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カントゼミではスミスパトンの純理コメンタリにまみれ、そして宗教哲学ゼミではオックスフォードの註釈聖書に加え、アンカーバイブルシリーズのマルコの巻と、そして、このあいだ生協で見かけ「ひとめぼれ」して買ってしまったZondervan社の『考古学聖書』まで参照しはじめてしまっているので、なかなか大変なことになっている。

で、今日は、その「ひとめぼれ」して買った『考古学聖書』と、オックスフォード註釈聖書の比較対照というか、しばらく両方を読んでみて感じたそれぞれのpros and consを、そぞろに述べてみたい、と思う(スミスとパトンの純理註釈の比較、および、アンカーバイブルシリーズのマルコ註釈本に関しても、言うべきことはかなりあるので、稿をあらためてまたいずれ、ということで)。

まず、『考古学聖書』はいかなるものか?というところから話をはじめると、書名、および副題の"An Illustrated Walk Through Biblical History and Culture"が如実に示すとおり、全ページに聖書時代の歴史的文化的背景を解説するコラムや図版が躍っており、聖書本文を読まずとも、これらのコラムや図版をそぞろに読んだり眺めたりしているだけで、じゅうぶんたのしい。また、聖書本文に付けられた註釈も、内容解釈的なことというよりも、それらが書かれた歴史的文化的な文脈を解説することに重きをおいているように思う。

さて、ここから、オックスフォード版註釈聖書と『考古学聖書』の比較になるわけだが、まず、それらがどのヴァージョンの聖書翻訳を採用しているか、というところからいくと、オックスフォード版は「新改訂標準訳」(New Revised Standard Version)と呼ばれるものを、『考古学聖書』は「新国際訳」(New International Version)と呼ばれるものをそれぞれ採用している。英語聖書の翻訳について、くわしくはWikipediaの記事を参照してほしいが、きわめて大くくりに言うと、新改訂標準訳は、いわゆる「共同訳」と呼ばれるもので、その翻訳作業に宗派の垣根をこえてカトリック・プロテスタント・正教会などが参加している。ゆえに、訳もひじょうに中立的で、英文もプレーンで読みやすい。対して新国際訳は、と言うと、Wikipediaの記述にもあるとおり、「聖書無誤謬」という、ある種の「聖書絶対主義」の立場から翻訳されており、それがゆえにか、訳文がいささか読みにくい部分が、新改訂標準訳にくらべると、ある(ただ、新改訂標準訳にくらべても、新国際訳のほうが意味がとりやすい部分もあったりするので、いちがいには言えない)。

また、翻訳、および註釈以外の部分での異同はどうか、と言うと、まず、オックスフォード版には「外典」と呼ばれる、一般的(おもに、プロテスタント)には「正典」とは見なされていない各文書も収められている。これは、『考古学聖書』と比べてオックスフォード版の大きな利点である。では、『考古学聖書』固有の利点は、と言うと、聖書の各書間の相互関係の指示は、オックスフォード版に比べて『考古学聖書』はきめ細やかな仕事がなされている。

それでは、各註釈聖書の「肝」たるそれぞれの本文註釈はどうか、と言うと、これはすでに言ったとおり、オックスフォード版はおもに内容解釈的な、そして『考古学聖書』は歴史的文化的背景を説明するような註釈をつけている。論より証拠、マルコ書10:46-52の、バーティミアスという盲人が視角を取りもどすところに付けられた、オックスフォード版と『考古学聖書』の両註釈を見てみよう。まずは、該当部分の訳を示す。

イエスとその弟子たちは、大勢の群衆とともにジェリコに来た。そして、ジェリコを発つとき、ティマエオスの息子で、物乞いをしている盲人のバーティミアスという男が、路べりにいた。バーティミアスが、いままさに出発せんとしているのがイエスだということを耳にすると、「イエス、ダヴィデの息子、われにお慈悲を!」と叫びだした。周囲のものたちは、しずかにするようにとバーティミアスをきびしくいさめたが、バーティミアスはさらにはげしく、「ダヴィデの息子、われにお慈悲を!」と叫んだ。イエスはふと立ちどまり、「ちょっと、あの人をここに連れてきてよ」と言った。弟子たちはバーティミアスのところに行き、「よかったな、ほら起きろよ、イエスさんが呼んでるぜ」と言った。すぐさま、バーティミアスは上着をかなぐり捨てて飛び起き、イエスのもとに行った。すると、イエスはバーティミアスに、「おれにどうしてほしいのよ?」と言った。盲人は「お師匠さん、また目が見えるようにしてくださいよ」と答えた。「もう行っていいよ。あんたのおれを信じる気持ちで、目が見えるようになったから」とイエスは言った。すぐさま、バーティミアスの目は見えるようになり、そしてイエスに従った。

(訳は、新改訂標準訳、つまりオックスフォード版のものをもとにした。訳者の怠惰より、ギリシア語原文は参照していない)

オックスフォード版はこれに、「この盲人バーティミアスは、イエスの弟子たちの無理解さを揶揄するものとして書かれており、さらに、バーティミアスがイエスに付き従うのも、のちの弟子たちの裏切りと対比させられている」と、かなり内容的につっこんだ註釈をしている。対して『考古学聖書』は、内容的な註釈はまったくなく、新約聖書時代のジェリコについての歴史的考古学的説明と、そして、「バーティミアスのような盲人が物乞いとして街の門のあたりをうろうろしていることはめずらしくなかった」という註釈を付けている。両者の註釈がそれぞれ、どういう点に比重をおいているか、明白だろう。

だから、オックスフォード版と『考古学聖書』のどちらの註釈がすぐれているか、と問うことは、ほとんど意味をなさない問いで、何となれば、どちらの註釈もすこぶる有用であり、ゆえに、両方のヴァージョンを「主」として読まざるをえない。おれの場合、オックスフォード版と『考古学聖書』を2つとも机にひろげ、まずは『考古学聖書』で歴史的文化的背景をつかんだのち、オックスフォード版で内容的なことをつっこんで読み、さらには適宜アンカーバイブルのマルコ註釈書を参照、という読み方をしているから、なかなか時間がかかる。

そんなふうに、「註釈まみれの日々」を送っています。

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