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「今年の目標」とか、そういうどでかいものを設定したら、鬼が笑います。もちろん、こちらの都合ではなく、「あちら」からの要求で、致し方なく「今年の目標」めいたものを設定せざるを得ないときもありますが、おれがマネージしうるのは基本的に「今日」とか、せいぜい「今週」とかいうレヴェル、ですね。
だいたい、個人的に設定するのではない「目標」、つまり上で言ったような「あちら」からの要求、さらに言いかえれば「ねばならぬこと」の「個数」というのは、おれなんかの場合それほど多くない。だから、それらをたんじゅんに分割し、各々の工程のバランスを考えてより細かい単位(月・週・日)に振りわければいいだけ、ということになります。
そうした分割と振りわけには、はっきり言ってとくべつな能力は何も必要としない。要は、たんじゅんな割り算ができればいい。それなのに、たとえば世のGTDだのLifehackだのと呼ばれる書籍なりウェブページなりを見てみると、何だかいろいろと大変そうなことになっている。
もちろん、あちらはビジネス、こちらはアカデミズムと、その目指すところがちがっているのでいちがいに比較はできませんが、アカデミック版GTDを扱ったページもあったりするので、こうしたGTD的というか、Lifehack的思考というのは、場をアカデミーに移しても、おれが知らないだけで、それなりの隆盛を誇っているのでしょう。
でも、でもですよ、「お前がやってることがたんじゅんすぎるだけなんじゃ」と言われておしまい、かもしれませんが、そんなGTDだの何だのという手管を動員せねばならぬほど複雑なことをみなさんほんとに要求されてるんですか? おれなんかはほんとごくたんじゅんな人間なんで、ここで書いたことともかぶるかも、ですが、「四の五のhowを考えるより、まずやってみりゃいいじゃん」と思っちゃうんですよね。ぎゃくから言えば、じっさいにやってみないとhowをどうするかも分からないわけだし。
もちろん、何かを達成するのに最適な方法というのはあって、そうした知識が共有されるのは、基本的にはいいことです。ただ、そうした「技法論」でこわいのは、ともすれば「最適な方法」の探求というものが前景化してしまい、それら方法で達成されるべき当の目標というのがおざなりになってしまいがちであること、だと思います。
ほら、たとえば大学受験のときのこととか思いだしてください。たぶん、まわりにひとりやふたりぐらいは、「受験テクマニア」みたいな人がいたと思うんですよね。で、そういう人って、じっさいの「出来」はどうでしたか? 少なくともおれの知るかぎり、そういう受験テクマニアは「ひどくはないが、それほどではない」どまりだった人が多い気がする。
つまり、こういうことです。そういう(おれの知るかぎりでの)「技法マニア」のような人は、たとえば「英単語を覚える」という目標を達成する場合、そうした「英単語の覚え方」のようなものをとっかえひっかえ試行することに忙しく、じっさいに「単語を覚える」という最重要なことがおざなりになっており、さらには、そうした「技法」を運用するにしても、それらの「コスト」、つまりは自分との相性だの習熟コストだのを無視する傾向があるようにも思える。
とはいえ、繰りかえしになりますが、そうした「技法的=ハック的」なものをいちがいに否定しようとも思わない。何ごとも、うまく、効率的にこなせれば、それに越すはありません。しかし、これまた繰りかえしになりますが、そうした技法=ハックの最適運用環境というのがあまりにも顧慮されておらず、結果、「余計な仕事」を増やしているだけ、という気もする。
だから、いちばんいいのは、まず「やるべきこと」、たとえばおれだったら、文献を読み、考え、そして書く、ということを地道にこなし、そしてそれらをじっさいに遂行するなかで、howを少しずつ摘出し、蓄積させていくこと。けっきょくは、こういう泥臭いやりかたが最終的にはもっとも効率的、なんじゃないですかね。
……って、当初書こうと思っていたことと、全然ちがうことを書いてしまった。ともあれ、そういうわけで(どういうわけ?)、今日は地道にカント読みです。
まあ、私のカイシャの仕事はナレッジワークには当たらないとは思います。GTDって本当のところよくは知りませんが、しかし、ネットでつまみ読みした限り、私の場合、大概やっていますよ。
(ちょっと、外れますが、何より笑えたのが、20分の昼寝話。こんなの20年以上前からずっと続けています。)
で、はやしさんの場合、GTDをやるやらないの次元の話じゃなくて、全く意識しなくても、この程度のことなんぞ自然に出来ているんじゃないですか。
歳で記憶力が落ちて、手帳だの、アウトルックなどに最近は頼らざるを得ないのは事実なのですが、10年以上前なら、1カ月前の特定の日の晩飯に何を食べたかを思い出すのも結構簡単だというような記憶力がありましたので、ほんと、やるべきこと、やらなきゃいけないこと、宙ぶらりんになっていること等々、いつも頭に瞬時に描けてました。勿論、10年前は、手帳なしでも、すべての予定やタイムリミットを全部記憶できてましたしね。今は、歳でこれが不可能なので、GTDまがいのことを仕方なくやってはいますが。
で、これって、歳とって仕方なくするんならともかく、こんなの若いころからやってたら、ほんと、私の頭は鳥並みだ って言っているようなもんだと思います。
ところで、はやしさんに間借りしているところで、体重減らすのにQCを使ったなんて書いてますが、実はQCなんてもんも、当たり前のことを当たり前にするだけのことで、大したもんじゃないんです。
肥満を解消するにはどうするか という課題に 何が要因でデブっているかを抽出し、それに、「実行可能な具体性がある」対策を立て、それが上手くいかなかったら、それはどうしてかを考え、方向性を変えるか、あるいは、さらに具体性がある対策を打つか と 言った具合に、そんなもんを循環させるだけのこと。
でも、こんなのって、ほんと、当たり前のことを当たり前にやるだけの話ですよ。
昔、カーネギーがやったことを勧める、ナポレオンヒルのなんとか なんてのも ありましたが、大体、成功談みたいなのを読んで真似して実際に成功した人って実際には一人たりとも、寡聞に知らないです。よく、宣伝では、その手の胡散くさい成功談は掲載されてますが。
あと流行りの金儲けで胡散臭いのが ロバートキヨなんちゃら っていうやつ。
ほんま、日頃の泥臭さが、結局一番自分に適した効率がいい方法を、結果して生み出していると思います。
もちろん、自分があることをなすその方法を、一回自覚的に取りだしてみて、それを多角的に検討してみるというのは、わるいことではありません。というか、やらないよりはやったほうがいい、いや、やるべきだ、とすら思います。
ただ、ぼくがこういうGTDとかLifehackでいちばん問題だと思うのは、そのいずれもが「お仕着せ」であること、なんですね。あることを実現するにしても、それを実現する人、そしてその人の意図によって、それらをなす方途というのはちがってきて当然です。だけれども、言うまでもなく、GTDやらLifehackやらで抽出された技法は、そうした「個」の側面は捨象されてしまっている。
もちろん、ある汎用的なツールがあること自体は便利なことであり、ないよりはあったほうがいいんですが、みんな(という言い方はあまりに雑駁すぎることは承知していますが、ともあれ)あまりにも「ツールの力」を過信しているように思えます。あるツールがある人に有効だからって、その同じツールがちがう人にとって有効だという保証は、どこにもないのですから。
だから、たぶんぼくは、GTDやらLifehackやらの「紅茶キノコ」的な部分に過剰に反応している、のだと思われます。
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