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俗に「フリーミュージック」と呼ばれる音楽がある。それは、「フリージャズ」の展開形とも考えられそうだし、場合によっては「フリージャズ」と呼ばれるものそのものとも思えるのだが、いずれにせよ、そうした音楽のまわりには、それをめぐる言説にせよ、そしてほぼ同じことだが、そうした音楽を聴く姿勢にせよ、なにか「こむづかしい」という感じがただよっている。
おれは、音楽にかぎらず、基本的にこむづかしいことや、端的にむづかしいことは、あまり好きではない。とくに、音楽なぞしょせんは「趣味」であって、もちろんそうした「趣味」に命がけで取りくむのもわるいことではなく、ときにはそうした姿勢はすがすがしい感動をあたえてくれすらするのだが、ともあれ、趣味とはなにより「たのしい」はずのもので、「むづかしい」ということが先立つような「苦行」であってはならない。
もちろん、そうした「むづかしさ」は「たのしみ」の一部でありうる。とくに、こちら側がなにがしか主体的に組みうつべきようなものに関しては、むづかしいもののほうがたのしく、かつおもしろいものであることは、よくあることだ。さいしょはむづかしく感じられた、つまり、取っつきにくく思われたものが、それと付合っているうちにだんだんと相手のふところふかくに分け入っていき、しまいには他の「しょっぱなからとっつきやすい」ものよりもいいものに感じられてくる、それもよくあることであろう。
ただ、繰りかえせば、音楽はまずもって、聴いて「いいなあ」というものでなければならない。それにまつわる、こむづかしい理屈だのうっとうしい系譜学だの、とりあえずはどうでもいいことだ。それは、「フリーミュージック」と呼ばれる、いっしゅ人を寄せつけない雰囲気をかもしている音楽にしても同じこと。他の音楽と同じように、「こりゃすげえぞ」とか「みょうちくりんだなあ」とか、その程度のこころがまえで聴けばいいのである。
というわけで、ここのところその手の、いわゆる「フリーミュージック」と呼びならわされているものをよく聴いているので、その記録(ちなみに、レコ会社と発売年は、発表当時のものを記載してあります)。
Mass Projection 高柳昌行+阿部薫 (DIW Records) |
いきなりの大技。演奏しょっぱなからのバースト具合は、すなおにかっこいい、と言えるのではないか。「ただめちゃくちゃにやってるだけだろ」と言われることの多いフリーミュージックだが、これを聴けば、並外れた神経が、音を「交感」させることにそそがれているのがよく分かる、と思う。この音盤は、『解体的交感』にくらべやや知名度は落ちるとはいえ、質的にはじゅうぶんそれと拮抗するものがある。つうか、『解体的交感』がこんなに手軽に入手できるとは、いい時代になったもんです。
AMMMusic AMM (Elektra, 1967) |
これも、有名なんでとくに説明は要らないですね。「フリー」とはいえ、かなり構築的な音像なので、一般的に言ってもかなり聴きやすいのではないかと。ただ、レックレックからのリイシュー盤は、正規盤に入っていた曲に加え、エキストラ音源も所収されており、1時間以上にわたって異常に緊迫した緻密な音空間が繰りひろげられているので、すべて聴きとおすとさすがに疲れます。なもんで、最初は正規盤の2曲(2曲目と6曲目)だけを繰りかえし聴く、というのもありなのではないかと。じわじわと、盛りあがりそうでいてけっして「どかーん!」となることなく、どこに行きつくでもないその音は、やはりすばらしいです。
Flypaper Keith Rowe and Oren Ambarchi (Staubgold, 2002) |
上記AMMで「テーブルギター」を担当していたキース・ロウと、先頃のSunn O)))来日公演でもおなじみのオーレン・アンバーチががっぷり四つに組んだ2002年のデュオ作。すごくしずかな音像なのに、これをかけていると意識が音に捕われしまい、ほとんどなにもできなくなってしまいます。2人ともたぶんギターだけを使った演奏なのでしょうが、なにも言わずに人にこれを聴かせても、ギターの演奏だとはまず思われないこと請け合いです。それを試すためだけにでも購入してみてはいかが?
Guitar Solos Fred Frith (Caroline, 1974) |
曲によっては、使ってる楽器がギターであることは分かるけど、そのギターでなにをどうすればこうなるかは分からなかったりする、異常におもしろいアルバム。フレッド・フリスがもともと持っているポップなテイストも随所に聴かれ(とはいえ、このアルバムではどちらかと言うとそうではないところに針が傾きがちですが)、そのバランスがたまらんです。もっとも、これはきわめて「構築的」な演奏であって「フリー」ではない、と言われると、そうかも、ですが、まあ、そんなことはどうでもいいじゃないですか。
Kevin Drumm Kevin Drumm (Perdition Plastics, 1997) |
かのジム・オルークをして「こいつの演奏を聴いて自分はプリペアード・ギターを演奏するのを止めた」と言わさせしめたケヴィン・ドラムのソロCD第1作。つづく作品ではしだいに「プリペアード・ギター」という側面はなりをひそめ、純粋に電子的な音像になってきましたが、とはいえ、このプリペアード・ギター時代の作品でも、「なにをどうすればギターを使ってこういう沙汰になるんだ?」ということをこえて、「そもそもこれはギターを使う必要があるのか?」と思ってしまう局面もなきにしもだったりするので、楽器としてなにを使っていようが、あまり関係ないのかもしれません。写真は、アルバムのそれが見つからないので、なにやらギターと思しき楽器を陵辱するケヴィンさん、です。
でも、自分でフリーミュージックやりたい!って人は大変ですよね。どのくらいいるのかどうかしりませんけれど、いったいどういう過程を経て周囲から認められるようになるんだかゼンゼンわかんないですし。
ただ、この手の音楽でいちばん大事なのは、技術力もさることながら、やはり「勘」というか、月並みな言い方になりますが「センス」なんでしょうね。人の出した音のみならず、自分の出した音にも新鮮な驚きをもって接し、それをある持続として紡いでいく。それは、やってみれば分かりますが、生半なことではありません。
で、フリー系の人はどういう経路で知られるようになるかというと、まあ、この世界は狭いですからね。何かしらの方途で伝わってくるもんなんですよ、それは。
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