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ここんとこ、傾向があるようなないような読書をしている。

ただ、この「傾向があるようなないような」というのは、いっときに複数冊を同時に読み進めるのを常としているものにとっては当たり前のこと。というのも、第一に、ある一冊を集中して読む、ということも、ごく特殊な状況化でのことを除けばそれほどないわけで、複数冊同時進行の読書においては、いきおい「傾向」は分散せざるを得ないし、第二に、いくら「傾向が分散している」とはいえ、読み進めているそれら複数冊の本たちのあいだには、ゆるい、あるいは緊密なつながりがあるわけで、言いかえれば、ある本を読んでいるとかならず、その本の書誌に挙げられていたり、みずからの読書体験で培われた脳内読書DBで引っかかった関連書というのが読書リストに追加されるから。

そんな、ゆるい、あるいは緊密なつながりをたがいに持つ、現在進行形の読書リスト。



■クルツィウスを起点に
ここでの軸足は当然クルツィウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』(読んでいるのは英訳)に置かれる。以前、この本の注文時に、これはじつに面白そうだ、と目次のみから予断したエントリを上げたわけだが、その予断に違わず、めっぽう面白い。

そもそも文学や、そして中世というものに冥いから、たんじゅんに「新たな発見」がつまっていて、それらを追うだけでもじゅうぶん楽しいのに、クルツィウスの筆致もそれ自体で「読ませる」もので、世でこの本についてよく言われるような「重厚長大さ」や「読みがたさ」というのはほとんど感じることがない。これは英訳の出来がいいということかもしれないが、クルツィウスの文体は、綿密な文献調査に裏付けられつつも、そうしたデターユに溺れることなく、簡潔に記述すべき事象を衝いていく。章節の一つひとつがそれほど長くない、というのも、息切れさせない理由かもしれない。

さて、クルツィウスの本を読みながら感じることは、大括りに言って、ヨーロッパの文物における「方法」が占める位置のでかさ、ということだ。これは、「方法による制約」という、どちらかと言えばネガティヴなこととして捉えられる側面ではなく、あることを言うのに、それを効果的に言うためにはどうすればいいか、といった、ある意味ロシア・フォルマリズムまで連綿とつづく伝統を謂う。

そこから、上で謂うような「方法」のルネサンス的展開を追ったオング『ラムス』や、中世哲学における「方法」を知るために『中世後期哲学史』を繙くことになる。



■もうひとつのルネサンス
ルネサンスというのは通例、「暗黒の中世」を脱却し、人間の本質規定として「合理性」なるものが表舞台に躍り出た時代と捉えられることが多いように思えるが、どっこい、それほどルネサンスというのは「甘く」ない。そんな「合理性」という刀だけで切り分けられるほど、ルネサンスというのはすっきりしたものではないのだ。

そうした「もうひとつのルネサンス」を知るいい手引きとなるのが『魔術との出会い』。ひょんなことから訳すことになったカルダーノの伝記を導きに、「もうひとつのルネサンス」を見出す著者の眼差しがいい。となると当然、そこから同じ著者の『魔術と錬金術』に手が伸び、その触手はヴァールブルク『異教的ルネサンス』やウォーカー『ルネサンスの魔術思想』にも伸びることとなる。

もちろん、先般出た『哲学の歴史4 ルネサンス』を傍らにおいて。



■ヴァールブルク
上で名前が出たヴァールブルクだが、よく言われるように、ヴァールブルクその人が書いたものよりも、その「学派」に属するとされる人たちの書きもの(ゴンブリッチ、パノフスキーなど)のほうがよく読まれているようだが、おれとしても正直、ヴァールブルク自身が書いたものよりも、それを巡る言説のほうをよろこんで読んでいる。たとえば、田中純『アビ・ヴァールブルク』やディディ=ユベルマン『残存するイメージ』など。この2冊はやはり、「ヴァールブルクもの」としては必読、ではなかろうか?(もう1冊の必読書、ゴンブリッチ『ヴァールブルク伝』は残念ながら持っていない)



■「現代modernité」という問題系列
ふしぎなことに、中世・ルネサンス(と一括りにするのは問題大あり、なのだが、とりあえず便宜的に)と「現代」のあいだ、つまり、むりやりに「近代」という傘の下に入ると思われる時代に対する興味が失われている。もちろん、哲学史的にはかなり、きわめて重要な時期なれど、中世・ルネサンス、そして「現代」の微妙さに比べると、薄味に感じてしまう(そうした、「刺戟」を求める心性自体が批判の対象になろうし、また、興味があろうがなかろうが、academic disciplineのなかでこれからイヤというほど付合っていかねばならぬのだが)。

というわけで、「現代」の震源たるボードレールをフォローするために、阿部良雄『群衆の中の芸術家』を導きに、ボードレール『藝術批評』に収められている各種サロン評や「現代生活の画家」を読み、そして、ベンヤミンの、毎度ながら分かるような分からんようなな書きもの「複製技術時代の芸術作品」(『ベンヤミン・コレクション1』所収)に到る。

つぎは、買ったままであまり読んでいないメショニックのモデルニテ論集『モデルニテ、モデルニテ』を読もうかな、と。



■「視る」という方法
長くなってきたので駆け足に。

「考える」ということにある「視覚性」の働きが、やはり気になるので、レヴィン『視覚の開け』、ジェイ『伏し目』をちらちら。この問題系列はもちろん、ボードレールの「批評=啓蒙」という視点や、その衣鉢を継ぐベンヤミンの「藝術の政治化」にも連結する。

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コメント
ありゃ、こっちにコメント書こうと思って間違えちゃった。
Sita 2007/06/05(Tue)12:09:00 編集
よかたいよかたい。
はやし 2007/06/06(Wed)01:51:00 編集
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