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死んではいけない、というのはうそだ。
よく知られる通り、ヘーゲルはその『法哲学』のなかで「自殺」というものを肯定している。いっぽう、これはそれほど知られていないことだが、ヘーゲルが『法哲学』のなかで、いやその全哲学体系のなかでなそうとしたことは、「自由の追求」である。どうすれば人は自由になれるのか。自由を奪われそうになったとき、人はどうすればいいか。こうした問いをヘーゲルは考えぬき、そして、後者の問いに与えた答えが「自殺」である。
「人間だけがすべてを、その生命さえをも抛擲できる。人は、自殺することができる」(ヘーゲル『法哲学』第5節注解)。人が存在する、そのぎりぎりの成立根拠である「生きてある」ことすら自らの意思で抛つことができる、それほどに人間は自由なのだ、とヘーゲルは言い、そうまでして自由であろうとする人間を、そして自殺を最大限肯定する。
アルトーもまた、ヘーゲルとは異なる位相から自殺を肯定的に捉える(Antonin Artaud, "Sur le suicide" in Œuvres Complètes I-2 , pp.26-28。邦訳は『ユリイカ』1996年12月号に「自殺について」として所収)。アルトーにとって自殺が重要なのは、それが「生における自由」を保証してくれるからではなく、生そのものを作りなおすものであるからだ。「事物の見てくれだけの分かりやすさと、精神における事物の脈絡に妥協することにすぎない」ような「生きること」に力づくで介入し、そして、確たるものとして存在を保証するもの、それが自殺である。
そうであれば、なぜ「死んではいけない」など言えようか? なるほど、原理的に「自ら命を絶つことができる」ということと、じっさいに「命を絶ってしまうこと」のあいだには、超えがたい懸隔がある、のかもしれない。だが、それが何だというのだ? じっさいに死ぬことができなければ、いくら原理論で押されても、その自由その存在を保証することなど、とてもおぼつくまい。
フーコーは、こうした事情を勘案してか(アルトーのテクストは間違いなく読んでいたに違いない)、「自殺志願者にやさしい社会」を提唱する(Michel Foucault, "Un plaisir si simple" in Dits et écrits III , pp.777-779。邦訳は『同性愛と生存の美学』に「かくも単純な悦び」として所収)。そこでは自殺志願者たちは「むしろ迷惑である慇懃な配慮ではなく、厳粛で有能な気遣いを受け」、そして、「こっそりと何箱もの錠剤を集めたり、昔の頑丈な剃刀を見つけたり、武器販売業者のウィンドーを覗き込み、できるだけ何くわぬ顔をして店に入ったり」というのではなく、みんなで「それぞれの武器の長所、およびその効果」をおおっぴらに語り合い、それに応する武器販売業者は「経験が豊富で、微笑みを浮かべ、勇気づけはするが、あまり多弁すぎない」、そんな社会をフーコーは夢想するのだ。
フーコーはさらに進んで、「〜のための自殺」というのではなく、それそのものをことほいでいるふしがある。曰く、「生は壊れやすく、死は確実だとされている。それならばなぜ、この確実な出来事を偶然に任せたがるのだろう? そうすると、その突然で不可避な性格によって、それは懲罰の様相を呈してしまうというのに」。また曰く、「生と虚無の間にあって、死そのものは要するに何でもないのだから、死を恐れるにはあたらない……しかしそのわずかなものは、賭けられるべきものではないだろうか? 何事かにすべきもの、しかも善き何事にすべきものではないだろうか?」。そして、きわめつけに曰く、「その(自殺の)瞬間の辛抱強く、絶え間ない、そして悲劇的でもない支度が生涯を照らすであろう途方もない悦び」。
そうした「単純な悦び」である「自殺」が遂行されるに最適な場所として、フーコーによってだしぬけに提示されるのが「日本のラヴホテル」である。「およそ考えられるかぎりもっとも不条理なインテリア」に囲まれた、このラヴホテルなる「幻想的迷宮」は、性交というもうひとつの「単純な悦び」のほか、じつは「自殺」という単純な悦びを遂行する場でもあったのだ。しかるに、フーコーが夢見た「誰もが死によい社会」では、場違いな宮殿さながらの建物が林立し、そしてそのなかで、性交にせよ、自殺にせよ、誰もが心おきなくそうした「単純な悦び」に耽っている……。
そう考えると、あれら珍妙な建築群を擁するこの日本は、「誰もが死によい社会」に一番近いのかもしれない。
キリスト教文化が異常なまでに自殺を忌み嫌うので、そのアンチテーゼとして 社会は自殺にもっと寛大であるべき と主張しているのであろうフーコーの言説は 十分理解できます。
私も、自分自身、そういう意味合いにおいては自殺を十分肯定しています。
>日本は、「誰もが死によい社会」に一番近いのかもしれない。
の件ですが、これは、皮肉でもなんでもなく、はやしさんの考えはそうだと、その通りに理解していいのでしょうか。
(・・・これはあくまで私が、後半のフーコーの件の全文を、はやしさんの意図の通りに、あるいは 正反対に読んでしまったか否かを確認するための、単なる借問です。)
日本の文化は、「誰もが死によい」を通りこして、自殺に寛大すぎるぐらいで、こういう日本の土壌は特攻や玉砕といった発想にもつながりかねず、それはそれで困ったもんだと わたくし的には思っています。
で、このエントリにしたって、ある種の「奇妙な明るさ」をことほいでいないでもないものなんで、ここにこうしたコメントをつけるのも、けっして的外れではない、んじゃないかな。なにより、誕生日ってのは、「生を作りかえること」を意識するような日でもあるし。
ただ、その場合でも留保条件があって、「一番近」くはあるが、でも、まだまだフーコー的理想にはほど遠いのだ、と考えることも可能です。だって、実際問題たしかに日本は自殺に寛大、というか、事実上めっぽう自殺は多いわけですが、それでも、人びとのいだいている「自殺観」を考えると、それは自殺を薄暗いもの、忌避すべきものとして捉えてはいるのですから。
自殺というものが、ある場合には「防護壁」として、またある場合には「生きること」をドライヴさせるものとしてあり、それそのこと自体は「理屈」では否定のしようもないかもしれないですが、ただいっぽうで、「あなたがそこにいる」ことが、ただもう無条件に「快」としてあり、だから「死んでほしくない」とも言いうる。そして、その「ねがい」は、「理屈」で言ってもじつは、自殺の「肯定的側面」とけっして両立しえないものではないかもしれない。
そういうこともこの文章で書きたかったのですが、というより、そのことこそ書くべきことではあったのですが、ブログ上の一文としてはじゅうぶんに長いものになってしまったし、その論旨をうまくここに接合させる自信もなかったので、そのことは別稿で、ということにしました。近日中に書ければ書きたい、と思っています。
思うに自殺は未遂に終わるか、既遂かに結果の視点からわけられる。
いきなり経験論から申し訳ないが、私は未遂をこれまで何度かしている。その結果、左脚に完治できない骨折をし、日常生活に支障を来している。
それ(私の自殺未遂)は私のうつ病という疾患、それにともなうネガティブな思考の連鎖、そして向精神薬の副作用など、原因は重層的なものだったと記憶している(自殺未遂したときの記憶はほとんどない)。
未遂も経験したことがあるが、これはコミュニケーションの連鎖の中でいくら言葉を連ねても相手に伝わらなかった為に注目を集めようという確信犯の自殺未遂であったことを思い出す。
長くなると皆様も飽きると思うので強引にまとめると、「自殺」論を一般化して論じることの困難性である。その点はやし氏は、別稿として書ければ書きたいと意志表明しているのは、その意図が何であれ適切なものと私には思える。誤字脱字勘弁。
ただ、そうは言っても、最大公約数的にぎりぎりに殺ぎ落とした特質や、逆に、「一般的」でもなんでもない「極論」を軸を設定すると、個々具体的な事例も語りやすくなる、という面もあるように思われるので、斯様な「一般論」も、その論じ方や難点さえ押さえておけば、けっして無益ではない、と思います。
この稿では、おもに「自殺主体」側から考えてみましたので、つぎはその「受け手」の側から何が言えるのか、それを考えてみたいと思っています。
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