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(……)もし存在が《一》だとすれば、《一》ではないもの、たとえば《多》は存在しない、とせざるを得ない。これは思考にとって耐えがたいことである。というのも、現れるものは《多》であり、何の《現れ》もなしに存在にアクセスすることなど考えもつかないからだ。そしてもし、《現れ》がないとすれば、現すもの(現されるもの)を存在として指示する意味が依然あろうか? 逆に、もし《現れ》があるとすれば、《多》があらねばならず、ゆえに存在は《一》とはもはや換位的ではなく、現れる何かはもはや、それとして《一》と捉える必要もなくなる。これは思考にとって耐えがたいことである。というのも、《現れ》が現すものが《一》として受け取られる限りにおいて、《現れ》はそうした《多》であるからだ。(……)
(Alain Badiou, L'être et l'événement , p.31. なお、文中で「《》」を用いて訳されている「一」「多」「現れ」は、それらそのままでは文中に埋もれてしまうので、名詞として際立たせるため訳者はやしが勝手に付加)
うーん、分からん。
まずもって、「現れ」が「多」である、というのが分かりにくい。というか、このように言われると、「本質/現象」というあの古臭い図式を思いうかべてしまい、「えー、そんなのとっくに『止揚』ずみなんじゃないのお?」と思ってしまう。が、どうもそういうことでもなさそうで。
『パルメニデス』でも読み返してみるかな。
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はやしさん
ご無沙汰してます。「存在」に直接アプローチする手法は、正攻法だし魅力的だけれども、結局のところ、それを分析する者(てつがくしゃ)の独断、あるいは定義から出発せざるを得ない。真摯な分析者には、おそらく、そこに罪の意識があるのかもしれません。
英米系では、そもそもこの類のアプローチが有効なのか?という問題設定ですね。ポパーなんか、「〜とは何か?」という問題設定そのものを、本質主義としてボコボコに批判している。
…ところが、ポパーは歳をとると、<存在>をテーマにするんですね。批判者は、「存在の定義をこれまで拒絶してきた哲学者が存在を定義した!」とか、「ポパーのプラトニズム」だとか、「全体主義と格闘したポパーがヘーゲル流絶対精神を支持!」なんていうスローガンで批判しました。
個人的には、<存在の定義>を「公理」あるいは「ドグマ」とするか、暫定的な「仮説」とするのかが論点だと思う。「公理」として語れば、それは数学空間の存在者、「ドグマ」を信じるならば、教祖様の御心、「仮説」であるならば、反証可能な経験科学ということでしょう。
…問題は、これらの区別がつかんヤツが多すぎることかもね。
ご無沙汰してます。「存在」に直接アプローチする手法は、正攻法だし魅力的だけれども、結局のところ、それを分析する者(てつがくしゃ)の独断、あるいは定義から出発せざるを得ない。真摯な分析者には、おそらく、そこに罪の意識があるのかもしれません。
英米系では、そもそもこの類のアプローチが有効なのか?という問題設定ですね。ポパーなんか、「〜とは何か?」という問題設定そのものを、本質主義としてボコボコに批判している。
…ところが、ポパーは歳をとると、<存在>をテーマにするんですね。批判者は、「存在の定義をこれまで拒絶してきた哲学者が存在を定義した!」とか、「ポパーのプラトニズム」だとか、「全体主義と格闘したポパーがヘーゲル流絶対精神を支持!」なんていうスローガンで批判しました。
個人的には、<存在の定義>を「公理」あるいは「ドグマ」とするか、暫定的な「仮説」とするのかが論点だと思う。「公理」として語れば、それは数学空間の存在者、「ドグマ」を信じるならば、教祖様の御心、「仮説」であるならば、反証可能な経験科学ということでしょう。
…問題は、これらの区別がつかんヤツが多すぎることかもね。
存在論、というのは、いわゆる「分析哲学」と呼ばれる圏内でも、近年なかなかにホットな領域であり、フォーマルオントロジーやらメレオロジーやら、無責任に読みとばす分にはめっぽう面白いものである、と思いますし、「こんちねんたるふろそふぃー」のオントロジーしか知らないで「西洋哲学の存在論は……」とか語っちゃう人は、せめてここいらを押さえてからにして欲しい、とも思います。
で、ポパーは「〜とは何か」という問いの立て方を批判したのは夙に有名ですが、それでも、「定義まがい」のことをしなければ議論が先に進まない、というのもまた事実だと思います。もちろん、ポパー的に言えば(?)、「決めつけ」の「定義」ではなく、「仮おき」の「仮説」として、「〜は…とする」というふうに、とりあえず出発点をおくのだと思いますが、このことをちがった視点から見れば、そもそも「〜は…とする」という取り決めの段階で議論が紛糾するなら、それはそもそも何かが間違っている、つまり、お互いの「〜」のスコープがずれているとか、そういうことなのかもしれません。
ただ、何にせよ、本気で存在を云々するのは、どうもやっぱりかったるいですね。
で、ポパーは「〜とは何か」という問いの立て方を批判したのは夙に有名ですが、それでも、「定義まがい」のことをしなければ議論が先に進まない、というのもまた事実だと思います。もちろん、ポパー的に言えば(?)、「決めつけ」の「定義」ではなく、「仮おき」の「仮説」として、「〜は…とする」というふうに、とりあえず出発点をおくのだと思いますが、このことをちがった視点から見れば、そもそも「〜は…とする」という取り決めの段階で議論が紛糾するなら、それはそもそも何かが間違っている、つまり、お互いの「〜」のスコープがずれているとか、そういうことなのかもしれません。
ただ、何にせよ、本気で存在を云々するのは、どうもやっぱりかったるいですね。
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