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唐突に復活。



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近代産業に立脚する社会は、偶然的にスペクタクル的なのではないし、また、表面的にスペクタクル的なのでもない。そうではなく、それは根本的に''スペクタクル的'spectacliste' なのだ。支配的経済のイメージたるスペクタクルにおいては、目的など何ほどのこともない。そこでは「発展しつづけること」がすべてなのだ。スペクタクルは自らのみを目指す。

この節は、いわゆる「資本主義の自己目的化」、つまり、資本を蓄積するために余剰生産が行なわれつづけるためには、ひたすらな拡大=発展を目指さなければならない。それは、「〜のために」という生産ではなく、ただただ自己目的的な(オートポイエティックな?)ものである。ここまでは、とりあえずよしとしよう(ほんとうは、より基底的な議論のために、「よし」としてはいけないのだが)。ここで問題となるのは、じっさいに「資本主義社会=スペクタクルの社会」という恒等式が成り立つのかどうか、である。これは、定義により真となる分析的命題のような気もするが、突っ込んだ議論が必要な気もする。なぜなら、ここで言われていることは、「資本主義社会=スペクタクルの社会」という恒等式の成否も含めて、イメージ的にはただしいように思えるから。しかし、そうした「イメージ」批判こそがここではなされているのではなかったか? ドゥボールの書きぶりは(少なくともこの時点ではまだ)、自らが批判している当のものに寄りかかってしまっているようにも思える。だから、やはり次の問いをぎちぎちと問うべきなのだ。

  1. 資本主義とはほんとうに自己目的的、つまり、自己の拡大的保存を目指すものなのか? また、もしそうだとして、こうした特徴ははたして資本主義のみに固有なものなのか?
  2. 「資本主義社会=スペクタクルの社会」という恒等式は、じっさいのところ何によってそのただしさが保証されているのか?
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