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先般より、哲学と数学という、一般的には「もちろん、そういうものがあることは知ってはいるが、その内実に関してはほとんど何も知らない」と思われているであろうものについて、少しでも「それらが何をやっているか」という「内実」を明らかにせんと連載めいたものを始めているわけだが、じっさいのところ、そういう「哲学や数学は分からない」と思っている人たちが何をもって「分からない」と言っているのか、また、どうすればそれらの「分からない」人たちに「分かる」という感じを与えられるのか、そこらへんがそれこそ「分からない」でいる。
これまでのところ(と言っても、実質まだ1回しか本編は書いていないのだが)、「そもそも、どうして人は哲学や数学などといったものに気をかけ始めたのか」という、「起源を問う」といった意味ですぐれて「哲学的」なアプローチを採っているのだが、これははたして「分かり」がいいのか。もちろん、そうした「原理論」だけではなかなか人は「分かった」と思えることはなく、それに併せて「具体例」を添えたほうがかくだんに「分かり」はよくなるものなのだが、ただ、こと「哲学」や「数学」という、それそのもののいとなみ自体が抽象度の高いものであると、下手に具体例を混ぜるとただ混乱の原因になるだけ、という気もする。
予定では、第1回目の「原理論」につづき、それを補填するものとして、ではじっさいにどういうことを、その「始源」において「原哲学者」は考えていたのか、それを書こうと思っていたのだが、こちらとしてはそれについて半端に、つまり、「素人以上玄人未満」といった程度に知ってしまっているので、その詳細さの匙加減がいまいち掴みかねる。あっさりし過ぎていれば「分かり」に益するところはないだろうし、ぎゃくに詳しすぎれば人をうんざりさせるだけだ。ここに「教えることのジレンマ」、つまり、教えるものは分かっていなければならないが、あまり分かりすぎていてもよくない、という事態が生じる。
何にせよ、手探り手探り、進めるしかないだろう。
だからここは居直ってみんなに満足してもらう講義ではなく、自分が文学理論に出会ったときのあの何とも言えないうれしさを再現する方向で講義を組み立てることに決めました。
その結果がどう出るかはわかりませんが、皆さんの反応を聞いて次回以降につなげていければなあと思います。
ルーマン読書会はモロ社会学部ですが、この特別講義を順番にやっていくことで暇つぶし教養学部の再生を実現できればと思ってます。誤字脱字勘弁
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