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おれは昔から文藝評論を熱心に読んできた。下手をすると、小説や詩そのものよりも、それらを取り上げた評論を読んでいた時間のほうが多いかもしれない。
出来のいい文藝評論というものは、当の評論が扱っている対象それ自体よりも、その評論の中で語られる「射影」の方が、魅力的で、面白いことがある。また、それほど出来がいい評論ではなくとも、その中で語られる対象は、実際のそれよりも魅力的に、面白そうに語られることもしばしばであったりする(何度評論や書評に騙されたことか!)。ところが、同じ「評論」というジャンルにあっても、こと音楽評論となると事情がちょっと変わってくるように思われる。
文藝評論はそれが扱う小説や詩と同じ表現形式、つまり言語をつかって書かれているが、音楽評論はそれが扱うものと表現形式を異にする(もちろん、音楽は音という記号の構造物である、といった音楽記号学的な観方を下敷きにしたアプローチも可能ではあるし、また、そうした音楽評論も書かれてはいるが、これは「搦め手」とでもいうものだろう)。つまり、文藝評論においては、それが評論する当の対象を「直接引用」することが可能だが、音楽評論にはそれが出来ない。そして、このことに起因するのかどうか、そこいらはよく分からないのだが、音楽評論がそれが扱う当の対象、つまり音楽それ自体を上回るほどの魅力や面白さを醸していることは稀であるように思われる。
その稀さは、音楽評論は「何だかんだ贅言を連ねても、最終的にはその音楽そのものを聴いてもらわないと話にならない」という、至極尤もなテーゼを「隠れ蓑」として、音楽評論としての努力を放棄しているのではないか、という疑いさえ覚えさしめるほどだ。当然、こちらとしてもそれほど各種の音楽評論に目を通しているわけではなく、もしかしたらおれの知らないどこかで、今日も珠玉の一編がものされているのかもしれないが、統計的に考えるとそれもあまりありそうもない。そうした音楽評論の中にあって、吉田秀和のそれは「音楽それ自体を上回るほどの魅力や面白さ」を湛えた、数少ないもののうちの一つに数えられる。
吉田秀和については、それなりに名が知られた人でもあるので、改まった紹介は必要ないだろう。何しろ、朝日新聞で「音楽展望」という音楽時評をずっと連載していたりするのだから(おれは新聞を読まないので、紙上で読んだことはないが)。
ともあれ、吉田秀和についてまず言われることは、名文家、ということである。これについてはおれも異論がない。とくに難しい言葉や言い回しを使うことなく、また、奇矯な比喩やレトリックに頼ることなく、あることをあることとして過不足なく、その正鵠を射て表現できる筆力は見事というほかない。ただ、吉田秀和の書き物についておれが好ましく思うのは、そうした文章力もさることながら、控えめで押し付けがましくないその書きぶりである。
「評論」というものは、文藝についてのそれであれ音楽についてのそれであれ、往々にして「大声」だったりする。うそ臭い美辞麗句にまみれている、と言ってもいい。吉田秀和には、そういう「声の大きさ」は微塵もなく、どちらかというと訥弁に、「ぼくはこれ、傑作だと思うけど、どうかなあ。あなたも気に入ると、とってもうれしいんだけど……」と友だちに語りかけるように親しげに、ちょっとおずおずとオススメのレコードを貸してくれる、そんな感じなのだ。
さて、それでは吉田秀和の何を、おれはあなたにオススメしよう? まず吉田秀和の書き物といえば『主題と変奏』が真っ先に挙げられるべきなのかもしれないが、どうもおれは、ちょっと気負いすぎな感じをこの本から受けて、気軽に何度も読むという感じではない。吉田秀和の書き物で、おれが何度も繰り返し読んではその文章の巧みさに感心したり、ときには「ディスクガイド」として重宝したりしてきたものは『LP300選』と『私の好きな曲』である。
『LP300選』はまさに「ディスクガイド」として書かれたと思しきもので、いささか駆け足に数多くのレコードを紹介していることもあって、「文章を愉しむ」という感じではないが、それでも、数多の無味乾燥なディスクガイドに比べれば豊穣なものであり、かつ通史的に「クラシック」と呼び習わされる音楽を聴いてみよう、という場合にも非常に役に立つ。『私の好きな曲』はうって変わって、一人の作曲家の一曲に関して、それなりの分量で書かれたものであり、文章を愉しむという意味でも、そして「音楽を聴き、それを言葉で表現する」ということの一つの規範としても唸らされる。
そんなわけで、あなたにも気に入ってもらえるだろうか?
ペシミスト、ジョルジュ・スタイナーはモーツアルトの3音階が人間の為してきた愚かさをあがなう、見たいな事言ってた。然り。
で、最近のアーティスト、おれも全然知らないし、また、メディアで流すアーティスト情報も、ごくテンポラリなものに限られ、売り方も右から左へという感じであって、そこから何をどうピックアップしたらいいのか、決定的なレフェランにかける気がします。困ったものだ。やっぱり、webベースの口コミ情報がこれからは頼り、なのか? でも、何のかんの、webの情報は玉石混交であることが否めないからなあ。
でで、「ジョルジュ・スタイナー」っつーのは、After Babelとかのスタイナー、ですか? それはともかく、その発言に関しては、まあそういう感覚も分からないでもないが……という感じです。
ところで、これを書くのにどれくらいの時間を要されたのでしょうか? というか、名前、「高貴」というより胡散臭すぎます。
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