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で、寮の部屋はこんな感じです。
机回りはこんな感じ。上のところに本棚があるのが見えると思いますが、まだ来たばっかの状態で撮ったので、ほとんど本は入っていません。
机の横の窓から見える風景は、こんな。
ちょっと引きで全体を。右手手前に見えるのはベッドですが、シーツも何もまだやっていないので、かなり殺伐とした感じです。
窓から見える風景その2。はめ込み式の網戸ごしに撮ったので、ちょっとイマイチな写真です。
とまあ、部屋はこんな感じなんだけど、それより何より、日本での生活に慣れたものにとっては、かなり不便さを感じる。もちろん、日本がどうこうという問題以前に、こちらの環境に不慣れということもでかいだろうけど、それにしても、ちょっと何か飲み物を、とか、食べ物を、とか、そして一服を、と思っても、そういう場所がない。
煙草に関しては、来る前から、覚悟、というか、まあそうだろうなあ、と思っていたから、それはべつに何てことはないんだけど、飲み食いするものや、そして日用品を買えるような店が、さっき散歩をしてチェックを入れたかぎり、まったく見当たらない。
明日、事務に登録に行きがてら、そういうこともついでに聞いてみよう。
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「ふさわしく」あること、しかるべきところに収まっていることは重要ではなく、望ましくないとさえ思えるようになってきた。あるべきところから外れ、さまよい続けるのがよい。決して家など所有せず、どのような場所にあっても決して過度にくつろぐようなことのないほうがよいのだ。
「あるべきところから外れ、さまよい続けるのがよい」というのは、個人の趣味の問題としてならべつにどうこう言う質のものではないけど、ある程度一般妥当性をもったこととして言われているのなら、何でだかよく分からないな。
なるなる。そういう「はなむけ」の言葉、なのか。
でも、そこに読まれる言葉を額面通りに受けとると、ちょっと考えてしまうところがあるな。必ずしも、out of placeなことがいいとは思わないし、そうであることが何か特権的なものだとも思わない。ただ、そうあるしかないありかた、というのもたしかにあって、それはそれで、ある種の「致し方なさ」とともにやっていくしかない、という体のことだ。もっとも、そうであるがゆえに、そういうありかたとともにしか為せない何か、というものの存在も否定しはしないけど。にしても、その「何か」が、それゆえに特別なものだとも思わないけど。
でも、そこに読まれる言葉を額面通りに受けとると、ちょっと考えてしまうところがあるな。必ずしも、out of placeなことがいいとは思わないし、そうであることが何か特権的なものだとも思わない。ただ、そうあるしかないありかた、というのもたしかにあって、それはそれで、ある種の「致し方なさ」とともにやっていくしかない、という体のことだ。もっとも、そうであるがゆえに、そういうありかたとともにしか為せない何か、というものの存在も否定しはしないけど。にしても、その「何か」が、それゆえに特別なものだとも思わないけど。
批判的精神っていう、知識人にとって大切なものについて言ってるんだと思う。
現実のサイードのバラバラなアイデンティティと彼が置かれていた状況とももちろんリンクしてるんだろうけど。
「知」の世界にいて、そこで何かを究めようっていうなら、「ふさわしく」あったり「しかるべきところに収まって」たりしてちゃ駄目だぜ。
現実のサイードのバラバラなアイデンティティと彼が置かれていた状況とももちろんリンクしてるんだろうけど。
「知」の世界にいて、そこで何かを究めようっていうなら、「ふさわしく」あったり「しかるべきところに収まって」たりしてちゃ駄目だぜ。
「批判的精神」というのは厄介なもので、下手をすればたんに幼児症的な「人と違えばいい」という、現状維持を志すよりもお手軽な挙措になってしまう(現状を維持する、というのは、場合によっては何かものごとを変えるよりも骨の折れるものだ)。だから、「批判的精神」というものを何の留保もなく全的に受け入れる気にはとてもなれない。
現実のサイードにしても、その生涯のほとんどをアメリカで過ごし(彼の経歴詐称は夙に人の知るところだろう)、そこで大方のアメリカ人ですらふつうは受けられない高等教育を受けた人間が、本当に宮本さんの言うようなものとリンクできていたかどうか、おれは怪しいと思っている。
また、「知の世界」についても「批判的精神」についてと同様、全的に「ふさわしく」なかったり、「しかるべきところに収まって」いなかったりすれば、それはそもそも「知」ではないわけで、別に誰もが「知」を目指す必要も、またその能力もないわけで、とりわけ「知」なるものを特権的に見なす必要はないけれども、「知」を志すにはそもそもまず、その場に「ふさわしく」、かつ「しかるべきところに収まっ」たディシプリンを通過する必要があることを熟知すべし。
現実のサイードにしても、その生涯のほとんどをアメリカで過ごし(彼の経歴詐称は夙に人の知るところだろう)、そこで大方のアメリカ人ですらふつうは受けられない高等教育を受けた人間が、本当に宮本さんの言うようなものとリンクできていたかどうか、おれは怪しいと思っている。
また、「知の世界」についても「批判的精神」についてと同様、全的に「ふさわしく」なかったり、「しかるべきところに収まって」いなかったりすれば、それはそもそも「知」ではないわけで、別に誰もが「知」を目指す必要も、またその能力もないわけで、とりわけ「知」なるものを特権的に見なす必要はないけれども、「知」を志すにはそもそもまず、その場に「ふさわしく」、かつ「しかるべきところに収まっ」たディシプリンを通過する必要があることを熟知すべし。
はやしさん
チョッと見ないうちにアメリカに逃亡ですか。何しに行ったん?音楽・哲学・数学・コンピューター科学?コンピューター科学ならすべてが包含されそうなんで面白しろそうだけど…。
…で批判精神とゆ〜のは、本来的には自己批判の繰り返しを意味するはず。でも左翼的ジャーナリズムの批判精神はは他人の批判。だから情報が囲い込めなくなった現在、「そういうお前なんなんだ!」と指摘され、その存立基盤を保てなくなっているんですね。間違ってたら早めに訂正すりゃすむだちゅ〜に。
チョッと見ないうちにアメリカに逃亡ですか。何しに行ったん?音楽・哲学・数学・コンピューター科学?コンピューター科学ならすべてが包含されそうなんで面白しろそうだけど…。
…で批判精神とゆ〜のは、本来的には自己批判の繰り返しを意味するはず。でも左翼的ジャーナリズムの批判精神はは他人の批判。だから情報が囲い込めなくなった現在、「そういうお前なんなんだ!」と指摘され、その存立基盤を保てなくなっているんですね。間違ってたら早めに訂正すりゃすむだちゅ〜に。
あのカイシャにいる「切れる子供ならね、大人」なのですが、部下の作ったものを、切れて批判ばかりするのですが、全く対案を示す能力がないんですね。
ダメだダメだ早くしろと執拗なまでに怒鳴り散らす。そのうち部下が、おっさんの気に入るものをつくると、そそくさと、そいつの上司にそれを持っていくというそんな輩です。部下を批判する前に必要なのは「俺なら、こうする」という具体性のある「自分の考え」なんですが、そこがすっぽり抜け落ちている。
それで ふと思ったのですが、どうして、私が、はやしさんの「>」を使わない表記を好きで、ネット上にたくさんある「>」を使う表記が嫌いなのかについて。
「>」を多用している場合、その上司のように批判評論の類はしているけど、ほとんど「「俺なら、こうする」という具体性のある「自分の考え」」が示されていないんですね。
他人への批判というものは、「「俺なら、こうする」という具体性のある「自分の考え」」が示されて、はじめて行っていいものだと思います。
とは言え、私自身、「「俺なら、こうする」という具体性のある「自分の考え」」無しで、書いていることもあるので、その点はちょっと反省。
ダメだダメだ早くしろと執拗なまでに怒鳴り散らす。そのうち部下が、おっさんの気に入るものをつくると、そそくさと、そいつの上司にそれを持っていくというそんな輩です。部下を批判する前に必要なのは「俺なら、こうする」という具体性のある「自分の考え」なんですが、そこがすっぽり抜け落ちている。
それで ふと思ったのですが、どうして、私が、はやしさんの「>」を使わない表記を好きで、ネット上にたくさんある「>」を使う表記が嫌いなのかについて。
「>」を多用している場合、その上司のように批判評論の類はしているけど、ほとんど「「俺なら、こうする」という具体性のある「自分の考え」」が示されていないんですね。
他人への批判というものは、「「俺なら、こうする」という具体性のある「自分の考え」」が示されて、はじめて行っていいものだと思います。
とは言え、私自身、「「俺なら、こうする」という具体性のある「自分の考え」」無しで、書いていることもあるので、その点はちょっと反省。
いや、まあ、「逃亡」っつうか、ちょっとリサーチに、って感じですかね。いちお、CSメイン、ですけど、今後の展開如何では変わるかもしれず、です。
で、批判精神、藤崎さんの言うような「自己批判」のアスペクトがすっぽり抜けて、意固地さの隠れ蓑になってるところが無きにしも、とぼくも思います。間違っていたら早めに訂正、っつーのは、ほんと、基本中の基本なんですが、それができない人はけっこういるようです。まあ、ことの正否よりも、面子とかそういうものがそういう人たちにとっては大切なのではないかと。
で、批判精神、藤崎さんの言うような「自己批判」のアスペクトがすっぽり抜けて、意固地さの隠れ蓑になってるところが無きにしも、とぼくも思います。間違っていたら早めに訂正、っつーのは、ほんと、基本中の基本なんですが、それができない人はけっこういるようです。まあ、ことの正否よりも、面子とかそういうものがそういう人たちにとっては大切なのではないかと。
サイードはもう還っちゃったみたいだから、ここは俺が彼の言いたかった事を代弁してみよう。
「大方の人々は、原則的には一つの文化、一つの枠組、一つの祖国(家-心地良さ)という意識の中で生きている。だが亡命者には少なくとも二つの意識が存在しており、こうしたヴィジョンの複数性は、複数の次元が同時に存在するという自覚、音楽的言い回しを借りれば、対位法的な自覚を生み出すことになる。避けられない事だが、亡命者にとって、新たな環境のもとでの生活、表現、あるいは行動といった所作振る舞いは、別なる環境のもとでこれらの事どもを記憶する有り様と対立する姿を採って見いだされることになる。」
本然的な場とは異なった場へと移動する事が、自己やその他者が異なった光のもとに曝される新たな場に利点をもたらしてくれる。
小児的な場におけるイメージ-感覚的な世界から言語の象徴的秩序へといった動きは私たちにとって最初の亡命体験であり・・・私たちは、何らかの意味で、すべからく亡命者なのです。(C.ボラス)
『フロイトと非-ヨーロッパ人』p13~14より
はやしさんは「ここ(日本)ではもはや自分をヨロコばせるものが見当たらない!アメリカ(シカゴじゃないのか?)なら何かもっとオモロいものが見つかるに違いない!!」と飛び出したんだろうから、祖国から追いやられた亡命者じゃないけど、彼等の運命や心情に共感できる素地は出来たんじゃ無いかな。
何にせよ、生まれ育った世界とは違うもう一つの文化/環境世界で生きてみるってのはいいことだよ。
(はなむけの言葉にケチ付けられるんだから大変だなもう…)
「大方の人々は、原則的には一つの文化、一つの枠組、一つの祖国(家-心地良さ)という意識の中で生きている。だが亡命者には少なくとも二つの意識が存在しており、こうしたヴィジョンの複数性は、複数の次元が同時に存在するという自覚、音楽的言い回しを借りれば、対位法的な自覚を生み出すことになる。避けられない事だが、亡命者にとって、新たな環境のもとでの生活、表現、あるいは行動といった所作振る舞いは、別なる環境のもとでこれらの事どもを記憶する有り様と対立する姿を採って見いだされることになる。」
本然的な場とは異なった場へと移動する事が、自己やその他者が異なった光のもとに曝される新たな場に利点をもたらしてくれる。
小児的な場におけるイメージ-感覚的な世界から言語の象徴的秩序へといった動きは私たちにとって最初の亡命体験であり・・・私たちは、何らかの意味で、すべからく亡命者なのです。(C.ボラス)
『フロイトと非-ヨーロッパ人』p13~14より
はやしさんは「ここ(日本)ではもはや自分をヨロコばせるものが見当たらない!アメリカ(シカゴじゃないのか?)なら何かもっとオモロいものが見つかるに違いない!!」と飛び出したんだろうから、祖国から追いやられた亡命者じゃないけど、彼等の運命や心情に共感できる素地は出来たんじゃ無いかな。
何にせよ、生まれ育った世界とは違うもう一つの文化/環境世界で生きてみるってのはいいことだよ。
(はなむけの言葉にケチ付けられるんだから大変だなもう…)
ぼくの乏しい経験では、左翼的な人も否定一辺倒で、その否定したのちにどうするか、ってのがないんですよね。だからいつも、学校では自治会の人と「notではなくbutを」とか言って「闘争」を繰り広げてましたけど……。
ともあれ、自己批判に限らず、批判精神を云々する人こそがまず、自分のそれを点検すべきである、と思います。
ともあれ、自己批判に限らず、批判精神を云々する人こそがまず、自分のそれを点検すべきである、と思います。
いやあ、餞とか激励とかってのは、それ自体としては有り難いんだけど、そういう行為の有り難さと、その内容、というのは別だから、ま、大目に見てよ。
で、おれ個人としては、「日本ではもうおれを満足させるものはなくなった!」ともっぱら思っているわけではないし、逆に、大方については「やっぱ日本がいいよなあ」と、これは別に望郷の念に駆られてのことでもなんでもなく思うし、だからできれば、日本を離れるとか、もっと言えば、日本国内を旅行する、とかも、ほどほどなところで済ませておきたい、という思いがつよい。まあ、たしかに、その「なぜ」ははっきりとは分からないけど、「自分の生まれ育った世界とは違う世界を知っておくこと」ってのは、少なくとも悪いことではないな、とは思うけど。
ところで、宮本さんが引用したその部分、訳者は誰? たぶん長原さんじゃないかと思うんだけど、「すべからく」の使い方が間違ってる(「すべからく」は*すべからく*「べし」のかたちで結ばれていなければ*ならない*)。
で、おれ個人としては、「日本ではもうおれを満足させるものはなくなった!」ともっぱら思っているわけではないし、逆に、大方については「やっぱ日本がいいよなあ」と、これは別に望郷の念に駆られてのことでもなんでもなく思うし、だからできれば、日本を離れるとか、もっと言えば、日本国内を旅行する、とかも、ほどほどなところで済ませておきたい、という思いがつよい。まあ、たしかに、その「なぜ」ははっきりとは分からないけど、「自分の生まれ育った世界とは違う世界を知っておくこと」ってのは、少なくとも悪いことではないな、とは思うけど。
ところで、宮本さんが引用したその部分、訳者は誰? たぶん長原さんじゃないかと思うんだけど、「すべからく」の使い方が間違ってる(「すべからく」は*すべからく*「べし」のかたちで結ばれていなければ*ならない*)。
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