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精確に表題のような文言だったかどうか定かではないけど、いわゆる「艱難辛苦のススメ」のようなものを知るのは、おれぐらいの世代だとまず間違いなく、のび助がのび太にえんえん2ページにわたってする説教のなかでだろう。
たしかに、こと「知的」なことに関して言えば、そこで扱われるものごとはおうおうにしてむずかしいもののほうが面白く、そしてとくに若いものの心をとらえる(吉田健一はどこかで、自分がヴァレリーに手を出した理由はそれが「むずかしい」との評判だったからだ、と述懐しているし、このおれにしたって、学部卒論で扱った対象を選んだ理由は、それが「きわめて難解」と評されていたから、だしね)。かんたんな問題を解いても、あまり面白くないし、何より、問いを解いたときのあの「熱い感じ」が襲ってこない(こう言ってももちろん、重要なのは「問いを解く」ことそのことに専一にあるのではない)。
だが、のび助の説教に鼓舞されたのび太のように、「日常」にある困難に自らぶつかっていくというのは、上の例と類比的には考えられまい。そもそも、そこで問題になっているのは「面白さ」などではなく、人間精神の涵養などなど、であったりするのだから。ただ、そうした「日常、そこにある困難」を、「好む」という自覚のもとでかどうかはともかく、「人間精神の涵養」とかそういうこととはまったくかかわりなく選びとってしまう人間が、かならずいる。それは、業である、と言われもし、そして、破滅型、とも言われる。
しかし、ものごとには「始め」と「終わり」があるように、何にしたって「創造」と「破壊」はワンセットだ。もちろん一般論として、破滅型としてその生を歩むより、ほどほどのところで妥協してそれなりに幸せに暮らしたほうが、よっぽどいい。だけれども、そうした「業」を背負った人は、まさに「内発的」なものとして、そうした道を歩んでしまう。ちょうど、階段はかならず右足から登ることに決めている人が、あるとき左足から階段を登りはじめてしまい、そのことに階段を上りきる直前で気づいてまた階段を降りていくようなものだ。
繰り返す。この世にはどうしても破壊的にしか生きられない人がいる。そして、ある位相ではその「破壊」が「創造」を裏打ちするものとして肯定されるように、そうしたものたちの生も肯定されなければならない。そうでなければ、とても浮かばれないではないか。
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