分けて独立カテゴリ化。
たいていの場合、哲学はそれらの階級[上流階級]ーーつまり、満足な教育を受けており、世俗的な意味での「力」も有し、「哲学的生産性」に寄与するところが大きいと思われる本やら何やらへアクセスすることができる、そんな階級ーーのものである、ということを忘れないようにしよう。(Jorge J.E. Gracia, "Ethnic Labels and Philosophy" in E. Mendieta ed., Latin American Philosophy, p. 63)
これは、くやしいが(と書いて、なぜくやしがらなければならないか、自分でもよく分からないのだが、じじつくやしく思ったのだから、しょうじきに記しておく)、それなりに現実を捉えている発言であるように思う。
もちろん、何にでも例外はあり、すばらしい「哲学的生産性」(この言いまわしに抵抗を覚える人がいることが予想されるが、そのような人はたんじゅんに怠惰なだけだと思う。ある程度戦略的に「怠惰さ」を称揚することは認められるが、しかし、「哲学」と「生産性」の結びつきを無化しようとする人は、おのれの無能さについて先回りのエクスキューズをしているにすぎない)を誇る人が赤貧洗うがごとき家庭の出身であることもありうるかもしれないが、大方の「考えごとに従事する人たち」は、どちらかと言えば、いや、どちらかと言わずとも、社会の上のほうの家の出であることが多いように思われる。
ごく個人的な例で申し訳ないのだが、おれが日本で所属していた学校は、ある意味「学者生産工場」のようなところであり、なるほど、個人レヴェルで見れば「金がない!」と喘いでいるものは少なくなかったにせよ、総じて見れば、買いたい本はその値段に関係なく問題なく買える、そういう人たちばかりであったように思う(だから、「大学の偏差値と、そういう大学に子女を送り込める家庭の年収とは、相関している」というまことしやかな言説も、そうかな、と思ってしまう)。
ただ、と思いつきで余計なことを言ってしまえば、たしかに高偏差値校の子女は高収入の家庭の出であることが多いように思えるが、ひるがえって、家が金持ちだからといってその家の子どもがいい学校に入れるとは限らない。そこを詰めて考えれば、上の引用文にふれて感じた「くやしさ」が事実無根のものである、つまり、そうしたくやしさを感じる必要は微塵もないことが言えるような気がする。どうだろう。
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