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ベンヤミン選集をぱらぱらしてたんだけど、やはりやばいですね、ベンヤミン。目に留まるページごとページごと、必殺のフレーズが炸裂してる。たとえば、つぎのような。

破滅的性格は、生は生きるに値しないが、さりとて自殺もやっかいだ、という心性より出できたる。

(「破滅的性格」ベンヤミン選集旧版第2巻542p)

プルーストの文章は、言葉のナイル川だ。つまり、それは紙面に溢れ出て、真理の地に実を結ばせる。

(「プルーストのイメージについて」ベンヤミン選集旧版第2巻237p)

悲劇とは、人が語り合うことに固有の唯一の形式なのだ。

(「哀悼劇と悲劇における言語の役割」ベンヤミン選集新版第1巻59p)

こういうフレーズにいざなわれて全体を読んでみると、けっきょくなんのことやらよく分からなかったりするんだけど、そこで語られていることどもの「実感」のようなものはしっかり伝わってくるので、さすが。

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コメント
こんばんは。
読めば読むほど思考に穴を空けられたような気分になる、不思議な文章を書く人というイメージがあります。
ベンヤミンがいかにして箴言的文章を書くに至ったのか、というのはもしかすると彼の言語論(名づける言語を持ち、裁きの言語を求めるという人間の言語についての考え)に相当大きく通じるところがあるのでは、と思っております。

それから、『パサージュ論』はDJミックスの極みのような書物だと感じました。
zzy 2007/10/11(Thu)01:30:00 編集
ベンヤミンはほんと「文人 homme de lettre」ですよねえ。ただ、これはべつだん批判的な意図をこめずに言うのですが、ベンヤミンのそういうhomme de lettre的な素質と、ベンヤミンが理論的に表出したかったことがらというのは、けっこうあやういバランスのうえにあったのではないか、ということを考えたりします。詳述すると
それなりに長くなりますので、誤解を恐れずにすぱっと言いきってしまうと、「理論的なことを言うにはなるだけレトリカルな側面を捨象したほうがいい」という前提(?)がある一方、ベンヤミンが考えようとした「理論的なこと」は必然的にそうした「レトリカルな側面」を招致してしまう、と言えるかもしれません。

ベンヤミンの言語論に関して、何かまとまったことが言えるほど通暁していませんので軽い印象を述べるだけにとどまってしまいますが、ベンヤミンの言語論における「神」の取扱いというのが、とくにわれわれ日本人にとっての理解の躓きでもあり、そして、ベンヤミンじしんの言語の取扱いにおいても要なのではないか、と思っております(ベンヤミンの「神」は、言語論に限らず色んな意味で考えさせる点です)。

『パサージュ論』はDJミックスの極みというzzyさんの見立て、まったくもってそうですね。あれに比べればバロウズのカットアップなんてまだまだ……と思ってしまいます。また、『パサージュ論』を紹介するにあたっていまだに「書かれることのなかった論考のための準備原稿」みたいな言い方がなされていますが、ベンヤミンじしんの証言も含めた各種の証拠から考えると、さいっしょからあれはあきらかに「ああいうもの」として考えられていたのだ、とぼくには思われます。

……って、何か関係ないこと語りはじめそうになっちゃいましたが、そゆことです。
はやし 2007/10/11(Thu)06:29:00 編集
こんにちは。お忙しいところ、いつもありがとうございます。

僕も言語論に通暁しているとはまったく言いがたいので、「誤解」になりそうですが、印象を述べさせて下さい。
レトリカルな側面が「招致される」という、はやしさんの表現に恐れ入りました。もしかすると、前提から語りにおけるまでに排除されるべきレトリカルな側面と、むしろ招致されるべき(should、と宙吊りにしてもよいでしょうか)レトリカルな側面との間には、どこか決定的な違いがあるのではないかと思いました。
大雑把にいうと、前者は理論的なことの皮をかぶったレトリックで、後者はレトリックの皮をかぶった理論的なこと…というようなものでしょうか。
「レトリカルな側面」の排除と招致の技に通暁しているがゆえに、homme de lettreと呼ばれうるのかもしれませんね。

そのような意味で、ベンヤミンが神というとき、僕はある種のレトリックなのだと捉えております。時代や状況で、神という言葉を使わないと、ほかに説明のしようがなかった……のではないかと。逆の捉え方をすれば、「神」ほど豊かな表現を可能にする言葉はないのだと言えるかもしれません。(なのでゲーデルの証明は失敗しこそすれ、あれほど豊かなものをたくさん残すことができたのだ、と感じました)

また的外れになりそうな意見で、失礼しました。
zzy 2007/10/11(Thu)16:56:00 編集
一言に「レトリカルな側面」と言っても、そこにはzzyさんが区別したような違いがあり、ベンヤミンは、その理論展開に「必然的に」求められるそれを用いている、ととりあえず言うことはできるのですが、ひるがえって、そうした意味での「レトリカルな側面」をも批判的に検討する必要がある、と考えています。さらに、ここで言う「検討」というのにもいくつかの階梯があり、たとえば、「ベンヤミンのそうした側面はほんとうに必要なのか」という基底的な面から、「そうした側面は必要である」ととりあえず認めた上で、それじゃあそうした側面が用いられている議論の論理構造はどうなっているのか、とか、なかなか一筋縄ではいかなさそうであります。

「ベンヤミンの謂う『神』とはレトリカルなそれではないのか」とのzzyさんの言、それはまったくもってその通りなんですが、ただ、ベンヤミンがレトリカルにではあれ用いている「神概念」そのものが、ユダヤ教的、さらにはその神秘思想的含意を濃厚に持っており、そうした点を理解するためにショーレムなんかも読んでみはしたのですが、やはりなかなか分かりがたいですね。

さらには、「レトリック」というものそのものについても考えることが……って、また話がでかくなりそうです。ともあれ、近日中にちょっと(ほうとうに、ちょっとだけ)本腰をいれてベンヤミンについてなにか書ければな、と思います。
はやし 2007/10/12(Fri)09:50:00 編集
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