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「文学」と「科学」というふたつを、ある種の対立にあるものとして捉える見方は、スノーの『二つの文化』で克明に書かれているとおり、ほとんど「通例」とでも言えるようなものではあるが、そうした「通例」によく見られるがごとく、こうした見方はいささかナイーヴでもあり、仮に対立していたところで欠くことのない「関係」というものに眼を閉ざしがちである。ここでは、そうした欠くことのない「文学と科学の関係」の一端を、いくつかの本を手がかりに、探ってみよう。
まず、スノーの『二つの文化再訪』といった趣のあるThe Knowable and the Unknowable と、「文学と科学の関係」を概括的に一望できるリファレンスEncyclopedia of Literature and Science を。「文学」と「科学」という「二つの文化」を眺め、そして論じることそのものを、「二階の観察」で見ることができるだろう。
つぎに、各論的に「文学と科学の関係」のその「関わり方」に眼を移すと、まず、「文学」と謂い「科学」と謂っても、いずれも「人間」がなすいとなみであることに変わりはない、という見方がある。そうした「人間のいとなみとしての文学と科学」を扱うものとしてHuman Nature がある。ここでは、文学であれ科学であれ、そういうものに入れ込む「人間本性」は何か、ということが探求される。また、やや「文学的」にすぎるきらいはあれど、「文学」と「科学」といういとなみを、「自己言及的詩学Autopoetics 」という相から捉えようとするBetween Science And Literature もおもしろそうだ。ドゥルーズ=ガタリ、ルーマン、カウフマンという、そこで引かれる人たちを列挙すると、どういう本か、その傾向が分かるだろう。
上で挙げたような「人間がするいとなみ」としての「文学」を、アプローチ的にぐっと「科学」に引きよせて考究したものとして、The Literary Animal やLiterary Darwinism がある。いずれも、書名から明らかなとおり、進化論的に「文学的いとなみ」を捉えようとする。これらは、眉をひそめる人も多そうだけど、たんじゅんにおもしろい。また、進化論に加えてゲーム理論をも援用したものとしてOf Literature and Knowledge があり、これもおもしろそうだ。
最後に、ほとんど「文学」と化してしまった「科学」の書を。まずは、文章自体の凛とした佇まいもさることながら、ストーリーテリングの巧みさで「まるで推理小説を読んでいるかのよう」と評されることもある朝永振一郎『量子力学』を。もちろん、いきなり読んで分かるというものではないけれど、石に齧りついてでも読む価値あり、だと思う。数学からは、これも名著の誉れ高いアルティン『ガンマ関数』を挙げておこう。また、ひたすら個人的思い入れ爆発で、ブルバキ『数学原論』とクーチュラ『論理代数』を。いずれも無味乾燥な書きっぷりながら、島尾敏雄が憧憬した「珊瑚の死骸」のような文体が巧まずして現出している。
外面的には本人の意思としてかったことにはなるが、私自身クリックした記憶がないのに商品が届く。これは薬にまみれた酩酊状態にいる私の精神状態を利用した、故意ある詐欺事件ですよ。
これが続けば、前にも行ったとおり、ベーシックインカム制度に私が関われる時間が限られ、これは世界の人々にとって大きな大きな痛手であるのだから、ある種の資本家サイドのテロではないかと思われますよ。
そうこれは善良な一市民(かよ!おい)を巧みに利用した計画性の高いプロのテロなのです。
(英さんがBI制度い関わる時間が限られるっていうならそれは、…、それは、いい事かもしれない…。)
(それに住民を恐怖で脅す事で要求の受け入れを迫る手口にはプロの臭いが確かにした。)
あと、ひでさん、宮本さんのあいだでは、おれは「プロテロリスト」ということで合意が形成されているのでしょうか? 何とはなしに、宮本さんがそう措定しているのは、おれではないような感じもするけど。
しがない日常を主夫として同じことをするだけの毎日に何か刺激がほしかったでしょうかねえ。かまをかけることで一気に爆発炎上するニトログリセリンとして想起されたのが私だったのでしょう。
だから昨日のスカイプの事務レベル折衝では、互いのむいているベクトルは同じであることを強調した後で、じりじりと遊んでいるんですよ。爆発炎上を期待して。
しかし私はあの数年前とはすっかり変ってしまった。人生暇つぶし史観から、どうせ暇だし遊ばれてやろうと思い至る境地になったのです。
「(テロの)プロ」にかんしては、これはほんとうに誰のことを言っているのか、皆目検討もつきません。宮本さんのコメントにおけるカッコ内の流れで考えれば、ここで「プロ」と呼ばれているのはひでさんか、という気もしないでもないですが、ただ、そこにはひでさんのコメントを受けて発せられたと思しき「確かに」という文言が見えます。ということは、ひでさんの「おれ=プロのテロリスト」という見方に対する同意を示しているのでしょうから、宮本さんもおれを「プロテロリスト」として措定している、ということになります。ただ、問題は、ひでさんにしても、そしておれにしても、「住民を恐怖で脅す事で要求の受け入れを迫」ったりはしてない、ということです。少なくともおれは、「恐怖で脅」そうが何であろうが、何らかの「要求」をした覚えもありませんし。
あと、ひでさんは、宮本さんがひでさんを煽ってる、と感じているようですが、もし宮本さんの解釈が如上のようであれば、その見解も修正が必要でしょう。そもそも、宮本さんはひでさんに、「爆発炎上」とは逆のものを期待しているように思えます。
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